趣味の多様化とリミット


日本人には、趣味がたくさんあります。

例えば、プラモデル。
日本ならではの、小さい部品を組み立てて、
小さなものを作る文化。
もはや、芸術と呼ばれるものもあります。

そして、ゲーム。
代表的な、任天堂とソニーの機械媒体から、
生まれたゲームの数や歴史はまさに、
人類の宝になっています。

日本がここまで、アミューズメントに特化していることには、理由がありそうですが、
今回はそこについての追求はしません。

それよりも、多様であるがあまりに、
過剰でもある。ということです。

日本は、みなさんのご存じの通り、
経済を軸に動いています。

普段暮らしをしている、思考の中に、
知らず知らず、刷り込まれています。
これはどうしようもありません。

新しいもの、新しいこと、
人間が大好きなことです。

それを購入したり、体験したりすることで、
お金を落としてもらいます。
それが、基本的な立ち回りです。

では、趣味や余暇を提供する企業が、
欲しいものはなにか?

皆さんの時間です。

趣味を余暇を楽しんでいる時も、
仕事をしている時も、寝ている時も、
例外なく時間を使います。

その中で、趣味や余暇は、本来は必要のない存在ということになります。

つまり、趣味や余暇は、
皆さんの時間を欲しがっているのです。

しかし、人間生きている時間なんて
たかが、知れてますし、
マーケットによっては、対象も限られてくる。


そんな時、時間を取るのは、、、

寝る時間です。。。

電気がなかった頃の時代、、
蝋燭しかなかったので、ほとんどの人間は何をすることもなく、寝ていました。

しかし、現代は、どこにいても明かりがある。

そうして、起きている時間が長くなり、
消費時間も長くなっているのです。

私はパチスロが好きなのですが、
『パチンコ・スロットは程よくしましょう』
と書いてあります。

射倖心や色んな事情があるのは、わかりますが、
パチンコ・スロットだけに限った話ではありません。

皆さんが、使っているSNS。

まさに、パチスロの機能をそのまま
受け継いでいるのですから、、、、

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