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【表現回】謝罪されると胸がざわつく理由が分かった。〜「ごめん」の二面性〜

「ありがとう」「ごめんなさい」
をちゃんと言える人になりなさい、と
家庭や学校で教わるだろう。

もちろん大事なこと。

でもなぜか、
母親から「ごめんね」と言われると
私の胸はいつもザワついてしまう。

ずっとモヤモヤしていたけど
なぜなのか、分かった気がする。
「ごめん」の持つ二面性のせいだ。

母との関係性

父と母の夫婦関係が悪くなり出したのは、私が15歳のとき。
そしてその夏、
母は、私たち三人兄弟を置いて、
父から離れ、匿ってくれる男の元へ行きました。

そこから何やかんや色々ありまして、
8年間にわたる離婚調停を経て、両親は離婚しました。

父と母の間に何があったかは知りません。
(いや知ってるけど、知っておく義理は別にないと思っている。)

人間関係の破綻に、どっちかだけが悪いなんてことはないから。
お互いに折り合いをうまく着けられなかっただけでしょう。

ですが、超えちゃいけない一線を越えたのは母。

15歳という多感な時期に、
これまで円満だと信じ切っていた自分の家族が崩壊していく様を目の当たりにするのはキツイものがありました。
家事の物理的な負担もそうだし、
会話の成立しない両親の間に入って伝書鳩やらされるストレスや
両方の祖母から「こんなはずじゃなかったのに」と愚痴を聞かされるストレス、
長女として、「妹と弟には余計な心配させないように私のところで諸々食い止めなければ」と言うプレッシャー。
当時はとにかく必死だったけど、
今考えたら相当辛かっただろうなと、当時の自分をヨシヨシしてあげたい😢

で、必死に過ごしていたら8年経って離婚が成立。
その時私は思春期もとうに終え、23歳になっていました。
そして必死だったあの頃のことは有耶無耶のまま、
母が普通に母親として接してこようとします。
私は若干の違和感がありながらも、
いつまでも固執して「あの時のこと、許さないから」なんて言うのもダサいなと思って
有耶無耶にしたまま、円満な親子関係を装っていた。

私と母とは
そういう関係性です。


どんな「ごめん」を言ってくるのか


◾️体調崩した時
「お母さんが役に立てなくてごめんね。」
「一緒に住んでなくてお手伝いできなくてごめんね。」
私(いや手伝って欲しいなんて思ってない・・・)
 (え、同居の提案しないことに対して怒ってる?)

◾️なんか色々説教じみたことを言われ
「こんなことは親しか言えないからね。ごめんね。」
私(母親らしさを押し付けられてもなあ・・・)

◾️私の引っ越しが決まった時
「手伝ってあげられなくてごめんね。」
私(だから、お呼びでない・・・)

◾️手料理を持たされた時
「料理上手くなくてごめんね。」「荷物になってごめんね。」
私(「そんなことないよ」の否定待ちですか・・・?)

◾️休職し、実家に戻った時
伝えると変に干渉してくると思ったので言ってなかったが、言わざるを得なくなった時
「そうだったのね、全然知らなくてごめんね。」
私(いや、わざと言ってないからね)
「帰れる実家があって良かったね、そこにお母さんはいないけど。」
私(はあ・・・。)


気づき① 「ごめん」が成立するのは、お互いに対する期待値が同レベルのとき

上記の会話例だと、
母は「娘にとって、母親らしい母親でいたい」と言う期待値を私に対して持っている。
私も母に対して「頼りたい」「良好な母娘の関係でありたい」と期待していたとすれば、上記の会話で胸がざわつくことはないだろう。

しかし実際は、
私は母親に対しては何も期待していないし、
生きているかどうかだけ知れればそれで良いという程度の期待値。
やっぱり、
最も多感な時期に自分の安全を脅かした人間
としてのインプットが強いので、なるべく関わりたくないのだ。

そういう温度差があるので、
「ごめん」が、単純な謝罪として伝わってこないのだと思う。

気づき②純粋に謝罪したい「ごめん」と、許しを乞いたい「ごめん」と2種類ある

これこそが、タイトルを
「ごめんの二面性」とした理由であるが。

上記の会話例、
母親の「ごめんね」は、
「許してね」に読み替えることができる。

そんな意味合いでの「ごめん」を言われると、
言われた側は、
自分の腑に落ちていないことや
変えられない過去のことであっても、
許さなきゃいけないような気持ちになる。
許せないと思っている自分を責めてしまいさえする。

私にしてみれば
「そんなこと今更言われても仕方ないじゃん」
「だったら最初から浮気するなよ」
でしかないので。

いつまでも、母親を全うできなかった過去に固執するんじゃなくて、
ちゃんと前向きに自分の人生送って欲しいなと
心からそう思っています。



許しの「ごめん」を言わないために。

許しを乞う「ごめん」は
相手にとっては「そんなこと言われても・・・」でしかないので、
なるべく使わないようにしたい。

申し訳ないと思う状況があるのであれば、
その状況の中で、最大限相手のためになる行動をすべき。


◾️「申し訳ない」と思い、私がとった行動

先日、弟が海外から大きな荷物を持って帰国しました。
空港まで車で迎えにいく気満々だったのですが、
友人の結婚式と日程が重なり、お迎えに行けなくなってしまいました。

「当初言っていたことと変わってしまってごめん。」
という謝罪を一度した上で、
その状況下でできる最大限の歓迎をしようと思い、
WELCOMEBACKボードを作成しました。


ボードというか、コラージュしたのを紙に印刷しただけなんだけど。

お迎えに行けないことを何度も謝ったって、
お迎えに行けない事実には変わりない。
だったら、その状況で何ができるのかを考えたほうが
自分・相手 両方にとって気持ちがいいはず。

ただただ「ごめん」と伝えるだけの行為は、
相手に許しを強要する、暴力的な側面もある。


そのことを認識して、
適切に謝罪ができる人間になりたい。

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