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デッキアイデアの作り方

アイデアとTCG

最近 #一般TCG理論 というのをはじめ、せっかくだから伸びて欲しいとコピーライトの勉強を少ししている。そこで学んだアイデアという概念についてTCGの文脈で解釈してみたい。

知識は、よく消化されて、最終的に新鮮な組み合わせと関連性をもった姿となって心に浮かび出てこなければ意味がない、
(中略)
アインシュタンはこれを直感と呼び、直感だけが新しい洞察へ到達する唯一の道だと言っている。 

ジェームズ・W・ヤング著、今井茂雄訳、アイデアのつくり方 p6

大学院生というのをやっていると、未だに世間一般から研究への理解がないと感じる機会がよくある。尊敬する博士卒の先輩も、在学中はよく「勉強が好きなんだね」と言われたらしい。研究と勉強とは違うものなのであるが、学生とは教科書に書いてあることを覚えていくものという観念がありこういった誤解が広くされているのだと思う。そのような背景もあり私は引用した部分に惹かれた。アインシュタインともなれば、流石に世間一般でも「勉強が好きな人」では済まされないでしょう。そのアインシュタインが、直感の重要性について述べている。研究とはつまり、仮説となる新規なアイデアがあって始まるものであり、それは決まった過程をなぞるお勉強とは違うということをよく示しているだろう。

さて、研究や博士学生の誤解に対する啓蒙はさておき、この構図はTCGにも見られる。「決められた筋道をなぞることからスタートするため、最後までそうではないにも関わらず、アイデアというものが蔑ろにされる」という構図である。決められた筋道とは、初めにルールやカードテキストを覚えることであり、そこから定石を覚えるようなことである。問題と正解のペアを覚えるようなプロセスである程度のところまではいく。しかし、パターン数が膨大なデッキ構築であったり、本来と異なるカードの使い方を本番でする(例:自分のクリーチャーに除去を使い誘発でリーサルを取る)プレイなんかは創発的なアイデアが必要になる。(問題と正解のパターンの暗記に限界が来ることにしっくりこない人は付録を参照。)

「アイデアのつくり方」でアイデア作成の基礎には二つのことがあると述べられている。一つ目は「アイデアは既存の要素の新しい組み合わせである」ことで、二つ目は「新しい一つの要素へ既存の要素を導く才能は既存要素の関連性を見つける才能に依存する」こと。もうカードの話にしか見えない。既存のカード同士の関連性を見つけて新しいデッキを導き出すことと多くを同じくしていそうだ。

この関連性が「アイデアのつくり方」を通してのキーワードだ。

少々回りくどい前書きになったが、TCGで一定以上のステージへ行くと、既にあることを学ぶよりもアイデアが重要になるので、そのアイデアの創発プロセスを名著から学ぼうという記事である。

デッキアイデアの作り方

実際、アイデアのつくり方で紹介されているプロセスは、デッキ作成に当てはめても共感できるところや参考になるところがあった。

紹介されたアイデアを作る五段階をTCGに当てはめながら、解釈し直してみたい。

1:収集

情報収集の過程を一般資料と特殊資料の収集として述べられている。コピーライトの本なので特殊資料は製品や顧客のことであるが、この分類は重要なものであると思う。なんとなく相性が良さそうなカードを集めても、Tier1の下位互換ということはよくある。デッキのアイデアのためにカードを探すときも、倒したいデッキに対してどうすればいいかという特殊資料集めは意識してやったほうがよい。

2:咀嚼

良さそうなカードや組み込めそうなデッキを見比べて思い悩む。全体としてのまとまりやシナジーが作れそうな要素間の関係性を探す。みんなやると思う。

3:消化

一度問題を意識の外に出して消化する過程。ホームズが捜査を中断しワトソンを音楽会へ連れ出すことが例として取り上げられている。これにはとても心当たりがあり、私も一度小旅行を挟むと行き詰っていた発想がまた流れ出てくるような経験が何度もある。

組織を対象にした研究で時間圧縮の不経済という概念が提唱されており、これは組織が努力や成長を短期間に詰め込むことは、それを長期間にわ たって行うよりも非効率になることである。個人に関するものは見つからなかったが、個人の集まりである組織で見られるこれは個人単位にも存在すると思う。

4:誕生

ついにアイデアを出す。そのために常にそのことを考える段階。歩いているときも、シャワーをしているときも…。そうすると意外なところで天啓のようにアイデアが降ってくる。

私自身、寝る前や散歩をしながら考えたデッキがやってみたらとても良かったことが何度もある。関係ないときに突然降りてくるのは、一見スピリチュアルなようで必然性がある。他の記事で私が繰り返し述べているように、人の判断はバイアスがかかって凝り固まっていることが多い。そのために実はある関連性を発見できずにいることが多い。それが、一度意識を遠ざけて他の物を見ると見方が変わりさっきまでは気付かなかった関連性に気付くということだと思う。

5:検証

ついにできたものの検証である。とはいえ、私たちカードゲーマーは対戦という至極簡単な検証手段があるので、大切なのはここまで来てまた前の段階にさかのぼることだ。この五段階の過程を必ずしもこの順に踏むべきであるとは思わない。しかし、この五段階のどれかがおろそかになった状態で出てきたアイデアが良かった記憶はない。

関連性探しはどこから始まる

最後にもう一節だけ引用して終わる。

だから事実と事実の間の関連性を探ろうとする心の習性がアイデア作成には最も大切なことなのである。
(中略)
広告マンがこの習性を修練する最も良い方法の一つは社会科学の勉強をやることだと私は言いたい。例えばヴェブレンの『有閑階級の理論』、リースマンの『孤独な群衆』のような本の方が広告について書かれた大概の書物より良い本だということになるのである。

ジェームズ・W・ヤング著、今井茂雄訳、アイデアのつくり方 p31

アイデアを作ることにおいて、アイデアを作ることそのものよりもその背景にある心の動きを学ぶことが勧められている。偶然にも私は最近、他分野とTCGの関連性を見出す重要性について書き#一般TCG理論 というのをはじめたところであった。筆者もゲーム理論や行動経済学の名著はTCGについて書かれた大概の記事より良い本だと考えている。関連性を見つけることの重要性が「アイデアのつくり方」では繰り返し説かれる。この「関連性探し」は既に取り組む対象に入る前に始まっている。ものに使える知識は多い方がよい。それが科学により蓄積されたものや時の試練を耐えたものであればなおよい。今回は偶然コピーライトについて書いたが、私はどのような分野を学んでもそれがほぼ確実にTCGに対する洞察を深める手助けとして活用できるつもりでいる。記事を通じてTCGをハブに関連性をつなげる喜びを共有できたらよいと思っている。

付録(読まなくていい):TCGが解析的に解けないことについて

数学的に~と言われるとき、解析的と統計的が混同されることが多い。統計的とは数学的手法によりそうなる確率が一定以上ある/ないことを定量的に示される一方で、論理的根拠により必ずそうなることを示すことはできない。一方、解析的にと言う場合、例外なく必ずそう言えるということだ。1000回やってみてとかではなく、起こりうる全パターンを調べてということだ。例えば、3×3の〇×ゲームは全てのパターンを調べることができて、お互いのプレイヤーが最善手を打ち続けた場合引き分けになることがわかる。

では、TCGについてもお互いに最善手(決定的ではないがより勝率が高くなる手)を打ち続けることを考えれば、解析的に解が求まるのかと言うとそうではない。これはパターンの問題である。コンピュータを使って調べるにしても、コンピュータが調べられるパターンは有限である。仮に一秒間に一万パターン調べられるとして、ゲームのパターンが10,000×60×60×24×365×100=31536000000000パターンあったとすると、これを調べるには100年かかることになる。加えてこれらのパターンを記録しておくメモリも必要になる。では具体的にどの程度のパターン数まで解析されているか参考程度に挙げる。完全解析されている有名なものだとチェッカーが$${10^{20}}$$パターン程度。完全解析されていないものだと8×8のオセロが$${10^{30}}$$パターン程度である。では、仮に2,000枚のプールから15種類のカードを4枚ずつ入れてデッキを作るとするとこれが$${10^{30}}$$パターン程度。4枚ずつカードを必ず入れるわけではないので、デッキ作りにはもっとパターンがあり、ゲームのパターンだとさらにそれにプレイ時に起こりうる盤面のパターンがかかる。これを全パターン調べるのはすごいコンピュータを使っても無理で、当然人間が各場面での正解を一つずつ覚えていってもゲーム全体の正解へ到達する日は来ない。

もしも支配戦略を効率的に見つけて選択肢の大半を枝刈りする方法があれば、完全解析ができる方法は残っている。しかし、相手のカードを奪う効果のカードがプールにあると、一見完全上位互換のカードでもそちらを使うことが支配戦略であることが非自明になる。もし、ここまで読んでそれでも解析的にTCGができると思う方は支配戦略の見つけ方を考えてみてほしい。



おもろいこと書くやんけ、ちょっと金投げたるわというあなたの気持ちが最大の報酬 今日という日に彩りをくれてありがとう