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正しいか間違っているかじゃなくて自分が好きで気に入っているならそれでいいのに

こんばんは。占いと恋愛と性のお仕事をしている恋愛番長の石川円華です。
病気のことを書くことが多かったので
久しぶりに恋愛の話をしたいと思います。

テーマは「自分が好きで気に入っているならそれでいいのに」です。

「私の考えって正しいですよね」
「常識じゃんって思うんです」
「それ普通でしょ?」
「僕間違ってますか?」
「おかしくないっすか?」

日本人は生真面目な気質を持った勤勉な人が多い民族だと言われますよね。
それはとても素晴らしいこと。

わたしも好き放題な放言をばらまいているように見られることもあるけれど
実はとっても生真面目。
真直ぐすぎるほど。
愚直だと自覚しますし、真面目に考えすぎる、とも言われますよね。

ただ…
恋愛、私生活でも真面目、至って真面目だと思いますが
「正しいか?間違っているか?」の自分の物差しの
「正しさ」は持ち合わせないようにしようと決めています。

例えば…
パートナーが
「ここは普通道だから、この人の運転は
完全にスピード超過、法律に反しているよな」
法律やルールに違反する、社会規範に背く行為をしたならば
それは「正しさ」の物差しを振りかざす。
法律に違反してはだめです。
好きな人が危険な行為をするのは嫌です。

でも
だいたいのことは
「これはわたしの正しさの物差し」だよね、と
受け流す。

正しいか間違っているか?ではなくて

自分が心地よいか?そうでないか?の基準は明確にします。
あ、お部屋が寒い、ですとか。
臭い、ですとか。
人をけなす話を聞いているのはかったるい、ですとか。
心地よく生活できない、不快な指摘をします。

でも
「自分にとっての正しさ」って必ずしも「相手の正しさ」とは合わないですよね。

カルチャーが違う、価値観が違う、生き方が違う。

もともと一人行動が苦ではないし
一人で自分の楽しさを満喫するのが心地よいと感じるからか

別に二人でいるときに
わたしの価値観を押し付けなくていいや

わたしの価値観よりパートナーの価値観のが魅力的かもしれない
壮大かもしれない
そして別に壮大でないかもしれない、それでもいい

もともと好奇心旺盛で
不思議なこと、変わったことが好きで

それを柔軟に取り入れるのが楽しいと感じるからか

意外と楽しめてしまうんですよね。

それと…

普段お仕事をして
社会の一員として生きているからこそ

正しいか?間違っているか?だけで判断することを

私生活まで持ち込んでしまうと

お互いに寛げない、休まらない

窮屈に感じてしまう、

落ち着かない…

そして、自分のこだわりを持ち込みすぎる
押し付けてしまうと
幸せな気持ちでいたいから一緒にいるのに

本末転倒ですよね。

まずは
自分がリラックスできる状態を作るには
どんな感じ?どんな気持ちでいたら?どんな匂いがしたらいい?どんな景色をイメージしたら落ち着くのかな?と
手探りする癖をつくると

一人でも二人でいても

心地よいスタイルでいられるはず。

パートナーのリラックスを理解できるとより楽ですよね。
そっとしておいてあげたらいいのか?
ぺったりしていたほうがいいのか?

今はそんな気分じゃないのか?

自分は我慢しすぎていないか?などなど。

それでいいんですよね。

☆☆☆

わたしも子どもの頃は
親の正義感や価値観、道徳観を押し付けられて窮屈に生活をしていたように感じます。
それはそれは居心地悪くて、今ここで一緒に生活するのがいたたまれない、
息苦しい、いつもイライラしている家族のもとで

肩身の狭い思いをして生きていたんですね。

☆☆☆

大人になって、社会に出ると
親の正義感や価値観、道徳観が全く役に立たない。

噛み合わない、誰と一緒にいても違和感がある。

価値観や道徳観が合わないとパートナーと
すぐ衝突してしまう。

パートナーだけではないですね。家族とも社会とも、うまく噛み合わない。

一生懸命がんばって、間違わないように気を付けているのに
どうしてこんなに周囲とうまくやっていけないのか…

結局、親や環境で培った、押し付けられた
常識観や道徳観、正義感なんてものは
ほとんどが役立たず。

これ、気づいたから
子どもを育てるときに、役立ちました。

わたしの昭和生まれの価値観なんてものは、平成生まれの価値観に合うはずがない。
嚙み合わなくて当然。

ジェネレーションギャップを感じたり
娘と衝突したら

わたしの価値観を「平成バージョン」に正す
バージョンアップする

チャンス到来と受け入れて見るようにしたら
いろんなことが楽しくなりました。

☆☆☆

そして

自信がないからこそ
正しいか間違っているか、で人を判断するのをある時からやめてみました。

実験的な試みです。
わたしの価値観が世の中では間違っているのかもしれない、と悩んだりしていたけれど。

どれにも合わないから、どれにも合わせるのをやめてみよう。
なんなら
私生活では
正しいか間違っているかで人を裁く、
自分を裁くのをやめてみたのです。

好き嫌いの好みは捨てられません、それを捨てたら我慢になってしまうから、ですね。

そして先にも話したように
心地よい安心安全な空間
居心地を保てるなら

好きにしていいですよーと
こだわりを無くしてみたんです。

そうすると、恋人とだけでなく
周囲ともなんともうまく噛み合う
噛み合える、ほぼニュートラルな人間に変化しました。

〇〇できなくてごめん!「いいよー!」

〇〇じゃなきゃだめ?「そんなことないよー!」

などなど。

もちろん、わたしの好みや好きを主張してほしいと言われたら
それは、好み発揮の絶好の機会ですからね!

「わたしはコレがいい!」と伝えますよね。

♡♡♡

占いや恋愛相談をお聞きしていると

「正しいか間違っているか?」をぶつけるからトラブルになる

もしくは「互いの正しいか間違っているか」を主張し合うからトラブルになる

そもそも合わないから付き合うのをやめた方がいいケースもありますよね。

わたしは
わたし個人の考えを相談者に押し付けないですが
わたしならきっと
「正しさを振りかざすのはここでなくていいや」と
「そっかそれならそれでいいね」と
ふわっと受け止めると思います。

よほどパートナーが自己中心的でワンパク過ぎなければね。

「自分が好きで気に入っている人なんだから
それでいいのよ」と。

☆☆☆

婚活のお仕事に携わって気づいたこともあります。

わたしは好みでお付き合いを決めたことが少ない気がする、んです。

わたしがその時に好きになった人を好きになるとか。
わたしを好いてくれている人の中で
なんだろう?この人!わたしが今まで出会ったことないタイプ!と、思うと好奇心が湧く。

ああ、こんなに好きになってくれるならばこの人かなぁーとか。

好みに一貫性がない。
理屈じゃなくて心惹かれるから好き。

そして
自分が好きで気に入っている、納得しているからそれがいいの!って思う人なんだと。

他の人から見たら、えっどこがいいんだろうとか
変なの!と思われても
自分の価値観を信頼しているからそれでいいの。

他の人の好みと合わない、他人の価値観に振り回されない
男選びが正しいか、間違っているかなんて興味がないんです。
そこに正しさの答えを探しても、満足できるものは見つからない。

そんなものです。

裁く人のそばにいるのはきついですよね。

裁かない、自由にしていていいんだ!と互いを
許し合う、受け入れることで

人の器というものは大きくなるのではないかと思いますから。

そっかー!
おもしろいね!
へえー!
すごいねー

などなど。

愛の形は様々。人それぞれ。

裁くこと、正しさをジャッジすることをやめたら
わたしはとてもとても自由になりました。

☆☆☆

今日もお読みくださいましてありがとうございました。
明日…次ももまたよろしくお願いいたします。

恋愛番長 石川円華




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