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窗辺茶話(そうへんさわ)其の弐 茶色はどうして緑ではないのだろう

お久しぶりです。ロックンロール三輪そうめんです。

さて何から書き始めようとぼんやりしてたらこんなに経過してしまいました。
どうにも時間の流れがコロナ禍になって掴めなくなっています。言い訳半分ですが…

急に涼しくなってきたので温かなお茶で身体を温めてくださいね。

ところで、題名の通りこんな疑問を持ったことはありませんか?

茶色はなんで土みたいな色なんだろうって。

お茶の色ってまず思い浮かべるのは緑色ではないでしょうか。
急須から淹れる煎茶も、甘味処でいただくお抹茶も緑色。ペットボトルでの緑茶飲料の会社も凌ぎを削って緑色のお茶を目指しています。

結論から言ってしまえば、茶の色は土のような茶色だったからです。

はてな?ですよね。

私たち日本人は日本のお茶というと玉露や煎茶、抹茶が代表選手として翡翠色の美しい水色(すいしょく)を思い浮かべることでしょう。

しかし、年中緑色のお茶がいつでも愉しめるようになったのは保存技術の発達した現代のことです。
緑茶も抹茶も光の当たる温度差のある常温で保存してみてください。
あっという間に綺麗な緑は失われてくすんだ色になってしまいます。

以前、先代楽家当主(千家十職と言われる、各種道具を代々作る名門)の楽覚入氏の講演で黒い楽茶碗は緑色を引き立たせると思うのは間違いだとおっしゃっていました。
何故なら茶の緑色の時期は非常に短いからです。

なかでも特に抹茶は緑色で愉しめる期間は少なかったのではないでしょうか。茶葉は時を追うごとに色褪せます。
茶の湯の世界では新茶の季節に作られた抹茶用のお茶(碾茶という)を厳重に包装して茶壷に詰め、空いた隙間には煎茶を詰め込んで11月の炉開まで管理された場所で寝かせます。寝かせたお茶はまろやかな深い味わいになるのです。
この時期は茶の湯の正月とも言う時期で壺の口切をして新しい緑の茶を祝いながら楽しみます。

また、新茶を楽しむ慣例としてこんな童歌も残っていますね。

 ずいずいずっころばしごまみそずい
 茶壷に追われてどっぴんしゃん

これは5月頃ら宇治から江戸幕府に届けられた新茶のお茶壷道中を歌ったとのこと。この道中は公家や大名レベルでとても権威が高かったそうで、行列が来ると庶民は家の戸を閉じて篭りました。
それくらい緑の新茶は高級品であったことも表していますよね。

さて話が前後しますが、炉開きの前は『名残の茶』と言って、もう緑ではない茶を惜しみながら暮れゆく季節を偲び茶を飲みます。むしろ、暖かな春や夏を越えて緑の鮮やかな時期はあっという間に過ぎてしまったのではないでしょうか。

茶は茶色だったと言う由縁はこのようなことだろうと私は思います。

またもう一つの説として、庶民は番茶と二番目以降に採取される茶や自家栽培の茶を焙じたり(焙じ茶)、燻したり(京番茶)、果ては発酵(碁石茶、阿波番茶など)させたりと保存も効くように長く生活に馴染む茶として加工して好みました。
まさしくそれらは茶色というに相応しい色ですから、これも語源ではなかろうかとも思います。

余談になりますが、江戸時代の中期に贅沢が禁止された時に愛されたのが鼠色と共に茶色のコーディネートでした。海老茶、鶸茶、白茶、鶯茶、海松茶…限りないバリエーションで贅沢に見えないお洒落を楽しんだのでした。
茶色は庶民の見方だったわけですね。

近現代に入り、紅茶や中国茶に台湾のお茶、はたまた世界各国のハーブ系のお茶などたくさんのお茶が私たちの生活の中に入ってきました。
また、日本古来の薬草茶もペットボトル飲料などで認知されて健康茶として親しまれています。
和紅茶も最近のブームで茶農家さんは工夫をされています。

緑にさまざまな茶色や果ては金のような色も、ハーブティーは青やピンクなどもありますね。
それぞれが美しい茶の色であり、目を楽しませてもくれます。

お茶の味や薫りを楽しむとともに、茶の色にも目を向けて楽しんでみてくださいね。

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