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ネットにいるデザイナーの言っていることがわからない

こんにちは。B2Bサービスのデザインをしているマドレーヌです。

今回はツイッターやnoteで他のデザイナーを見ていて「なんか自分から見える世界と外が違うな?」と思うことを挙げていきます。

説明はわかるが意図がわからない

各サービスで、沢山の「いいね」が付いた記事の中に、まれに理解できないものがあります。
もちろん日本語としてはわかるし、具体的な固有名詞やツールは知っているのに、どうして「わからない」んだろう?と不思議になります。

🤔 1. UXデザイナーの言っている「設計」がわからない

UXの専門部署がある組織では、UXデザイナーは「要件定義」や「設計」と呼ばれるプロセスを担当していることがあります。
ここでいう「設計」とは何を指すのか、ずっと探り続けて答えが出ません。

「エラーハンドリング用のナビゲーションは、
 実際にユーザが体験するUIの一部だけど、デザイナーが気にしなくていいの?」

「実装に依存するようなユースケースやUIは、どうやって設計しているの?」

上記のような問をいくつかのイベントや懇親会で質問して、得られた答えは下記でした。

・エラー時のナビゲーションはエンジニアにおまかせ
・細かいことは考えたい人に任せればいい。役割は重要じゃない
・それはデザインじゃなくてプログラミングです

ソフトウェア開発の超上流工程と捉えれば、UXデザイナーの指す「設計」とは「要求の定義」だろうと考えた時期もあります。しかし「設計」が「要求」だとして、簡単に思いつく詳細度までの要素還元も不要とするのであれば、やはり似て非なるもののようです。
このあたりに、自分のイメージする「設計」とUXデザインで指すそれの通約不可能性を強く感じます。

🤔 2. グラレコがわからない

グラレコのイベントに参加したことがあります。参加者の想いが具現化して絵心の効いたイラストになっていくのは、UMLや表を書くのとはまるで違う高揚感と達成感があります。
一方で、人間の思考はとても不正確です。常に矛盾をはらむ事が自明と言えます。ホワイトボードに描かれた事象や、アイデア同士の関連や論理に埋め込まれた飛躍や矛盾をどうやってグラレコ上で訂正していくのかが見えてきません。

これは端的に、「書いた後どうなるの?」という疑問に帰結します。参加者の共感と合意形成があれば、ロジックに疵がある戦略であってもアウトプットとして完成してしまうはずで、一般にそれは集団浅慮と呼ばれる合議制のアンチパターンとしてひろく知られています。そういった状況で生まれたアウトプットがあるとしたら、その辻褄を合わせるのは一体誰の役目なのか、答えが見つけられませんでした。

🤔 3. デザイン思考がわからない

デザインスプリントなどを通して、デザイン思考を活用したことはあります。これも、2のグラフィックレコーディングと同じような悩ましさを自分は感じます。

グラレコの疑問と違うところは、具体的なプロダクトのデザインもデザイン思考を使ってすすめるケースがある点です。
私の実績ベースでは、デザイン思考と相性の良さそうな一連のワークショップは、参加者の思索力やハードスキル、頭の回転の速さなどの要因がモロにアウトプットの品質に寄与していました。

毎回、百戦錬磨のデザイナーやエンジニア、敏腕営業マンだけ集めて実施するなら大成功すると思います。では、制作や開発がそういった条件下にない場合、デザイン思考を使って行われるプロセスはどうなっていくのでしょうか?

🤔 4. 「ユーザー第一」がわからない

ユーザーに対してソフトウェアが「おもてなし」することを良しとする論調の源泉がどこにあるのか気になっています。
例えば、ビジネスゴールに関係するような操作をしたときや、想定できる異常系ユースケースが起きたときです。フレンドリーな言葉で慰めてくれたり、テンションが高まる人間味あふれるインタラクションで「おもてなし」するUXのプラクティスをよく見かけます。

ソフトウェアと人間の関係について、自分はどう考えているんだろう?と反省すると、Wheels for the Mindのイラストが頭に浮かんできました。熱心なアップルファンではありませんが、Macintoshが世に出た頃のイラストらしいです。これは初見で痛く感心しました。車でなく自転車なのがポイントです。

鉛筆や自転車などのモノは、使ってる最中は体と一体化します。使っているあいだ存在感が薄くなるとも言えます。鉛筆の黒鉛に指示をだして字を書かせてるなんて思いませんよね?鉛筆なら先が丸まったり、自転車ならパンクしたときに、改めて自分と別の存在だと認識し、対峙することになるはずです。

逆を考えたいと思います。曲がりたい時に自転車が話しかけてきたり、スピードアップしたら褒められたりして、嬉しいでしょうか?

そもそも、なぜソフトウェアに擬人化が必要なのか、私はまるでわかりません。Wheels for the Mindでは、人間とコンピュータが向き合うのでなく、コンピュータが漕いでいる自転車のように人間の一部となり、人の能力を拡張することを示唆するように映りました。
ユーザー第一というのは、困った時以外ソフトウェアの存在感がユーザーの前に出ず、コンピュータの複雑さを全て隠蔽し、あたかもユーザーの頭の中と地続きであるかのように振るまうことだと思っていたため、「UXでおもてなし」的な言説の向かっている方向が見えてきません。

総括

上記で挙げた不明点のうち、実践中に解決方法を編み出せば済むものは沢山あります。どのような方法論やフレームワークも無謬ではありませんし、解法の与えられない課題はむしろ大好物です。
わからないのはそこではありません。これらの概念や方法論がどのような考えをもつ人の価値観から生み出され、共感を得てきたのか?です。
答えは出ませんが「そんなふうに思う人もいるんだな」くらいに受け止めて貰えれば幸いです。