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ライオンズゲートのその先へ

現在自分の内側で、静かな変容が起こっています。
ずっと長い間葛藤していた扉がまた一つ開いたようです。
自分を知ることを繰り返し、向き合って、投げ出して、また向き合って。

「好きなことをやりましょう」ってスピリチュアルでは言いますが、どう見ても私はそういう性質そのものなんですね。
それでいて、自分にそれを許すのが難しかった。

「10自己愛・自己表現」「34パワー全開」「57直感的明晰さ」がつながってる人


デザイナーになることイラストレーターになることさえ、それで生きていけるの?とマインドがささやいて、それを昇華していくまでがしんどかった。
ましてや芸術家なんてどうやって生きてるのか分からない人種のイメージです。
これがもし芸術家の中に生まれ育ち、自分にも才能があったら抵抗がないのかもしれないけど、使われる立場の事務員が一番良いという家庭に育ったのですから。

もちろん、創作は誰でもできます。
自分より上手だと思う人がいても、自分の表現を禁止する必要は全くありません。
なのに自分はそのレベルでないのだから、見向きもされないだろうという悲観に陥りやすい。
どんなに創作が楽しかったとしても、見てもらえないアートって、楽しくはないのです。
自分が作ったものでなくても、美しい花があったら「見て見て!」って伝えたい。

アーティストは、何より自信、自己肯定感なしには成立しない。
もちろん偉大な芸術家が十分に表現しきれない自分に怒ったりもしましたけど、それで「私はこうである」と前へ出ていくだけの自我はありました。
私はそこがいつも逃げ腰で、画材を見えないところや取りにくい場所へ隠してしまう癖があると自覚していて、その恐れは何だろうとずっと思っていました。
デジタル系の仕事道具はちゃんと使いやすくしてあるのに、絵の具やスケッチブックは「暇な時に」と大切に奥へ奥へ。
一度自分を奮い立たせてハンドメイドアートをやりました。でもきっとあれは序章だったのだと今は思います。

私の恐れ、自信不足はしっかり亜希子さんをはじめ何人かにはバレていて、もっと自分を出せ!!めちゃくちゃやれ!!と愛の叱咤激励が自分の中にずっと残っていました。
どうしたらもっと自分を生きることが出来るだろうか?
結果を求めずただ自分の喜びだけを注ぎ込むことが出来たら・・・

成り行きで受けた龍に取り組んでいるうちに、分かってきたことの一つ。本当は気づいていたこと。
どれも基礎の段階で磨き上げる前にやめてしまった自分。
不器用だから、テーマが難しいから、お金がかかるからなど言い訳して本当に好きなことから逃げていたこと。
でもやっぱり、「自分を愛し、全力で好きなことをすることによって周囲にインスピレーションを与える」
それが生まれる前に自分で決めてきた人生のテーマだと分かっている以上、先が見えなくてもやる時なんだと思えました。

アートの方へ軸足を変えていけるかは私も分かりません。でも言えることは、私は「デザイナー」「イラストレーター」といった職種ではないのです。
もっと大きな枠のアート・クリエイターであって、企画もディレクションも、執筆もできるのは人一倍本質が「表現者そのもの」だからです。
でもそれを認めてしまうのは怖かったし、とても難しかった。何を自惚れているんだと罪悪感を要求する自分もいるから。

けれども数日前、部屋の壁の自分の描いた単純な絵をじっと見つめていた時、私はもう一方の意識で自分の弱点をサポートするエネルギーにアクセスしていました。
そして繋がったと思った瞬間、自然に創作が始まったのでした。
(この体験は別の機会にお話しすることがあるかも知れません)

少しずつ向上していくアートを見守ってください。オーダーもお受けします。

同じものは作れない
粘土を乾燥させて、
こんな風に出来上がり

ご拝読ありがとうございます。記事は体験から受け取るものが多く、一歩ずつ挑戦しています。応援していただけると嬉しいです。いただいたサポートは創作活動に使わせていただきます。