見出し画像

最後の恋になればいい 第10話


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

その数日はずっとふわふわした心地で、いつ出社していつ退勤していつベッドに入ったのかも覚えていない。気が付けば瞬間移動みたいに、私は『Bar OLIFANT』に来ていて、マスターとさおちゃんと里見さんに、卓也から来たメールのことを相談していた。
「どう思いますか……」
「ん~、とりあえず今元カレに彼女はいないってことでいいんじゃない?」
「だな」
「でもどういうつもりなのかはよくわかんないよね。だって今まで連絡一切なくて、今回がいきなりだったんでしょ?」
「あー……。えっと、お互いの誕生日に毎年一回だけは……やりとりを……」
「なんだそれ。七夕か」
「あはは……」
マスターのつっこみがその通り過ぎて、私は乾いた笑いを返すことしかできない。
「多分今までは、それで確かめてたんだろうね。芽生ちゃんがまだ自分に気があるのかどうか」
里見さんの言葉の意味がわからなくて、私は大人しくさおちゃんと里見さんが話しているのを聞く。
「なんのために? もう別れてるのに」
「男はそういう生き物なんだよ。別れても、元カノの中に自分の存在があって欲しいの」
「それって未練があるってことではなく?」
「未練とはちょっと違うんだよね~。だからヨリを戻したいとかそういうわけじゃなくて」
「何それ最低。その気がないならちょっかい出さないで欲しいです」
「すみません……。ってなんで俺が怒られてるの! 俺じゃなくて俺の周りの友達の話しただけなのに!」
「ふ~ん?」
「何その顔! 俺信用なさ過ぎじゃない?」
二人のやりとりを聞いてもよくわからなくて、私は卓也からのメッセージをまた開く。『倉本たちの結婚式、行くんだって? よかったらその前日でも翌日でもいいから二人で会えないかな』と、たったそれだけのメッセージに、私はもう何十時間も頭の中を支配されている。
またテーブルに突っ伏す私を見かねたさおちゃんが、頭を撫でてくれる。
「簡単よ。会いたいなら会う。会いたくないなら会わない。それだけなんだから」
そう、わかってる。それはわかっているのに。
「そりゃ、会いたいけど……」
「じゃあ何迷ってんの」
それがわからないから困っている。会いたいと確かに思っているはずなのに、いざ「いいよ」だとか「私も会いたい」だとか、打とうとするたび、言葉が喉に詰るように指も止まってしまう。自分が何に迷っているのか知れるのなら、私だって知りたい。
「予想外の方向だったから、どうしたらいいのかわからないんだろ。向こうから会いたいって言われたってことは少なからず何かを期待されてるわけなんだし、その期待に自分が応えられるかどうか、プレッシャーみたいなのもあるだろ」
マスターの言葉がすとんと胸に落ちる。
ああ、そうか。私、あれだけ再会の準備をしていたはずなのに踏みとどまっているのは。
「私、自分の中で、再会のビジョンがあったからなのかな……」
「あ、一応そういうのあったんだ?」
「いや、ほら。だってまさか卓也の方からコンタクト取ってくると思わなかったからさ。私の中ではずっと、結婚式の時に偶然風に出くわして、『あっ、久しぶり。懐かしいね』みたいなさ」
「イメトレと違ったんだよね」
里見さんの言葉にうんうん頷く。
そうそう。思ってたのと違ってたから戸惑っただけだ。じゃないとおかしい。まだ好きな気持ちも会いたい気持ちも確かにあって、会うために自分磨きまでして、なのにいざ会えるかもとなったら二の足を踏んでいる自分の説明なんて、それくらいじゃないとつかない。
「イメトレと違っただけじゃないだろ。俺が言ったプレッシャーはそれだけじゃねえぞ」
「え」
せっかく納得しかかっていたところを、マスターが掘り返す。どうしてこの人はいつも、私が気づいていない私の部分を見抜いてしまうんだろう。
「一年に一回とは言え今までだって連絡はあったのに元カレは会おうとは言ってこなかったんだろ? ってことは、今まで直接会いたいとまでは思ってなかったってわけだ」
悔しいのか悲しいのか、胸がギュッと痛むけれど、確かにそうだ。毎年誕生日になると「おめでとう」と一緒に少しの近況報告だけのメッセージを数回やりとりして、そのうち向こうから連絡は途絶える。この7年、その中で一度も「会いたい」と言われたことはなかった。
「そんなヤツが会いたいと言ってきたってことは、元カレは多分、綿貫とヨリを戻してもいいと思ってる」
「え……」
目を見開くさおちゃんの隣で、ドクリと私の心臓が跳ねる。そんな考え、自分の中にはなかったはずなのに、まるで図星を突かれたみたいに私の心拍はどんどん速くなっていく。
「やったじゃん芽生!」
嬉しそうに私の肩を抱いてくれるさおちゃんに笑顔を返したいのに、表情が固まって動けない。
「そこでこいつのプレッシャーだよ」
そう言われて、ああ、と、マスターが言葉を続けるよりも先に私の中の全ての気持ちや行動の点と点が線で繋がっていく。
「こいつには自信がない。久々に会う元カレが自分といて楽しんでくれるのか。本当に戻りたいと思ってもらえるほどの魅力が自分にあるのか。偶然、向こうが準備していない状態で会うのと、向こうがヨリ戻す気満々で会うのとじゃ、プレッシャーは大違い」
いくら自分磨きを頑張っても、7年、いや、28年降り積もらせた自信のなさはどうにも出来なかったらしい。だからこそ、もしかしたら卓也がヨリを戻したがっているかもしれないという可能性にも最初から蓋をして見ないふりをした。
見事にマスターに今の私を言い当てられて、自然と私の声は震える。
「その通りです……」
「すごい。マスターって恋愛マスターのマスターだったんですか?」
「ちがうわ、しばくぞ」
「まあ若い頃は遊んでたからね、晃」
「遊んでねえ」
マスターは吐き捨てるように言うと、恐らく里見さん用の酒を作り始める。私はその姿を横目で見ながらも、一度言い当てられたことで蓋が外れた想いが、するすると溢れ出てくるのを止められない。
「卓也と別れてから自分が楽しいと思えたデートも相手に楽しんでもらえてるんだろうなと思ったデートも一回もない……」
「でも元カレとのデートは楽しかったんでしょ?」
「だったと思うけどもう7年も前だし……」
それにきっと、最後の最後。結局行けなかった動物園デートが私の中で尾を引いている。
卓也は私と一緒にいるのは楽しいと言ってくれたけれど、なんだかんだ、一番行きたいと思っていた動物園デートはのらりくらりとかわされたのが、答えなんじゃないかって。
まあ、現にフラれているのだから答えも何もないのだけれど。
「え~でもせっかくのチャンスなのに棒に振るの?」
「それは……」
言い淀む私に、マスターがトンッと私の前にピンク色のカクテルを置く。
これは、あれだ。私が初めてこの店に来た時に初めて飲んだ、あの美味しいやつ。大好きな色に、大好きなイチゴ味。
「おら。それ飲んで気合い入れろ」
「あ、ありがとうございます……?」
ぽかんとする私に、マスターがグシャグシャと自分の頭を掻く。「あーもー」と呻いているマスターを、何故か里見さんとさおちゃんは楽しそうに見ていた。
「あんたな、なんのためにシャンプー代えたりジム通ったりしてんだよ! なんのための投資だ! 金無駄にすんなよ!」
そ、そこ!? マスターのツッコミどころお金なの!?
驚いている私を尻目に、さおちゃんと里見さんは顔を見合わせて笑いを必死にこらえている。というか、笑っているけれど声に出さないようにしている。そんなさおちゃんと里見さんの様子を見て、マスターのこめかみの血管がピキピキと震えているように見える。
「あ、そうだ!」
すると、ひとしきり笑い終わった様子のさおちゃんがパッと、何か良いことを閃いたようなワクワクした顔をする。
「さおちゃん、何?」
「嫌な予感がする……」
顔を顰めるマスターと、次の言葉を待つ私にさおちゃんはムフフと笑い、里見さんはニコニコと事の行く末を見守っている。
「二人で予行演習してくればいいじゃん! デートの!」
「は!?」
打ち合わせもしていないのに私とマスターの声が出たのは同時だった。続いて一瞬だけ私とマスターは顔を見合わせて、すぐに二人ともさおちゃんを見る。ご機嫌なさおちゃんと、私たちの様子を見て爆笑する里見さんで、店の中はカオスだ。
私と、マスターが、デート……?
卓也のメールよりもさらに予想外の展開に私の頭はキャパを超えつつあった。けれど、きっとマスターならキッパリ断るだろうとも思って、勝手に何故かフラれたような、寂しい気持ちにもなっていた。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?