【連載小説】『クリーピー・ボーイ』#2

〈『クリーピー・ボーイ』続き〉

「なんで学校行かないの?」少女が尋ねる。
「その話はしたくないから、聞かないでよ」少年はさらさらと伸びたその茶色がかった前髪を手でいじりながら答える。「そんなことよりさ」手を降ろす。「君が踊ってるとこ…その…すごく、きれいだった」
 少女は微笑む。「ありがとう。でも、そんなことないよ」
「そんなことなくないよ。本当にきれいだった。自分が、醜いものに思えるくらい。虫けらとか、そんなようなものみたいに」
「虫けら?」少女は聞き返す。
「ぼくには絶対に、君みたいには踊れないから…」少年は悲しそうな目をする。
「どうして?そんなことないよ」
「そんなことなくない。ほら…」少年はそう言うと少しためらってから、白いズボンの左足の裾をめくった。
「こんな足じゃさ…」
少しの沈黙を作った後、少女は「すごい。かっこいいじゃない」と言う。「なんか人造人間とか、映画に出てくるヒーローみたい」
「本当に?これが?」
「もしかして、変な例えしちゃったかな?」
「別に、いいよ」少年はそう言うとまくり上げたズボンの裾を戻して、その、人とは少しばかり違う足を隠す。
「それ、どうしたの?」
「小さいとき、車にはねられた。それから、ずっと母さんは、罪悪感に縛られてる。ぼくがただのばかで飛び出しただけなのにね。ぼくのせいだよ」
 少女は相づちを打つ代わりに優しく首を振る。 
 少年は続ける。
「だからさ、本当に目を奪われちゃったんだ。君に。君の足はすごくきれいだったし、踊りも、本当に上手だったから…」と少年。「ねえ、君ってバレリーナなの?」
 その質問を聞いた少女は少し、悲しそうな顔をする。
「もし、本当に踊りが上手で、きれいなバレリーナがいたとしたら、それは私じゃなくて姉のほうかもね」
 少女の答えに少年は眉をしかめる。
「なりたかったの。バレリーナに。でもなれなかった」そう言うと少女はすぐに笑顔を取り戻す。昔を思い出すような、ちょっと寂しさを含んでるような類のやつだけど。
「姉妹で習ってた。でも、お姉ちゃんだけバレエの学校の試験に受かって、私はだめだった。それからは何をやってもだめ。才能がなかっただけってわかってる。それでだいぶ荒れちゃった。両親は姉がやること全て喜んで褒めて、私もあんな風に両親を喜ばせたいって思って、必死で姉みたいに生きようとしたけど、私は期待外れのことばっかりして、悲しませてばっかりだった。だから、すぐ家出ちゃった。息が詰まりそうだったし、自由を手に入れたかったから。姉はきっと今ごろロイヤル・オペラ・ハウスで、大勢のお客さんの前で踊ってる。でも、私は…こうやって、ふと寂しくなったとき、こういう公園やなんかで踊ったりすることしかできない。もうとっくにだめになった夢なのに、これからはもう歳とっていくだけなのに…ばかみたいだよね」
「そんなことないさ」
「そんなことなくない」そう言うと少女は笑う。少年も笑う。
「初めてのお客さんになってくれてありがとう」少女はぽんと少年の肩を叩いて、おどける。「あのね、さっき足、見せてくれたでしょ?私だって変なとこあるんだよ」
 そう言うと少女は少年の目の前に自慢げに手のひらをかざしてみせる。
「ほら」
「なに?」少年はもう一度眉をしかめる。
「ほらこの小指。異常でしょ?」少女は大げさに言う。
「短いってこと?」少年はまじまじとその話題に上っている物体を見る。「たしかに短いけど、異常ってほどじゃないと思うよ」
「これが異常じゃない?見てよこれ」そう言うと少女は、今度は立ちあがって頭の上で腕を丸く形作る。「全然きまらないでしょ?こんな小指じゃ。これじゃ、本当にひとつひとつの動きが美しくできない。完璧じゃないの。だから、バレリーナの試験だって…」
「まさか、それで落ちたと思ってるの?」
「だって。こんなにおかしな小指じゃ受かりっこないもん」そう言ってしまうと、少女は冗談だということを示すような笑顔をつくってベンチに座り直す。
「手袋してもさ、小指のとこだけ余ってるんだよ。こうやって折り曲げられるの」身振りで示す少女。「それに、約束もできない」
「どうして?」
「だってこんなに短いと、小指絡ませられないでしょ?だから、私約束とかしない主義なの。したとしても、すぐ破っちゃう。この小指のせい。自由でいたいんだ」
「君って…無責任でとんでもなく極悪非道な人間だね」
「そうでしょ。何にもしばられたくないから」
 二人は笑った。少女は続ける。
「そうだ、他にも異常なところあるよ。昔はよく『幽霊』っていじめられて、泣いてた。ほら、肌がすごく白いでしょ。『死体』とか『ゾンビ』とかも言われた。今思うと、本当あいつらのこと殴ってやりたい。だって今でも時々あいつらの『幽霊』って言葉が頭の中で響くときがあるんだもん。信じられる?人のこと『幽霊』って。今でも本当に悔しくて…。この世界から、人のことを『幽霊』だなんて言うやつらを、全部抹殺しちゃいたい」
 少年は想像した。まだ幼かった頃の少女が、何人かの男の子や女の子たちに囲まれて、幽霊、幽霊ってののしられているところを。少女はただ、耳を塞いで、怯えながら目に涙を溜めている。
「本当、ひどいね、そんな…きれいな肌なのに」少年は憎しみと悲しみの感情にかられる。
 少女は急にきまり悪そうに微笑みを浮かべる。  
「あ、ごめん。その足見たから、同情して、私だってって不幸自慢したがってるわけじゃないからね」
「わかってる、仮にそうでも嬉しいよ」少し、間があく。「ねえ―」少年がきりだす。「君は…バレリーナじゃなかったら、一体なんなの?学校は?」
「私は…」少女がまた笑う。「私はそんなこどもじゃないよ。今日は休みなの。普段はね、バレリーナとはほど遠い仕事してる」
「それって聞いていいの?」
「世界を悪の手から救うスーパーヒーロー」少女はそれが当然だというようにさらりと言う。
「そっか」少年はもっともらしく頷く。「じゃあ、ぼくは君の敵だな。ぼくは世界を悪の力で支配しようとしてる悪い魔法使いなんだ」
「何それ、つまんない」少女は吐き捨てる。「ねえ、冗談言ってるんじゃないんだから。じゃあ、こう言えば信じてくれる?スナイパー」
「君、ぼくをばかにしてる?」
「ばかになんかしてないよ!」しかし、おちょくるような笑顔。「じゃあこう言えばいい?殺し屋」
「殺し屋?」
「ほら、善と悪って紙一重っていうか隣り合わせでしょ?」
「どういうこと?」少年は困惑する。「ねえ、君ってちょっと――」
「おかしい?」少女は自ら言う。「きらいになった?」
 少女は不安そうな表情で尋ねた。彼女のコロコロ変わる喜怒哀楽の表情に少年は戸惑う。実際、少女に対する少年の気持ちは最初に見たときと少し変わってきていた。とにかく、きれいなだけじゃなく、少し狂気じみたような、不思議な雰囲気を持った子だと思った。いや、もしかしたら、不思議って言葉じゃ片づけられないような、虚言癖とか、妄想癖だとか、そんなような重大な問題のある子かもしれない。だけど、どうしたことだろう。少年はそのおかしさに、ますます夢中になってしまっていた。
「いや、きらいになってない」
「じゃあ、これ見たら信じてくれる?」そう言うと彼女は、肩に掛けた、花飾りのついたかわいい黄色のポシェットから、ごつごつした鉄の塊を取りだした。
「これだよ、私のスーパーパワー」
「本物?」少年がそれにおそるおそる触れる。その、人の命を奪うために発明された物体に。
「休みの日だけど、持ち歩いてんの。これ持ってるとね、なんかすごく強くなったような気がするし、それにさ、こう思えるの。『お姉ちゃんはバレリーナになったけど、それがなに?私なんか、これで人を救えるし、殺せるんだ』って。だって例えば道で近く歩いてる人の命やなんかもさ、私の気持ち次第だったりするわけでしょ?それってすごいと思わない?目の前の人間を生かすも殺すも、私の自由なの。そんなこと、絶対にお姉ちゃんにはできない。ねえ、もし誰か殺して欲しい人いたりしたら、教えてね」少女はいたずらっぽく笑う。思いっきり冗談を言っているようにも見えるし、全部本気のようにも見える。
「僕だって、きらいな奴がいないわけじゃない」
「本当?」
「きらいになった?」
「ううん、だいじょうぶ、ごく普通の感情だと思う。全然おかしくないよ」少女は理解を示す寛大な表情をする。
「ぼくのスーパーパワー見る?」
「うん。見たい」
 少年は少女の反応に満足そうににやりとすると、白いシャツのポケットから、隠していたフルーツナイフを取りだして、そのキャップを外した。ナイフの刃に写った少女は、それを見て目を輝かせてから、少年の顔を見やる。
「やるじゃない」
「学校でさ、足のことでいじめられてた」
「だから行ってないんだね。学校。さっきはその話、したくないって言ってたのに、今度は自分から話し出すの?」
「もうこれだけ長い付き合いになったから、そろそろ話してもいいかなって思ったんだ」少年は肩をすくめる。「いじめられても、まともにケンカとかできないし。こんな足じゃさ。でも、これをポケットに入れた時、ぼくも、少しだけ強くなれた気がして落ち着いた。僕が急にとち狂ったりなんかしたら、いつでもあいつらを殺せるんだって。それに――」
「それに?」
「それに、僕自身だって、いつでも死ねるんだって。あんまり、この世界に愛着とか、なかったから」
 少年は、ナイフを見つめて優しい笑顔で言う。しかし少女の悲しそうな目を見てすぐに慌てる。そして少し嘘をついてとりつくろう。
「いや、別に本当に実行しなくても…死にたいなんて、思ったことない。ただこうして持ってるだけで…わかるでしょ?」
 わかる、という風に少女が頷く。その言葉を理解したっていうより、少年の、本当は死にたくなることがあるっていう気持ちのほうを理解したような表情だった。少女は、ナイフを握りしめている少年の手に、自分の手をそっと重ねた。少年の胸は、もう一度高鳴りを覚えた。
「そいつらに、やり返さないの?」
 少年は黙ってうつむく。「特別な人間になりたいって思うけど…なれないよ、君みたいには」
「私?私は、特別じゃない」

ゴーン
 その時、遠くで教会の鐘の音が鳴った。
 少女はそれを聞くとそっと手を離し、立ちあがる。
「もう行かなくちゃ」
「そうか」と少年も立ちあがる。「あのさ―」
「なに?」少女が首を傾げる。
「また会える?」
「また?」
「またここに来れば、君は今日みたいに踊ってる?」
 少女はごまかすように笑ってみせる。
「明日自分がどこにいるかもわからない。また踊るかもわからない。だから、また会えるかどうかなんて、そんなの知らない」
「ねえ、君は約束がきらいって言った。でも、初めて約束守ってみれば?…次に会う約束しようよ」
「約束なんて、本当に好きじゃない。ほら」そう言うと少女は、また例の小指を少年の目の前に掲げる。
「小指の長さのせい?」少年は言う。そして、がっかりしたような顔をする。「やっぱり、ぼくをおかしい奴って思ってる?」
 少年は、なんだか自分が本当に醜くて浅はかな生き物のように思えた。最初から、このきれいでなにか不思議な魅力を持った少女が、虫けらのような自分に取り合ってくれるわけなんてなかったんだ。少女は自分の欠点も少年に話してくれた。でも、そんなの少年にとったら羨ましいくらいのことで、結局同情でしかないように思えた。やっぱり、彼女は特別な人間なんだ。だって、まぶしすぎて、彼女の目を、とても見つめられないくらいなんだから。
「がっかりしないで。試したいの。運命を信じてるだけ」急に少女が言う。
「運命?」
「もしこれが運命だったら、約束しなくても、また会えるはずでしょ?」
「そうかな?」少年は不安そうな顔をする。
「じゃあ、わかった。約束してあげる。もしもう一度、待ち合わせとか、何もしないで出会えたら、その時はあなたのこと、何があっても守る。だからそっちも守って。それで、一緒に死んであげる」
「本当?」
 少女は、適当な感じの笑顔で二、三度頷くと、少年に歩み寄り、少年の小指に、自分の長さの足りていない小指を無理矢理絡ませる。そして、ポケットからさっきのコインを取りだして、差し出す。
「やっぱりこれ返す」
 少年はコインを見て少し息をして、言う。
「じゃあそれ、あそこの噴水に投げて」
「どうして?」
「だって証拠になるし。今日ぼくたちがここで出会ったっていう。それに、また会えるようにっていうおまじないだよ」
「わかった」少女はにっこりと笑うと、その細くて白い腕でひょいとコインを噴水に投げ、これでいいでしょ、という風に肩をすくめ、ポシェットの肩紐を肩に掛け直し、手を軽く振って、ブランコの横に乗り捨ててあった自転車に乗って、走っていった。少年はベンチの上で体育座りをして、睨むようにそれを見送った。

 マンションの部屋に戻ると、一人の女性が心配そうに少年を迎えた。
「お母さん、心配してたのよ?一人で出かけて、だいじょうぶかなって…」
「だいじょうぶだよ」少年は、上の空で投げやりだけど、やさしさの混じった口調で答えた。

 その夜、ベッドに入っても、少年は眠れなかった。

<『クリーピー・ボーイ』#3へつづく>

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