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カリブ諸島マルティニーク島を知っていますか?悲しい歴史についても解説

こんにちは、ひろぴです。
みなさん、マルティニーク島ってご存じですか?

「え?聞いたことない・・・どこにあるの?」

おそらく、この記事を読んでいる99.9%の方が、そう思っていると思います。(笑)

実はその、誰も聞いたことのない島「マルティニーク島」で私の夫は生まれ育ちました。地球儀でいうと、アメリカ大陸と南米の間、カリブ諸島に位置します。

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引用元:グーグルマップ

ちなみにですが、2021年のトリップアドバイザー「今後注目の観光地ランキング」で1位になりました!!(パチパチッ)

【今後注目の観光地 世界トップ25】
1.マルティニーク、カリブ諸島
2.パナマシティビーチ、アメリカ
3.アルマサン ドス ブジオス、ブラジル
引用元:やまとごころ

日本からカリブ諸島って、遠いよね?

と感じる人が大半だと思います。ですが、今後日本人の働き方、ライフスタイルが変われば、カリブ諸島に行くことは案外身近になるかもしれません。

この記事では、マルティニーク島を少しでも身近に感じてもらうために、どんな島なのかを、島の歴史を含めてご紹介します。

サーッと読めるので、どうぞお付き合いください。

コロンブスも絶賛した「世界で一番美しい島」マルティニーク島

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「2015年、マルティニーク島のビーチ」

それではさっそく、マルティニーク島をご紹介していきます。

マルティニーク島の紹介

マルティニーク島:カリブ諸島に位置する島で、フランス海外県の1つ(元フランスの植民地)
気候:1年中気温が高い、常夏
大きさ:札幌市くらい
公用語:フランス語
現地の言葉:クレオール語
日本との時差:13時間
主な産業:サトウキビ、ラム酒が有名、他にもバナナ、パイナップルなどが経済の中心
伝統音楽:ベレ・zouk(ルーツはアフリカ)
文学:エメ・セゼール ー 詩人&政治家
    フランツ・ファノン ー 精神分析家&革命家
日本からマルティニーク島:アメリカorフランス経由。飛行機に乗っている時間は計22時間位。パリ経由は日本からだと丸2日かかる。カナダからも直行便が出ている。

コロンブスが 1502年6月15日に上陸し「世界で最も美しい場所」だと絶賛したそうです。そんな美しい島に暮らしていた先住民たちを、1658年にフランス軍は一人残らず虐殺。島にもともと暮らしていた先住民は絶滅したといわれています。現在住んでいるマルティニーク島の人たちのルーツは、アフリカからの黒人奴隷です。

アフリカからの奴隷貿易よるサトウキビプランテーション農業によって、フランス本国に多大な利益をもたらします。

マルティニーク島の悲惨な歴史&今もなお続く植民地支配

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「黒人奴隷貿易時代を象徴するモニュメント」
下を向いている姿から、辛い歴史があったことが想像できます

私が現地にいって感じたことは、フランスの植民地支配はまだ続いている、ということです。

というのも、奴隷貿易時代に黒人を奴隷として使用していた白人オーナーの子孫がまだ残っていて、マルティニーク島の経済を支配しているのです。植民地支配をしていた白人のことを、現地の人は’’ベケ’’とよばれ、今残っている白人家族は3家族。

マルティニーク島にいって【違和感を感じたこと】は特にこの2点。

・お土産店に入っても、白人オーナーが多い
・物価が高い

お土産店の店主は、ほぼ白人オーナー

私はこのことにかなり違和感をもちました。南国の明るい雰囲気と裏腹に、辛い歴史の面影をかいま見たような気がしたのです。また、私の夫は迫害を強いられてきた側の人間なので、正直「白人オーナーの店でお金を落としたくない」と思ってしまいました。

白人至上主義社会のマルティニーク島について現地の人にきくと、こんな答えが返ってきました。

「アフリカから強制的に連れてこられた自分たちの祖先が、厳しい労働にたえ、奴隷時代を生き抜いてきたこの土地を守りたい

「自分が生まれ育った島が好き。だけど、自分が生まれ育った島なのに、帰る場所がないことが悲しくて、くやしい

日本人の私達には、到底理解できない心の葛藤です。

マルティニーク島の物価が高い理由

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「クリスマス料理」
(写真左:豚の足のスープ 写真右:豚のしっぽスープ)

先にも書きましたが、マルティニーク島は島国ということもあり、物価が高いです。例えば、なぜかマルティニーク島で製造されているチョコレートが、フランスより高かったりします。

なぜ、マルティニークで製造されているチョコレートがフランスより高く販売されているのか?

それは、奴隷貿易時代の白人オーナー「ベケ」が島の経済を支配しているからです。

・輸出入もすべて管理しているのはベケ
大型スーパーのオーナーもべケ

カリブ諸島の近隣の島とも自由に貿易もできず、フランスの食料品などをわざわざ輸入せざるを得ません。結果、ベケがフランスから輸入したフランスの食料品を、強制的に買わされているわけです。

奴隷貿易が完全に終わったのが1848年5月22日。
173年経った今でも、未だに白人支配者の搾取は続いています

ローカルなものをもっと食べるべきなのに、学校給食ではフランスから持ち込まれた食材によって調理された料理がでてきます。

旬な食材が手に入るのに、わざわざ輸送コストをかけて、鮮度にかける食べ物を口にしないといけないのか?

普通考えて、マルティニークの人たちにとってメリットが一つもありません。

そんな状況に今、マルティニークの若者が反論をし始めています。

実際に今、コロナな影響もあり、マルティニーク島では、フランスからの食料品を買わないように自分たちで自給自足をする人たちが増えてきています。夫の友人は、スーパーで食料品を買わなくていいように、完全自給自足を目指しているそうです。

その土地で採れた物を摂取する「地産地消」「自給自足」の生活を意識して取り入れることが、 白人至上主義社会への反論であり、マルティニーク島の政治、生活を変えていく第一歩なのです。

まとめ

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「辛い労働を救ったのは音楽」

私も、マルティニーク島生まれの夫と知り合ってなかったら、マルティニーク島に興味をもつことも、知ることもなかったと思います。

美しすぎる島の歴史には、今も続く黒人奴隷制度の傷跡が消えません。

日本で暮らしていると、自分で興味をもって情報を集めない限り、海外で起きていることには無関心になりがちです。旅行に行く時も、その国の歴史を事前に勉強しておくと、旅行をした時に見聞きする情報のとらえ方がかわると思います。

カリブ諸島は「海がキレイで、ゆったりとした時間の流れを感じられる楽園」というイメージが強いかもしれません。確かに、日本とは全く違う空気感で、開放的なのは確かです。しかし「辛い歴史もあった」ということを、日本人の方にも知ってほしいのです。

黒人奴隷として、あれだけの辛い労働に耐えた祖先をもつマルティニーク島の人たち。ただ、そんな辛い歴史もありながら、本当にみんな陽気で明るいのです。

当時の彼らの、苦しくて厳しい生活状況を知れば知るほど、こうして平和に一日を終えられることに「もっと感謝しなければいけない」と今日も思うのです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
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次回は、自然に寄り添うマルティニーク島の暮らしをお届けします。
興味のある方は、また遊びに来て下さいね。

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