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TCGの上達、あるいは永遠に上級者に追いつけない中級者について

中級者が上級者になれない理由

私たちはすさまじい偉業を成し遂げたことがある。言語の習得である。生まれてからわずか数年で母国語(おそらくは日本語)を独学で短期間で習得した。数年で言葉を学びネイティブレベルの能力を獲得するのが困難なことは、英語学習で苦心して嫌と言うほどわかっているのは私だけではないはずである。さて、我々は二歳から五歳にかけての言語の習得において極めて優れたパフェーマンスを発揮したが、それに比べて20歳から23歳ではどうだろうか。人生経験が多少増えてちょっと含蓄のあることを言うようにはなったかもしれない。だが、一部のそのために特別な努力をした人を除き、素晴らしい文学作品を創作できるようになったり、心を揺さぶるスピーチをする術を学んだりはしていないだろう。赤ちゃんの時の我々は日常的に自分より遥かに優れた日本語話者と接してそれを真似することでその能力を獲得した。しかし、優れた文学作品を書く人や心を揺さぶるスピーチをする人は滅多にいないから、とても運がよいか意識して努力しなければ自然とはそれに近づけない。いわんや、それと肩を並べたり、追い越そうとしても、赤ちゃんのような真似だけでは永遠に到達できない。

何を仰々しい言い方で当たり前のことをと思ったかもしれないが、しかし、私が観測する上級者になれない中級者というのはこの構造である。初心者から中級者になる過程で勝率を上げてくれた方法に固執するがあまりこの本質は視野から外れがちだ。ことカードゲームにおいては、質が悪いことに「初心者→中級者」の成功体験が定期的に繰り返される。新しいカードが出て環境が変われば、同じやり方である程度までまた腕が上がり、なんだかわかったような気になる。この繰り返される初心者→中級者の成功体験により、初心者→中級者の過程で勝率を上げてくれたやり方を信じ切っている。これで勝てるようになった、いずれはいつも勝っている人たちの仲間入りをできるんじゃないかと。しかし永遠にそうはならない。

定期的なカードプールの変動によりある程度の能力のリセットが起きるカードゲームにおいて、短期間で勝率が上がること自体は無意味である。なぜ勝率が上がったか、その理由を持ち越し可能な部分に還元できてはじめて、長い目で見て意味のある努力になる。

世界の形、中級者はどのように上級者に差をつけられているか

カードゲームはカードプールが固定された短期のゲームの連続である。短期のゲームの中での試行錯誤を効率化し、その期間での最大の勝率を追求する。

ではこの短期で世界はどんな形をしているだろうか?

このように練習すればそれだけ勝率が上がって行く、だから、この上がり方に差はあっても、オレンジの線の人は練習を続ければいずれはもっとうまく…という考え方が誤りだということは述べてきた通りである。

では世界はどんな形をしている?

カードゲームというのは、有限な選択から何かを選ぶことを繰り返す性質上世界のどこかに勝率を最大化する戦略が存在する。この戦略を選べた場合を正解、それ以外を不正解とするならば、「どれだけうまくプレイできるか」は何度不正解を選んだかによって減点法で決まる。

ゲームのうまさ = 選択回数 ×(1-ミス率)

ではミス率と練習時間にはどのような関係があるだろうか?仮に1ゲームに20回ミスをしていたプレイヤーが10時間練習して1ゲーム10回しかミスをしなくなったとしよう。ではこの人がもう10時間練習したらもう10回ミスが減って全くミスをしなくなるかというとそんなことはありえない。言語学習の例に戻れば、生まれたばかりの赤ちゃんは全ての単語を知らないのだから、聞いたこと全てが言語能力を向上させてくれる。しかし20歳にもなれば知らない単語を耳にする日の方が少なくなる。これと同じく、ゲームも初めの数試合は初めて遭遇することばかりで全てが学びになる。それが何十何百と繰り返せば、見たことのあるような場面が増え、何かを学べる機会というのは減っていくものである。

プレイをしているとある確率でなんらかの間違えをするような場面に遭遇し、ある確率でそれに気づく。ここは足し算引き算ではなく掛け算割り算で考えるべきである。練習を気づいていないミスに気付くための試行とするならば、20回のうちの10回、つまり半分の数のミスに気付いた時間ともう同じだけ練習したとして、気付けるミスはせいぜいその半分である。だから、その後のミス回数はせいぜい5回までしか減らないだろうと予測できる。(慣れによるミスの減少はとりあえず考えないものとする。)

練習してミスを半分に、もっと練習して半分に、さらに半分に、となっていく。だから練習時間に対するミス率はこんな形をしているはずである。

であれば練習時間に対する実力は

実力 = 1 - ミスの見落とし率^練習時間

となるはずである。半分の確率でミスを発見できる場合、逆に言えば半分で見落とすから、見落とされたミスが残留し、また半分が残留しと繰り返していくわけだ。

これを練習時間に対する実力として図にすると、このような形で実力差は出るはずである。事実として、時間につれて時間当たりの実力の上昇幅は減衰する。

中級者から上級者になれるかもしれない方法

この差のつき方を前提に考えていく。

チーズの穴を塞ぐ

収束する場所は人によって違う。

なぜか?

ミスを半分にした練習時間をもう同じだけ練習してもせいぜいその半分と書いた。そう、せいぜいである。さらにもう半分には普通ならないだろう。これは、ある程度やって気づかなかったミスは永遠に気づかない可能性が高いからである。考えてもみて欲しい、100回見て気づかなかったことをもう1回やったところで気づくだろうか?例を挙げるならば、毎ターンカードを出して攻撃するのが当然だと思っているプレイヤーが、1ターンカードを出すのをやめた方が結果的にいい場面に遭遇したとして、気づくわけがないだろう。

自分では気付けないミスがある、これはよくチームでプレイを観戦して指摘し議論しながらやるのが良いと言われる理由だ。あなたが気づかなかったミスもあなたの友達なら気づくかもしれない。

Wikipediaから引用

リスクマネジメントのモデルにスイスチーズモデルというものがある。これはリスクへの対策を穴の開いたチーズに喩えたものである。チーズ、つまり対策を重ねれば、失敗をフィルターできる可能性は上がるがそれは絶対ではない。同じ場所に穴があれば通り抜けてしまう。

人にプレイを見てもらうのもこれと同じである。自分のプレイを見直してみることもチーズを重ねることに該当するが、自分で用意したチーズはまた同じ場所に穴が開いていることが多い。しかし、他の人のチーズであれば穴が重なっていた場所が塞がっている可能性が上がる。より趣向や考え方が違う人は大きく形の違うチーズを持っているだろう。チームの多様性が重要というのはこういうことだと私は理解している。

効率良く石を拾って、ドラゴンボールを集める

この過程は、始まりの方と最後の方では随分ゲームの性質が違うのがわかるだろう。

始めの上昇幅が大きい段階と実力が限界に近づき、上昇幅が小さくなった段階である。

始めの上昇幅が高い段階で重要なのは効率である。いかに目の前に広がる上達のヒントを拾うか。何をしてもうまくなるのだから、うまくなることそのものに大した意味はない。効率よく吸収すること、もっと言えばうまくなることをうまくなること。

抽象度を上げること、理由へ遡って考えることはそれぞれ答えのうちの一つだ。一つの具体的な盤面でカードA, Bのどちらを出そうか考えているとしよう。ここで仮にAを出したほうが良かったとして、その事実を知っただけでは大して応用は効かない。しかしここで、「Bのほうが有効で、既に有利な盤面では弱い方から出して効率的な交換をさせない方がよいから、Aから出す」というように抽象化して理由から理解すれば、正しく判断できる場面は大幅に増える。

具体性の高いレイヤーでの理解では1件でも、抽象度を上げたレイヤーでは10件を包含するかもしれないし、もう1段上げれば100件を包含するかもしれない。より高い抽象度で理由からものを見る人は具体的な一つの発見からでも100を学んでいる。本記事を書くきっかけになった記事引用されている記事では、下手な人は自転車に乗っていてうまい人は飛行機に乗っているという喩えがされていている。これは言い得て妙だ(私と同じことを指しているかはいまいち自信がないが)。一つの事象からせっせと一個学んでいる間にうまい人がそれを抽象化し一般的な100倍の範囲の事象について拡張していれば、それこそ自転車と飛行機ぐらいの速さの差がある。

さて、この上昇の勾配が大きい部分を登れば極めてゆるやかにしか実力が上昇しない段階へ突入していく。ぱっと見で気付けることはもうない、なんなら見たことや想定済みのことばかりが起こる。石ころのようにそこら中に転がっていた成長のヒントはすっかり拾いつくし、世界のどこかにあるドラゴンボールを探しに行くような状況にゲームは変わった。同じような場所を探し続けて運よく成長させてくれる何かが見つかるのを待つのは効率が悪い。

まだ探していない場所を探しに行ったほうがいい。違うカードを使ってみる、いつもはしないプレイをしてみる、当然だと思っていたことを疑い、考えたことがないことを考えるべきだ。深く覗き込まなければ見えない場所を覗いたほうがいいし、誰も探したことのない場所を探せれば最高だ。そこで何かに気付くことがオリジナリティーであり、具体性の高いレイヤーでの真似だけでは永遠にたどり着けない場所である。スーパーサイヤ人にはなれないかもしれないがカードゲーム上級者程度なら名乗って差支えなかろう。

終わりに

中級者が上級者になれない理由というテーマで書いた。前章は「中級者から上級者になれるかもしれない方法」である。「中級者から上級者に絶対なれる方法」とした方がキャッチーでバズると思うのだが、かもしれないに過ぎないのだ。結局私もあなたの認識の漏れを塞いでくれるかもしれないチーズを一枚被せただけ。私のチーズはあなたのチーズの穴を塞ぐ部分があるかもしれないし、塞げない部分もあるだろう。結局みな、具体抽象の様々なレイヤーでチーズを重ね続けるしかない。

最後に別の形のチーズをくれるであろう記事をいくつか紹介して終わる。

この記事のきっかけになったもの。タイトルのように初心者→中級者対象であり、私のものよりも具体性が高く参考にしやすいだろう。初心者→中級者の過程で考える姿勢を付けることが重視されており、三輪車から自転車に言った後にすんなりと飛行機に乗り換えられそうなのが良いところだ。

成長のし方の変化について述べられたうえで、本記事では「ミスをするかどうか」と端折った部分が丁寧に択の発見とそれを選ぶことに分解して述べられている。これがあったらこの記事の後半いらないんじゃない?消すか?と思ったぐらいいい記事だったのでおすすめ。

潜在的・顕在的ミスという観点でプレイヤーレベルやそれに向き合う姿勢について述べられている。良いチーズ。

スイスチーズモデルの参考にしたキーエンスのページ。工学系のモデリング手法や方法論は厳密さや再現性に優れるものが多く参考になる。

本記事はこれで終わるが、 #一般TCG理論 としてより多くの人に届いてまた続いていけばいいと思う。私の出身のMTG以外のプレイヤーにも見てもらえてたら幸いである。長らくMTGしかやっていなかったが最近は別のゲームをやりたい気が少ししてきている。デジタル版があるドラゴンボールには期待しているところだ。そちらででも縁があれば仲良くしていただきたい。先行ベータ公開は終わってしまったが、すぐに本リリースのはずだ。チーズでも食べながらドラゴンボール集めに励むとしよう。

GL!

おもろいこと書くやんけ、ちょっと金投げたるわというあなたの気持ちが最大の報酬 今日という日に彩りをくれてありがとう