【小説】ふきのとうー沼の跡の話ー(下)
(つづき)
小屋の中で、男は薪をストーブに放り込んだ。ぱち、ぱち、と木の焦げる甘い香りが弾けた。肌寒い風に長い間あたっていたので、暖かい場所に入ると、僕たちは少し安心した。
ストーブの中から、男は丸く焦げた塊を三個、取り出した。まだブスブス音を立てている、真っ黒なそれを板の上で割ると、中から黄金色にほくほくに焼けた芋が出てきた。焦げの苦いにおいと、甘い香りが混ざりあって広がる。
「ほら、気を付けて食え」
男は、熱そうに黒い部分をはがすと、丸く削った木の皿に、どっかりと乗せた。白い湯気を挙げているそれの上に、匙で白いバターの塊をすくってのせた。バターは半透明になって流れ落ちた。僕は、男から渡された木の箸で、それを割って、口に運んだ。湯気が口の中で爆発した。
「あちちっ」
「だから、気をつけろと言ったじゃないか」
慌てる僕を、男はあきれた顔で見下ろしながら、コップに水を入れてくれた。隣を見ると、セツは箸でほくした熱い塊をほぐし、どろどろの白金色に融けたバターにひたして、ゆっくり口に含んでいる。
「おいしい。工場から運ばれてくるジャガイモより、ずっと甘い」
「そうだろう。冬の間、地下で保管していたからな」
男は、上機嫌で目を細めた。
彼は、ノムといった。彼は沼の跡の保護地区の番人をしている。まだ大きな沼がここにあって、春と秋に鳥が渡ってきた頃から、動物、植物や虫たちのことを調べて、たくさんの報告書を鋸いていた。電子ノートに昔の植物や動物の記録が残っていたのは、彼と同じように調査をして、記録を残してきた、多くの人たちのおかげだった。
しかし、調査用ロボットも多く開発されてるようになってからノムは仕事を失った。彼が六十歳になる手前だったという。でも、彼はすぐに呼び戻された。
「生き物たちの動きは複雑なんだ。ロボットで管理するなんて、絶対無理だね」
彼は、得意げに言った。安い給料で仕事を受ける代わりに、ノムは二つ条件を出した。一つは、保護地区のそばの土地に自分に住まわせ、土地の中では自由に作物を作ったり、木や草を採っても良い、ということにすること。そしてもう一つは、保護地区内に入る時、電子ノートの電源を切ること。保護地区の動物たちは、微妙な電子音に反応し、パニックを起こすことがあるからだ。
「俺も、この場所の生き物も、邪魔なものに振り回されたくないんだ」
それが、彼の言い分だった。
管理部の人間は、それを了承した。その代わりに、ノムはGPSつきの人工心臓を付けられた。ロボットと同じように半永久的に生き続ける、そして彼は保護地区の管理人になり、今年で百十五年近く生き続けてきたことになる。
「不死身の身体になった代わりに、この土地を借りられたのさ」
胸をたたきながら得意気に言い放つ彼は、どこか寂しそうだった。
「そうだ、ちょっと待ってろよ、ふきのとうを探していたって言っていたな」
彼は立ち上がって、外に出ていった。しばらくして戻ってきたノムの手は土まみれで、手の中には、まだ開いていないふきのとうが五,六個入っていた。
「本当にいいんですか」
目を輝かせる僕たちに、ノムは得意げに言った。「持っていけ。その代り、条件がある」
彼は、僕たちをまっすぐに見つめた。
「これからも道の途中で見てきたもの、聞いたもの、食べたもの、全部忘れるな。電子ノートなんか頼るな。覚えていられる限り覚えていろ」
彼は、僕たちの背を、ぽん、と叩いた。
「よし、それじゃ、送っていってやるか」ノムは、軽トラックの荷台に僕たちを積むと、ゆっくり道を走り出した。背の高い荷台から見える保護地区内の草原はどこまでも広く、点々と黒く背の低い木が生えている。
急に、空から、ゴゴゴゴゴ、という雷のような音がして、空から茶色いバレーボールくらいの大きさの鳥が落ちてきた。
「オオジシギだ」
僕は叫んだ。昔、電子絵本で見たことがある。僕は小さい時から鳥が大好きで、電子図鑑や遺伝子研究施設で観た鳥の名前を、かたっぱしから覚えていた。
「おっ、知ってるのか」
ノムは、嬉しそうな声を上げた。
「はい、図鑑で観ました。カミナリシギって呼ばれているんですよね」
「ははは、次にお前たちに俺が俺に会う時は、俺の心臓を止められる時かもしれないな。『お前を越える奴が現れたから、お役御免だ』なんて言われて」
「そんな寂しいこと、言わないで下さいよ」
「せっかく仲良くなれたのに、また会いたいです」
僕が叫ぶと、セツも一緒に泣きそうな声を出した。
「おう、じゃ、また会いに来いよ。早く俺を越えて、俺をここから解放してくれ。そうしないと、また何十年も何百年も生きないといけなくなるからな」
そう言うと、ノムは豪快に笑った。その目に涙が浮かんでいたことを、荷台の僕たちは気づかなかった。
翌朝、僕らは早く起きて、萌ばあちゃんの住むアパートを訪れた。朝食の栄養ゼリーを食べていたばあちゃんは、僕たちを見てとても驚いた顔をしていた。
「ばあちゃん、フキノトウだよ」
僕らは、介護用ロボットに頼んで、萌ばあちゃんにフキノトウを見せた。
『シュウ酸が多いので、食べすぎに注意ですよ』
ロボットは、手際よくフキノトウの味噌炒めを作ってくれた。萌ばあちゃんは箸の先でフキノトウをつまむと、ゆっくり噛みしめるように口を動かしながら、微笑んだ。
「ほろ苦いね。本当のフキノトウの味だ。懐かしい。子どもの頃を思い出すよ」
懐かしそうに喜ぶ萌ばあちゃんと見て、僕は不思議な気持ちになった。どうしてだろう。ほろ苦いが美味しくて懐かしいって、どんな感じだろう。
突然、萌ばあちゃんがつぶやいた。
「ユウ、もしかして、沼の跡のノムさんの所に行ったのかい」
僕とセツは、ぎくりとして互いの顔を見合わせた。その様子に気付いたのか、萌ばあちゃんは、あきれたように笑った。
「本当に、無鉄砲なことをして」
萌ばあちゃんは怒ったかと思うと、急に顔をくしゃっとさせて泣き出した。
「ノムさんは、私のお父さん、つまり二人にとっては、ひいおじいちゃんなんだよ。私が十八歳の頃にお母さんと離婚して、沼に住み着いたの。それからずっと会っていなかったけれど。ああ、二人はお父さんにそっくりに育っちゃった。本当に困ったものね」
萌ばあちゃんは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま僕たちを抱き寄せて、頭を乱暴に撫でた。僕とセツは驚きながら、互いに目と目を合わせて微笑んだ。(昨日と今日のこと、忘れないようにしよう)(そうだな。いつまでも、覚えていよう)
○補足○
この作品は、室蘭同人誌「ざいん21号」に掲載した同名の小説を改編して短編化し、FMとまこまい「ラジオ朗読 bedtime story」にて朗読していただいたものです
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