見出し画像

ちゃんとした社会に生きるヒト、生きていたヒト

海の向こうから見る日本はとっても異様だ。自分が育ってきた国なのに、懐かしみ親しみを覚えるのは春の匂いとか、夏のジメジメとか、初秋のひんやりとした空気が混じった風とか、そういうのばかりで、今アレコレ右往左往している日本がなんだかとても異様に映る。

言葉にできない。見下しているとかではなくて、なんだか「えぇ、本当にわたしはソコで人生の大半を過ごせてたのだろうか」というような感じ。

異国に来てから、ああニンゲンって、シャカイってすごく適当だったんだって思った。いつだって100%で頑張らなくたってよかった。嫌ならやらないって言ってもよかった。一言で言えば、人生めっちゃチョロくね?って思った。

わたしが同僚に「ごめんけどこれやってくれない?」って言ったら「僕それやりたくない」って言われてびっくりしちゃったね。えー。その選択肢あるんだ!へえ!って感じ。

でも代わりに他の人が適当にやってくれたりするし、むしろやんなくても別によかったりした。誰かに怒られたりとかしなかった。大してひどいことにはならなかった。

だいたい、後ろで会社の電話に出ても会社名すら名乗らず「ハーイ?アー?アイドンノー!」ってガチャ切りする同僚がピンピン元気に生きているのだから、それに比べて非常にちゃんとしている私がひどいことになるわけがないのだ。

他の人の「アタリマエ」のレベルが、私に比べると半分以下くらいだったので普通にやるだけでスーパー褒められることもある。チョロくね?

(もちろん言語の壁もあるし、全てがチョロいわけではない)

ジャパンにいるときはなんだか、頑張ってないといけなかったし、頑張るのをやめると溺れるか落ちるか怒られるか、そんな感じがしていた。今、別にだらくさしたってソコソコのレベルにいれるから頑張らなくなってきた。歳のせいもあるかもしれない。

微妙なお年頃だから、「頑張ろう、もっと頑張らなきゃ(落ちてしまう)、ちゃんとしよう」という気持ちと、「そろそろ落ち着くか、もういいっしょ、適当でも大丈夫」という気持ちが同居している。

大抵は彼氏とうまくいかなくなると「あ〜やっぱ仕事するしかねーわ。いっちょ頑張るか!仕事が恋人!」と思って資格とか転職とか探し出すし、うまくいってると「もう落ち着いて良くない?満足できるよね?家建てて家庭菜園でもしてのんびり暮らそう?」という気持ちになる。乙女心は複雑だ。男心はわからないけど、心は三角で言葉は四角だとくるりも言ってたしそういうことだ。

話を戻そう。書いているうちに、私のここ最近のジャパンへの気持ちがまとまってきた。

なんだかみんな気を張って頑張っているんだ。大変なときだからそりゃあみんな頑張るんだけど、頑張り方が、今私がいる国と様子が違うような感じがする。

みんな、イレギュラー対応しつつも、いつも通りの生活を送ろうとしている。電車にもちゃんと乗って会社行くし、会議だってちゃんと出るし、熱があったってちゃんと会社に行く。いつも通りにモノがあることを要求するお客さんと、いつも通りでなくてすみませんと頭を下げる店員。

ああ、ちゃんとしているなと思う。

ちょっと、こわい。

私はこんなにちゃんとした社会にいたんだ。ああ。すごいや。organizedされてるな。

「実際そうでもない」という声も聞こえてきそうだけど、実際ジャパンの人々のちゃんとしている具合はすごいと思う。私がその文化で育ってきたからそれが「ちゃんとしている」の基準になっているだけであって、他の国から見ると全然ちゃんとしていないかもしれないのか?わからない。

もうチャントシテイルがゲシュタルト崩壊してきたが、なんかみんなこんな状況なんだから、「え〜いもう会社い〜かない!」とか言って行かなくなってもいいような気がするのだけど、ほとんどの人は行ってる。責任感が強いのかも。ちゃんとした社会を作るのはこう言う人たちなのか、としみじみと思ったりする。

今、ちゃんとした社会をちゃんと回そうとしてくれて辛くなってしまっている人に、「キツくなったらや〜めたってしていいんだよ」って言ってくれる人がいるといいな。

ちなみに、うちの近所の店のご一家は「怖いからお店閉める」っつって普通に店閉めてバケーション行ってた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?