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最後の恋になればいい 第20話(最終話)


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

* * *
二次会を終えて店を出ると、道には雪が積もり始めていた。私は女友達二人と、駅までの道を歩く。
「楽しかったね~」
「ね」
「芽生、今日は泊まるんだっけ」
「うん、実家に。ここから近いんだ」
「じゃあさ、せっかくだしもう一軒行っちゃう? 帰りはタクシーでも乗り合わせようよ」
「お、いいねえ」
「賛成!」
雪の心配はあるものの、久々に友人たちに会えた嬉しさが勝って、「私も」と手を挙げる。どこのお店がいいかなとスマホをみんなで取り出したその時だった。
「芽生!」
私も友人たちも一斉に振り向くと、そこには息を切らした卓也の姿があった。
「ごめん、ちょっといいかな」
「え……」
「あ……うん、いいよいいよ!」
「私たち先に店決めて入っとくね!」
「芽生には後で連絡いれるから、どうぞお構いなく!」
「え、ちょっと!」
何かを察したらしい女友達たちは先にスタスタと行ってしまう。取り残された私と卓也の間には、少しだけ気まずい雰囲気が漂う。
「ごめん、邪魔しちゃって」
「ううん。えっと……どうかした?」
「ちょっと話したくて。いや、明日会えるってことはわかってるんだけど、今、話したくて」
「うん……」
そんな熱烈な気持ちなんだろうか、なんて可能性の低いことを思いながら、それでもやっぱりそんなことを意識してしまって、勝手に心拍数は上がっていく。
「俺、芽生がこの式来るの、友達づたいで結構前から知ってたんだ。久しぶりに芽生に会いたいなって実はずっと思ってて、でもなんとなく言うタイミング掴めなかったんだけど、もう式も近づいてきたなって思ったら……、迷ってるより、思い切ってメールしてみようって思って。それで送ったのが、この間のメール」
感じているのは、ときめきなのか、緊張なのか、悪寒なのか。
ドキドキと跳ねる心臓を感じながら、私は卓也の話す声のトーン、表情、眉毛の動き、全てをじっくりと見つめた。
「会いたいと思ってくれたのは、どうして?」
振り絞って出した私の問いに、卓也は少し苦笑する。
「……俺、実は結婚するつもりで付き合ってた人がいたんだ」
「え」
その言葉を聞いた瞬間、体がピシリと石のように固まった。「結婚するなら、芽生だなって」というあの言葉が私を7年も縛りつけていたけれど、当の本人は、とっくに新しい人と、新しい未来を思い描いていた。あの言葉に、意味なんてなかったのだ。
「でも、駄目だったんだ。彼女、好きな人出来たから別れて欲しいって、いきなり。一カ月前くらいだったかな」
「そっか……」
いやそれ、私に連絡入れようと思いついたの絶対それが理由じゃん。私に会いたかったとかじゃなくて単に彼女にフラれたからじゃん。違うの?
「その時、芽生のこと思った。芽生だったらこんなこと、絶対ありえなかったのにって。芽生は、いつも俺だけを見てくれてた」
ああ、なんだか悔しいな。卓也にそんなつもりはないんだろうけれど、無意識で、卓也は私のことを舐めてたんだ。いつでも自分のことを好きでいてくれるって。それが実際そうなんだから、もう笑いも出ない。だって私、こんな状況なのにまだどこかで、私のことを思い出してくれたことにほんの少しだけ喜びを感じてしまっている。いったい、どこまで馬鹿なんだろう、私ってやつは。
「それで、思い切って連絡してみたんだ。そしたら、会った今も、自分が思ってたより、すごく、ドキドキして。俺、やっぱり芽生のこと」
いやだ。もうそれ以上は聞きたくない。
「私は」
卓也の言葉を遮るように少し大きめの声を出した私を、卓也は驚いた顔で見る。
ごめんね、もう私は卓也の記憶の中の私じゃいられない。
「私は出来なかったよ。卓也と別れてからずっと、好きな人。いっぱい出会いの場にも言ったし、いっぱい紹介もしてもらって、色んな人を見てきたけど、いつも卓也と比べてた」
「芽生、それじゃあ」
卓也が希望を持った顔で、私に一歩近づく。私は首を横に振り、自然と体が一歩卓也から遠ざかる。
「芽生……?」
「結婚したいって、思えたんだね。私以外の人にも……。それで? その人にフラれたからって、戻ってくるんだ?」
「え……」
その顔、もしかして自分が言った呪いの言葉を忘れてる? 私が勝手に、本気にしちゃっただけ? ってまあ、そうなんだけど。
私たちだけは特別だって、なんでそんな思い上がっていたんだろうね。勝手に運命を感じていたんだろうね。
「私なら絶対にフラれないもんね。ありえないんだもんね。自分が傷つかなくて済むもんね」
「芽生ごめん、それは」
「謝らなくていいよ、実際そうだもん。こんな、何年も馬鹿みたいにずっと……卓也のこと……」
泣きたくなんかないのに、感情を言葉にして吐き出すと堰き止めていたものが一気に溢れていくように体がコントロール出来なくなって、勝手に涙が出てくる。だけどなぜか、目の前で狼狽えている様子の卓也が、少し可笑しい。
「卓也、どうしよう」
「え?」
「私、今ムカついてるかも。卓也の話聞いて。昔だったら絶対ありえなかったよ。卓也に少し思うことがあっても、それより好きが上回ってたのに、今、断然、ムカつく方が勝ってる!」
「め、芽生?」
ああなんだろう、笑えてくる。そう思えるようになった自分を、嬉しいとさえ感じてる。
「すごい! どうしよう! すごいムカつく! 都合良過ぎでしょって思ってる! まさかだよ! 私が卓也にこんなこと思って、それを本人にぶつけるなんて!」
もう自分でも何を言っているのかわからない。腹が立って、でも腹が立つことが嬉しくて、どこかスッキリもしていて、だけど涙が流れて。
「芽生、泣いてるよ」
卓也が私の涙を拭おうと近づいてくる。私は卓也からもう二歩下がって、あることを決める。
「卓也。私、明日……ぎゃっ」
急に誰かの腕が私の首に回って、背後から引き寄せられた。途端に体が動かなくなって、まるで羽交い絞め状態だ。抜け出そうともがいても、びくともしない。
「はいそこまで」
「……え、え!?」
顔だけどうにか動かして後ろを見ると、マスターがいる。
え、なんで。お店は!?
私も卓也も状況がわからずあたふたする中、マスターだけがいつもの低い声で淡々と話す。
「話終わるまで待っといてやろうと思ったけどやっぱ無理。寒い。早く帰んねえと雪やばいし」
「マスター、なんで……」
「話は後。断んだろ、明日のこいつとの約束。だったら帰ろうぜ」
「あ、え……ちょっ!」
マスターは無理矢理私を抱き上げる……というより最早担ぎ上げて、卓也に背を向ける。ひらっと、私のコートが捲れて、中に着ていたピンクのドレスが広がった。マスターはそれを見て、少し驚いたような顔をしている。
ああ、恥ずかしい。
「ちょっと! 誰だよあんた!」
卓也の声で、去ろうとしていたマスターが立ち止まる。
「こいつの行きつけのバーの店長」
「……自分で行きつけって言っちゃうんだ」
聞こえるかきこえないかくらいの、ひとり言のつもりで言ったのだけれど、マスターは素早く私の頭をチョップする。
「いたっ」
「黙って聞いてろ」
こんな小さい声でも拾い上げてしまうのだから、油断できない。
卓也はそんな私たちのやりとりを呆然と見ている。
そうだよね、いきなり知らない人が出てきたらそんな顔になるよね。
「おい元カレ。お前、こいつの好きな色、何色か知ってるか?」
「は? 色? なんですかいきなり」
「いいから答えろよ」
マスターに対して卓也と全く同じ反応を心の中でしながら、しかし「やっぱり」と、とある疑問が確信に変わる。
「……青じゃないんですか。部屋も青で統一されてたし今日だって青のドレスを……」
「はい、残念不正解! 一昨日来やがれ」
マスターは再び卓也に背を向けて、歩き出そうとする。私を担いでない方の手で器用に手を振りながら。
マスター、結構力持ちだな。
「は? どういうことだよ! おい!」
少し声を荒げた卓也に、マスターは大きなため息を吐いてまた立ち止まる。今度は卓也の方を振り向きはしない。
「こいつの好きな色、聞いてやったことあんのかよ。こいつがどうして動物園に行きたかったのか、聞いてやったことあんのかよ」
「な……」
それ以上何も言えなくなってしまったのか、卓也は俯いている。
ああ、痛いところ突かれちゃったのかな。でもよかった。まだこの言葉で思い当たることがあってくれる人で。
「おい、なんか言い残したことは」
「えっ。えっと」
急に耳打ちでこちらに話を振られたから、何も準備してなくて戸惑う。だってもう、マスターが代わりに言ってくれた。もうほとんど、気持ちはすっきりして落ち着いている。けれど、これから先もう会うこともないのかと思うと、何か一言言った方が良いかと思い、口を開く。
「卓也!」
私の声で卓也が顔を上げる。まだ一縷の望みにかけているような顔だ。今までの7年間はずっと、私があの顔をしていたというのに不思議だ。
「ごめん! もう誕生日も全部、連絡取るのやめよう!」
思いの外通る、スッキリとした声が出た。私の言葉で卓也はやっと少しの望みも残ったいないことを悟ったのか、がっくりと肩を落とす。笑っていいのか、でも可哀想だったかななんて思っている私の代わりに、マスターがケラケラ笑って、その声は夜の澄んだ空気に優しく溶けていくようだった。

その後私は友人たちに断りの連絡を入れ、今はマスターの車の助手席に乗せられている。車は渋滞に巻き込まれ、のろのろペースで動いている。なかなか車が動かないからなのか、マスターは少しイライラしている様子だ。
「あんた最後に言うのがあれって甘過ぎ。もっと言うことあんだろ」
いかにも納得がいかないという表情のマスターに、もしかしてイライラの原因は渋滞じゃなくてそのことだったのか? という考えが浮かんだ。
「だって、急にそんな出てきませんよ」
大体、ひどい言葉が言いたかったわけでもないし。
そしてマスターは私の顔を一瞥すると「それもそうか」とひとり言を言う。イライラとした表情はだんだんと柔らかくなって、少しだけ進んでまた止まった車の列を睨みつけることもない。
ということはやっぱり、私がまた言い足りてないと思って微妙な表情を浮かべていたのだろう。言われてみれば、私はマスターに出会ってからずっと卓也の話ばかりしていたし、たくさん迷惑をかけた。マスターからすればあれで終わりなのかと感じるのは当然だろう。
だけどなんか、マスターの顔を見た瞬間、気持ちが完全に昇華されちゃったんだよなあ。成仏したというか。
「……まあ忠犬ハチ公が飼い主に噛みついたと思えば上出来か」
「なんですかそれ。馬鹿にしてます?」
「うん」
「してるんかい!」
思わずツッコミを入れたところで、私はハッとする。
「そう言えばマスター、お店は」
マスターは私の視線から逃れると、私のコートの隙間から少しだけ見える、ピンクのドレスの裾を摘まんで質問を投げ返す。
「あんたこそ、青のドレスはどこやった? これピンクじゃん」
「ちょっと。はぐらかさないでください」
「あんたもな」
「私は、先に着てた青のドレスが二次会行く前に破けちゃったから、それでこのピンクのドレスを」
「ふぅん」
「ほら言いましたよ。マスターさっき言ってたじゃないですか。話は後って。なんですか? 聞かせてください」
「あれは別に、その場のノリって言うか。ちょっと言ってみただけで」
歯切れの悪いマスターに痺れを切らして、私はコートのポケットからクシャクシャの紙きれを取り出し、広げてマスターに見せる。バーでファッションショーがあったあの日から捨てられなくて取っておいたものだ。
ドキドキと、卓也に再会した時とは違う、浮ついた、それこそ色にすればピンク色のような心地で、心臓が跳ねる。
「その話って、これと何か関係ありますか」
「……なんだよそれ」
紙には「ピンク」と書き殴られている。あの日のファッションショーの投票で、この一枚だけが、何故だかずっと捨てられなかった。そして、ずっと、そうかもしれないと思っていた疑問を口にする。
「これ、マスターの字ですか?」
「……だったらどうする」
「え」
確かに。だったらどうするんだろう。私はこれを見た時、どう思った? これが、どういうものであればいいと思ってる?
「私はこれを書いたのがマスターだったら……」
私の視線から逃れていたはずのマスターが、いつの間にか、じっと私を見つめていた。コクリと生唾を呑み込んで、早鐘を打つ鼓動に急かされるみたいに、私は素直な気持ちを零す。
「なんか、嬉しい、かも」
「な……」
それを聞いた途端、マスターは黙って、咳ばらいをしたかと思えばウインカーを上げ、ちょうどすぐ近くにあったコンビニの駐車場に車を移動させた。
「マスター? トイレです、か」
私が言い終わる前に、車を停めたマスターの指が私の頬を撫でる。
「これは何泣きなの」
泣き……? ああそうか、私さっき、卓也の前でボロボロ泣いてたんだっけ。
自分ですら忘れていたけれど、頬にはきっと涙の跡が残っていたのだろう。マスターに触れられたところが、ほんのりと熱い。
自分の意思とは無関係に勝手に流れ出たものだったけれど、この涙に名前をつけるとしたら、それは。
「……嬉し泣き、だと思います」
「嬉し泣き?」
「嬉しかったんです。私もしかして、もう卓也のこと思い出して苦しくならなくていいのかもしれないって」
悔しいような、スッキリしたような、複雑で、だけど全ての感情を包みこんでいるのは嬉しいという気持ち。言葉にするなら、これが一番最適だと、言った後で気づく。
「つまり吹っ切れたと?」
「……多分」
「……あんたの希望、出来れば紹介とか合コンじゃなくて普通に生活してて普通に出会い、だっけ」
「……はい」
それまでじっと私を見ていたマスターが、急に顔を逸らして、ハンドルにもたれながら窓の外を見る。
「俺、それに当て嵌まるやつ、見つけちゃったんですけど~」
ふざけたような声色で言うけれど、マスターの耳は少し赤くなっていて、思わずクスリと笑うと、胸の中にぎゅっと、甘い気持ちが広がる。
「どこですか?」
私もわざとらしく、辺りを見回してみる。キョロキョロと車の中や窓の外を見ているとガッと頭を掴まれて、強制的にマスターと目を合わさせられた。目を逸らしたり合わせたり、忙しい人だ。
「おいこら」
「すみません。私、視野が狭いんでわからなくて」
いつかマスターに言われた言葉を、とぼけて使ってみる。
「あんたな~」
マスターは私の鼻をつまんで、グリグリと揺する。
なんだこの、甘い空気は。
グリグリもおさまって、マスターとまた目が合う。吸い寄せられるようにお互いに顔を近づけて、鼻先数センチのところまでくる。互いに目を見合って、目を閉じかけたその時、どちらからともなく吹き出してしまって、しばらく笑いが止まらなくなってしまった。
私たちにはまだ少し、そういうのは早かったみたいだ。
「コーヒーでも買って帰りますか」
「じゃああんたの奢りな」
「仕方ないなあ」
私たちは車を降りて、コンビニへと向かう。コンビニに入るまでの数メートルをじゃれ合いながら、雪に足跡をつけていく。
なんか、幸せかもしれない。
なんてことを思いながら、私はマスターを見上げて、笑った。

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