【連載小説】『ひとりぼっちのゾーイ』前編
『ひとりぼっちのゾーイ』
須田 マドカ
粉雪舞い散る夜のこと。街のはずれの小さなパブ。こんな日にはつまらない劇みたいに、ぽつり、ぽつりしかお客が来ない。
バーテンダーの男の子、窓の外を見つめてる。最後のお客が出ていって、ドアのベルがからんと鳴った。
「いったい外に何があるって言うのよ。最近どこかうわの空ね。」
ウエイトレスの女の子。不思議そうに、彼を見る。男の子はため息をひとつついて、やっと女の子と向き合った。
「僕がその訳を説明しても、きっと君は信じてくれないと思うんだ。」
「聞いてみないとわからないわ。いいから、話してちょうだい。」
男の子は、また窓の外を見つめると、ゆっくり話し始めた。
「…わかったよ。あれは、ちょうど、ハロウィンの夜のことだったんだ…。
* *
ゾーイは、ひとりぼっちの女の子。いっつもひとりぼっちで、こうして人目につかないように、膝を抱えてじっとしてる。もう何十年もそうしてる。
ゾーイはひとけの少ない路地裏の階段に腰を下ろして、物思いに耽っていた。そのときどこからともなく、楓の葉っぱがひらひらとゾーイのところに舞ってきたんだ。葉っぱは頭の上に来たかと思うと、ゾーイのからだをひらひらとすり抜けて、階段の上でぱたりとその動きを止めた。かわいいゾーイの体は、煙みたいになんだって通してしまう。
昔はよく街に繰り出しては、いたずらなんかをしたもんだ。ゾーイは好奇心が旺盛だったから、やることが山ほどあった。そおっと映画館に忍び込んでたんと映画を楽しんだり。プラネタリウムや遊園地に入ってみたこともあったっけ。おもちゃ屋さんに出かけて、万華鏡をのぞき込んだり、からくり人形とともだちになったりすることも大好きだったし、晴れた日には、公園に咲く花の匂いをかぎ、雨の朝には小川に落ちる雨粒のリズムとカエルの歌に耳を傾けた。とりわけ、お気に入りだったのは月のきれいな夜に、大きな夜空を飛びまわって、街の家々を見下ろすこと。でも、いっつも結果はおんなじ。誰かに気づかれたかと思うと、みんなこわがってまるで火事でも起こったみたいにたちまちその場から逃げ出してしまう。そして最後は結局またひとりぼっちに元どおりさ。
だから最近じゃあこうして息を潜めて、時々夜に散歩するだけになった。もう、人に見つかってこわがられるのはこりごりなんだ。
ふと気がつくと、しなやかなからだつきの黒猫がするりとゾーイの元にやってきた。
「にゃあ」
動物は、ゾーイの唯一の話し相手だ。動物たちは、決してゾーイを見てこわがったりなんかしない。もちろん、動物が何かを話すわけじゃなくて、ゾーイが一方的におしゃべりするだけなんだけどね。
「きみも、ひとりぼっちなの?」
ゾーイは、猫の頭を撫でようとしたけれど、どうしても手がすり抜けてしまう。
「はあ。」
ゾーイはため息をついた。
そのときだった。
「リリーだわ!リリー!さあ、戻っておいで。」
向こうから誰かの声がした。
しまった!この子は飼い猫だったんだ。ゾーイはなんとか見つからないように、その場から逃げようとした。人のこわがる顔なんて、もう見たくないや。でも、その声の主はゾーイの後ろ姿を見つけるとすぐにこっちにやってきた。そしてすばやく猫をひょいと拾い上げると、驚くことになにやらこちらに呼びかけてきたのさ。
「ちょっと待って。リリーを見ていてくれてありがとう。昨日からずっと探していたのよ。よかったらこれをどうぞ。」
ゾーイは振り返った。その恰幅のいいおばさんは、ゾーイの顔を見てこわがるどころか、愛想のいい笑顔を見せてくるじゃあないか。
「あら、かわいく仮装してるわね。とってもすてきよ。ほうらどうぞ。」
「…ありがとう。」
おばさんは用が終わるとすぐに振り返って猫と行ってしまったものだから、差し出したキャンディが、受け皿にしたゾーイの手をすり抜けて、石畳の地面にぽろぽろと落ちたことには気づきもしなかった。
ゾーイは不思議そうにその大きな目をぱちくりとさせた。なんでおばさんは私をこわがらなかったのかしら。ゾーイはなんだかよくわからないまま、歩きだした。
ふと気がつくと、一件の家の門のところに、目や口の形が繰り抜かれた、オレンジ色のカボチャが飾ってある。その次の家にも、その次の家にも。ゾーイはサイドステップを踏んでたくさんのカボチャたちをひとつひとつ夢中で指を折り数えていった。あんまり夢中だったものだから、前から誰かが歩いてきているなんてことには、ちっとも気づいちゃいなかった。
「ちょっと!あぶないじゃないか!」
その声に思わず立ち止まると、前を見てゾーイはぎょっとした。
声の主は、あのドラキュラ伯爵だったんだ。
「きゃあ!」
「なんだよ。君の仮装の方がずっとよくできているじゃないか。そんなことより前を見て歩いてくれないかな。」
彼はまるで十字架かにんにくを突きつけられたみたいに不機嫌な顔をしてる。そのまま二人がぶつかっていたところで、ただゾーイの体をすり抜けてしまうだけなんだけどね。通り過ぎていくドラキュラ伯爵を、呆気にとられたといった感じで目をまん丸くして見送ると、ゾーイは気づいたのさ。向こうにはほうきを持った魔女がいるじゃあないか。
「きゃあ!」
ゾーイは思わずまた悲鳴を上げた。
魔女だけじゃない。辺りを見回すと、ミイラ男や骸骨、ゾンビにピエロ、赤ずきんや手がはさみの人造人間だっている。どうやら、みんな一件一件の家をまわってお菓子をもらっているみたいだ。
「お菓子をくれないと、いたずらするぞ!」
ゾーイは何がなんだかわからずに怯えていた顔から、ぱっと目を輝かせて笑顔になり、ぱんと手をたたいた。
「そうか!今日はハロウィンなんだわ!そして一年で一日だけ、誰も私をこわがらない日。どうして今まで気づかなかったのかしら。」
こうしてゾーイは、まるで水を得た魚のように元気になり、好奇心を顔じゅういっぱいに広げて、街をかけ出していったのさ。
ゾーイは、メインストリートにやってくると、ブティックのショウウィンドウを見てうっとりとしたり、マーケットから漂うソーセージのいいにおいにう~んとうなったり、何十年かぶりに街を堂々と歩ける幸せをかみしめた。今日はそこらじゅうハロウィンの飾り付けでいっぱい。
そうこうしているうちにだんだんあたりが暗くなってきて、夜になると、ハロウィンはまた別の色をみせてくる。さっきまでいた子どもたちが見えなくなったかと思うと、街に仮装をした大人たちが次々とやってきてなんだか騒がしくなってきた。みんなパブで酒盛りを始めたり、クラブに行って踊ったり。
ゾーイはそんな大人の遊びにあこがれるお年頃。少し歩いて、『ハロウィンパーティー』とでっかく飾り付けられているパブをひとつ見つけると、酒に酔うひとたちにまぎれてこっそりと中に入っていったのさ。
中では、つのをつけた悪魔やらフランケンシュタインやら、ミツバチやメイドの格好をした女の子たちが、アップテンポな曲にあわせてお酒を片手に踊ったり、ビリヤードやダーツを楽しんでいる。みんなゾーイが入ってきたって、こわがるどころか目もくれやしない。でも、ただひとり、そんなゾーイをしきりに見つめている者があった。
ゾーイはそんなことにはちっとも気づいちゃいない。彼女にはともだちなんかいなかったし、初めてこんなところにやってきたので、どうしていいのかさっぱりわからなかった。
「何やってるの?」
少し酔った様子の、アラビアのお姫様のような格好をした背の高い女の子が、不思議そうに声をかけてきた。
「あんまり楽しそうだったから入ってみたんだけど、あたし、こういうところ、慣れてなくて…」
ゾーイは自分と同じ年頃の女の子に話しかけられて、なんだかうれしかったみたい。
「あら、そう…」
背の高い女の子は、なにも返す言葉がないといった感じで首を傾げた。
「おい!サリー、来いよ!踊ろうぜ!」
向こうから、フック船長がラム酒を片手に女の子を呼んでいる。
「ごめんね。私行くわ。それじゃあね。」
そう言って軽く手を振ると、お姫様は楽しそうにともだちの輪に戻っていった。
かわいそうに、一人残されたゾーイは、がっかりしてへなへなとその場に座り込んだ。せっかく、おともだちになれると思ったのに。私ってやっぱりひとりぼっちなんだわ。ゾーイの頬を一粒の涙がつたった。
「いったいどうしたんだい?」
「きゃあ!!」
顔をいきなりのぞき込まれて、ゾーイはまたまた弦の切れたバイオリンみたいな悲鳴を上げた。
「おっとこわがらせてごめんよ。」
男の子はそう言うと、かぶっていた狼男のマスクを脱いだ。さっきまでカクテルを振ったり、お客にビールを渡したりしていたバーテンダーの男の子だった。
「もう帰るところなのよ。それじゃあね。」
ゾーイはさっきの女の子の口振りをまねてみた。
「まだ来たばかりじゃないか。パブに入ってくるの、見てたんだよ。お酒もまだ飲んでないようだし。僕が君にぴったりのカクテルを作ってあげるよ。そうだな、ブラッディ・メアリーなんてどうだい?トマトの赤がきれいなんだ。いや、君が血まみれみたいだって言いたいわけじゃないんだけど…。」
男の子の申し出に、女の子はぶんぶんと首を振った。
「お酒なんか飲んでも、地面にこぼれ落ちるだけだもの。だいいち、グラスを持てやしないわ。」
それを聞いて男の子は眉間にしわを寄せて顔をしかめた。
「なにを言ってるんだい?お酒がいらないならそれでいいさ。さあ、一緒に踊ろうよ。」
ひとりぼっちになっている人をほおっておけないたちなのかわからないが、どうやらこの男の子は頑固者で、ちょっとやそっとのことじゃ逃がしてくれそうにない。
「あなたにも、ともだちがいるんじゃないの?」
女の子がすねた様子で尋ねると、男の子は周りを見渡して肩をすくめた。
「ここにいる連中はほとんど知ってるよ。でも、だからどうしたというんだい?僕は君とともだちになりたいんだ。」
ゾーイは男の子が口にした「ともだち」の響きに一瞬なにか希望のようなものを感じ、心を奪われそうになったけれど、パブの壁にかかっていた鏡に自分の姿がないことに気づいて、首を振ってすぐに思い直した。
「そんなの嘘よ!」
ゾーイはきっときびすを返してかけだし、出入りするお客に混じってパブを出ていった。男の子もなんだかほおっておけなくて、急いでその後を追い、外に出てやっとのことで追いつくと、逃げるゾーイの腕をぐいと掴もうとした。
しかし、男の子の指は、何の手応えも感じずにただゾーイの腕をすり抜けちまった。
「ぎゃあ!」
男の子は、情けない悲鳴を上げて、おずおずと後ずさりし、その場に尻餅をついた。
ゾーイは振り返って言った。
「ほうら。これでも私とともだちになりたいと言える?」
男の子は目をまん丸にしてゾーイの顔をじっと見ている。
「その怯えた表情、もう見飽きちゃったのよ。みんな私がこわいの。たとえハロウィンの日だって私はやっぱりひとりぼっちなんだわ。」
ゾーイは首を振ってまたそっぽを向いてしまうと、とぼとぼと肩を落として歩きだした。
「…ちょっと待って。ごめん。僕が悪かったよ。もうこわがったりしないから、戻ってきてくれないかい?」
ゾーイは驚いた。こんなことは彼女がこの体になってから、はじめての出来事だった。正体がばれてしまってもなお、声をかけてくるなんて!
「悲鳴を上げたりして悪かった。びっくりしたのは認めるよ。だけど、君はこわくなんかない。君は、とてもかわいい女の子だよ。ともだちになってくれないかい?」
そう言うと、男の子はやっとのことで立ち上がり、女の子の前にやってきて手を差し出した。
女の子は、またとない事態に困惑しながらも、男の子の手をゆっくりと握ってみた。もちろん、本当に握ることなんてできないから、正確に言えば重ねてみたってことだけれど。男の子は少し笑ってみせた。
「すごいや。なんか不思議な感じだね。」
「そうね。」
女の子は微笑んだ。それは男の子が初めて見る、ゾーイの笑顔だった。窓から見えるパブの中は、相変わらず盛り上がっていてこちらに気がつく者なんて誰もいない。
「すこし歩こう。」
男の子がそううながすとふたりは夜の街をならんで歩いていった。
ふたりはいつの間にか,もうすっかり電気が消された移動遊園地にやってきていた。ここはパブとはうって変わって静かで、お月様だけが二人を見守っている。
「それで、君はハロウィンパーティーにやってきた、本物のおばけってわけかい?」
男の子は尋ねた。
「まあ、そういうことになるわね。でも、私、ともだちもいないし、ああいう場って苦手なのかもしれないわ。」
「おい、僕は君のともだちさ。さっき約束したじゃないか。」
「そうよね。」
ゾーイは今度はいくらか自然に微笑んだ。
「それに…」
というと男の子は、止まった回転木馬の一頭に腰掛けた。
「僕もああいうパーティーは得意じゃないんだ。ほんとうは、何人かのお客がお酒を片手に思い思いの時間をすごしているような、静かなパブの方が好きなんだ。」
女の子は男の子が話すのを聞きながら、馬のたてがみを優しく撫でた。
「でも、君はいったいなんでおばけなんかになっちまったんだい?」
ゾーイはその質問を聞くと、微笑んでいた小さな顔を少しだけ悲しげに雲らせた。
「私、やり残したことがあるの。だからだと思うの。」
「…君は、そのやり残したことってのが何だか、自分でわかっているのかい?」
「ええ…。」
ゾーイはそう答えると少しうつむいた。
「じゃあ、なんでそれをしないんだい?」
男の子は不思議そうに尋ねた。
「…だって、それをやり遂げようとしても、街に出れば、みんな私をこわがって怯えた顔をするじゃない。もうみんなに逃げられるのはごめんよ。」
「でも、今日なら…ハロウィンの今日なら、誰も怖がったりなんかしないさ。ほら、僕なんて狼男なんだから!」
そう言うと男の子は月の方を見てわおーんと遠吠えしてみせた。ゾーイはこらえきれずに笑った。
「それもそうね。そうかもしれない。…やってみるわ!ちょっと手伝ってほしいことがあるの。一緒に来てくれない?」
ゾーイがそう言うと、ふたりは再び夜の街をかけていった。
<『ひとりぼっちのゾーイ』後編へつづく>
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