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ぼくは釣りがしたいんだ!

まだおです。数多くある記事の中、私の記事にたどり着いていただきありがとうございます。今日も昨日に引き続き子どものころの父親とのエピソードです。

父親の性格

私の父親は、第1次ベビーブーム生まれ。いわゆる「団塊の世代」の人。
確か5人か6人兄弟の末っ子。
父の姉にあたるおばちゃんは「この人(父のことをこう呼んでました)は末っ子だから甘やかされて自由に育てられてきた」とよく言ってた記憶があります。
というのも父のせいで色んなことに巻き込まれたのが私で、いくつかのエピソードはほんとよく命があったなということだからです。
昨日のこのエピソードも・・・

いつか書きたいなと思っているのですが、障害福祉サービスに就いて色々と勉強すればするほど、たぶん父は「発達障がい」があるのではないかと。
もちろん診断を受けたことはないですし、発達障がいについてネット等で情報が溢れていて、それらを鵜呑みにして言っているわけではなく。
父の私に対しての子どもの時の接し方やその後何度か転職し、その時の辞め方などから、また普段の行動からそう感じているだけです。
支援していると結構ある話なんです。うつ病の方が実はベースに発達障がいがあって「生きづらさ」からうつ病になるまで追い込まれてしまったのではないかという人が結構いると思っています。
これもいつか書きたいと思っています。

春は山菜採りに

さて、今日は父親自身のことではなく、私と父親とのエピソードでした。
それは、私が小学校2年生の時の話です。
私の家の近くは自然豊かで、昨日の紹介した昆虫採集ができるポイントはいくつもあるし、季節ごとに楽しめるスポットもたくさんあります。
なので、昔は春になると家族でピクニックがてら山菜採りに行っていました。といっても、母は父と違って危険なことはしないので山菜採りといってもつくしやわらび、ぜんまいなど土手や田畑付近で採れるレベルです。

ただ、子どもにとっては、偶然つくしを見つけたとかなら嬉しい、楽しいでしょうが、山菜採りレベルになると、晩御飯のおかずにするレベルで採るという話になるわけです。

名称未設定のデザイン (5)

つくしが採れるところの近くには、水辺であることが多いので、私はある日父親に言いました。
「あの池で僕は釣りがしたいな。お父さん、一緒に釣りしよう!」と。
私は、幼少期から釣りに興味を持っていました。
きっかけは「釣りキチ三平」というアニメ。
その次は、このnoteでも何度か出てきているおじいちゃんの話。
父親も私が生まれる前にはよく釣りに行っていたとのことで釣り具を持っていました。

さらに、今も昔も私は興味があったらまず本から入る。だからおこづかいは釣りに関する本を買うということが多かったのです。
今はないですが、昔は色んなジャンルの子ども向けの本として「〇〇入門」「〇〇大百科」みたいな本があり、私は「釣り入門」シリーズを買っては、四六時中見ていました。

しかし、父親が釣りに連れて行ってくれることはありませんでした。
何度も何度もお願いするのですが、「危ないから」「どうせ釣れないから」「昔はよく釣れていた。お父さんが子どものころは・・・」「船で行かないと釣れないからそのうちな」etc…

結局父親にとって釣りは「過去の趣味」になっていてその時はただただ「めんどくさいもの」だったのでしょう。
そのあとも父親に連れて行ってもらったのは記憶しているだけで2回しかありません。そのうち1回は職場の同僚の方と。もう1回は親戚のおじちゃんと。
多分ですが、父親は自分で行くというより、誘われていくしかできなく、結局自分では何もできない人だったのです。これは大人になって私が連れて行って気づいたことなんですけどね。仕掛けも作れなければ、ポイントもわからない様子でしたから…

今回も父親は「どうせ釣れないから」「お母さんがうるさいから」「つくしをたくさん採っておかずにしないと」というようなことを言って賛成はしてくれませんでした。

やっぱり僕は釣りがしたい!

そこで私が取った行動は、「こっそり釣り道具を持って行って釣りに付き合わざるを得ない状況にすること」でした。
竿や仕掛けは家にいくらでもありました。
おじいちゃんは毎年田舎へひとりで行っていましたが、釣りが楽しみの1つで行っていたというのはそのあと知り、私も2,3度一緒に行きました。
だからおじいちゃんに相談したら仕掛けを作ってくれました。
エサをどうしようかと考えましたが、その頃うちの庭には池があって、おじいちゃんの趣味で鯉を飼っていたので、鯉のエサを水で溶いて練りエサを作ってました。

いよいよ当日。
車で数分のつくしが採れるところへ。そして、私は釣り道具をおもむろに取り出して「やっぱり僕は釣りがしたい!お父さん行こう!」と言いました。
ここはかすかな記憶しかないですが、たぶん母親は小言を言い、しかしそれに従わない私に対しては「もう好きにしたら」と捨て台詞を吐いてつくしを採りに行ったと思います。
そして、父親には「危ないからついて行ってあげて、ちょっとさせたら?しばらくして釣れなかったらこっちに来て」とでも言ったのでしょう。
父親はついてきてくれたのは覚えています。

名称未設定のデザイン (6)

行ったところは家というより貯水池。春なので、水は減っていて、傾斜があるようなところではなく、平らな場所だったので比較的安全だったと思います。
仕掛けを作り、エサをつけて、さあいよいよ第一投。
初めての釣りなのですが、本から得た知識と父親のアドバイスで無事仕掛けの投入が終わりました。
浮きもきちんと立ってあとは待つのみ。ワクワクドキドキしていたと思います。
しかし次の時、父親が言ったことと取った行動は!?

ひとりぼっちの僕

父親は釣りよりもつくし採りの方がよかったのでしょう。
「もうわかるから大丈夫だよな。ひとりで大丈夫だよな。お父さんはつくしの方に行くから」と言って、小学校2年生の私を置いてつくし採りに行きました。
もうこのころになると、父親が取る行動はなんとなくわかってきていて、それに対する対処方法も身につけていたように思います。
そう!父親は「自由な人」なのです。

子どもの面倒をみるなんてできない人。
そして、先々のリスクなんて考えられない人。
さらに、自分が楽しければそれでいいし、自分が楽しいことは子どもに押し付ける、逆に子どもが楽しいことでも自分が楽しくなかったら関わらない人。

だから、私はよく「放置」されていました。
「おまえはここで楽しんでいろよ。お父さんはあっちにいるから」
これはよく言う父親のセリフ。
それまで何度か迷子になって私は学習していたのだと思います。父親が言う「ここに居ろ」は信じられるから不安になっても探し回らないことを。
(こちらの記事のトミカ売り場での行動がまさに学習後の行動です)

母親は不機嫌で、父親は素知らぬ顔で

その日は結局一匹も釣れなかったと思います。
しかし釣りに行ったことがない私にとっては大自然の中で釣りができただけでも満足だったと思います。
多分、釣りキチ三平の気分で「池の主がいるはずだ。そんなに簡単に釣れるわけがない」なんて想像しながら、「また今度仕掛けを工夫してきっとお前を釣り上げるぞ」なんて妄想しながら帰ったことでしょう。

しかし父と母は違います。
まず母親は不機嫌。私が取った行動や、父親が水辺に子どもを置いて取った行動が気に食わなかったことでしょう。
多分父親がつくしを採る場所に来た時にバトルがあったでしょう。
今もですが、そんなバトルがあった後は父親は無言です。他人事の素知らぬ顔。覚えていませんがそんな顔をしていたと思います。

その後、家族でつくしを採りに行った記憶はありません。
ただ、父親とは毎年のようにつくしを採りに行ってました。車で行かなくても歩いて行ける範囲でいくらでもスポットはありましたし、そこには小魚や小エビ、おたまじゃくしなどがいるところでしたので私も楽しんでついて行ってました。
もちろん、それ以降はその貯水池に釣りに行くこともありませんでした。
池の主の顔を見ることもなく…
次に行くことになったのは、中学に入ってハマったブラックバス釣りで、友達と一緒です。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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