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雄島の海人の袖だにも

 源重之という平安時代の貴族・歌人の和歌にこんなものがあります。

松島や 雄島の磯にあさりせし 海人の袖こそ かくは濡れしか
(松島の雄島の磯で漁をしていた漁師の袖が、私のこの袖のように、ぐっしょりと濡れていたっけ。)
『後拾遺集』恋四・827(訳 谷知子『百人一首解剖図鑑』より)

 松島というのはもちろん宮城県にある日本三景の一つの島のことです。正確には、松島湾内外に浮かぶ約260の島々やそれを擁する多島海を指す。『松島町史(通史編2)』(1991年)によると、どうやらその島々の中で名称をもつのは144、無名の島が98あるそうです。その中に雄島という島があります。歌枕として有名な島ですが、平安時代後期には霊場として栄えました。

 雄島は極楽浄土に近い場所として、死者の供養のため、全国から遺骨が運ばれ埋葬される風習がありました。また、12年間島を出ずに修行を行ったという見仏上人をはじめ、多くの僧侶の修行の場となり、現在も岩窟が残っています。

 雄島は以上のように仏教の聖地として名高く、「奥州の高野」(高野とは高野山のこと)と称された島なのです。

 冒頭の和歌を下敷きに殷富門院大輔という人は次のような和歌を詠みました。こちらは百人一首に収録されているので有名な和歌です。

見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず
(血の涙で真っ赤に染まってしまった私の袖をあなたにお見せしたいものです。あの松島の漁師の袖さえも濡れに濡れたとしても色は変わらないというのに。)
『小倉百人一首』90(訳 谷知子『百人一首解剖図鑑』より)

 重之の和歌の本歌取りです。ただ、重之の和歌では「袖は濡れただけ」ですが、殷富門院大輔は「袖が濡れただけでなく、色まで変わってしまった」と言っています。袖が血の色に染まるとはなかなか恐ろしいものを感じますね。今でも「血の涙」という表現は使いますが、もともとは漢詩文で「血涙(紅涙)」という表現が用いられており、その影響を受けたものだそうです。

 ともかく血の涙を流すくらいにつらい思いをしたという恋の苦しみの歌ですね。

 ※ ※ ※

 さて、松島に行って参りました。

 歌人ではないので、眼前に広がる海を前にきれい以外の感想が湧いてこなかったのが残念です。

撮影場所:宮城県松島町

 写真は朝の9時くらいに撮ったもので、かなり人は少なかったです。

 朱色の橋を渡って行ける福浦島という島から撮った写真も貼っておきます。

撮影場所:宮城県松島町

 最後に西行戻しの松公園から撮った写真を1枚。

撮影場所:宮城県松島町

 「西行戻しの松公園」とはなんとも面白い名前ですね。伊達政宗松尾芭蕉などの多くの偉人が訪れた松島に、あの有名な僧侶・歌人の西行も訪れたんだと思っていましたが、どうやらそうではないそうです。西行が修行のために諸国を徒歩で巡っている途中、童子との禅問答に敗れ、松島行きを諦めたという話が由来だそうで、西行は訪れなかったみたいですね。

 撮影時期が冬だから写真の景色はなんだか寂しく思われますが、春になれば桜が満開でとても美しい景色が見られるそうです。

 ※ ※ ※

 正直に告白すると「雄島」には行っていません。意図的に、ではないのです。「雄島」が歌枕や霊場として有名であることを知らなかったのです。そこには松尾芭蕉の碑や岩窟があったそうですが、すべて見逃してしまったんですね。

 仁和寺の法師ではないですが「先達あらまほしきことなり」を痛感しました。いや、今の時代「先達」がいなくても事前に調べられるので、「先達」がいないせいにしてはいけませんね。

 旅をする前に事前勉強せよ。

 これに尽きると思います。

 読んでいただき、ありがとうございました。

〈参考文献〉
 鈴木日出男・山口慎一・依田泰『原色 小倉百人一首』(文英堂、2014)
 谷知子『百人一首解剖図鑑』(エクスナレッジ、2020)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B3%B6

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