一生スピッツを聴いてたい

人生、怖いものには蓋をせずして生きる事って出来ないですよね。

いや急に何だよって話ですけど、怖さにはそれぞれ程度があって、僕達って多くの場合それらに蓋をして、耐えられそうだったらたまに耐えてみてって繰り返してるなって思い始めたら結構考えが巡りまして、、

怖いっていうと大体の人はマイナスな感情を受け取ると思うんですけど、決してただマイナスなだけの感情ではないのかなと思います。

恐怖を楽しむ例として先ず一番最初に浮かぶのは"ジェットコースター"ではないでしょうか。


人間、ジェットコースターに対しては耐えられる上限の恐怖がそれぞれあって、遊戯施設にある複数のジェットコースターはその得意不得意に合わせた恐怖のレベル設定がなされているとおもいます。

絶叫系得意?って聞かれると、○○(乗り物の名前)は乗れるけど○○(〃)は乗れない的な表現を用いますね。

要は、自分の耐えうるだけめいっぱいの恐怖のみ蓋を開けてそれ以上は見ないってのがジェットコースターの概要だと僕は思っています。

ジェットコースターによる臨死体験は時にそれ以外では感じられない快楽を生む、らしいですね!あんまり乗らないので知らないですけど!

"死ぬかも!!"っていう脳からの信号が気持ちいい、これって言い換えれば自分の脳みそを騙して弄んでいるわけですよね。

ジェットコースター反対派の姉はいつも、「そんなに死にそうな体験がしたいなら命綱なしでやればいいじゃん。出来ないならすんな。」くらい極端な話をします。

これは絶対に言い過ぎだと思いますが僕もそう思う節がありまして、

人間が恐怖の蓋を恐る恐る開ける時ってそこには必ず限界が介在していて、その限界を超えると失神ないしトラウマみたいになる場合すらある。

そしてその限界スレスレを慎重に探して現実的では無い"甘やかされた恐怖"だけを受け取る。

こう思うと、ジェットコースターに乗る人は大胆で命知らずに見えて、実は臆病なのかもしれないな、と。

自分でも何言ってるか分からなくなってきました。が、、、誰も読まないという体で思った事を書きつくるのがこのnoteのモットーなのでこのまま続けさせてください!!!!!!


これは現実世界にも置き換えられると思っていて、

例えば飛行機に乗る時、墜落の可能性って少なからず考えちゃうし、都度あーいかんいかんと頭からその可能性を排除する事、

地球温暖化ってやばいらしいと聞いて、え!!!?嫌だ!!地球が終わりに向かってるってまじ?って思いながらも、まぁ、大丈夫でしょ。と一旦棚に上げる事、

結局耐え兼ねる恐怖には立ち向かえないのが人間ですし、それによって最終的には後手に回ってしまうのが通例だと思います。

そんな事でいいのか。

これからの日本、そして縮尺狭めて自分自身のために

そんな事でいいのか。


いいや、良い!!!!!!!!!!!



はい。結論は"良い"でした。


恐怖には、時に蓋をして時には少しそれを開けてみて、自分の耐えられるだけの恐怖にだけ立ち向かえば"良い"と僕は思います!!!!!!


そういう恐怖からあからさまに目を背けて、友達と提灯立ち並ぶ街を「次一緒に食べる物を決める」って名目でダラダラ話しながら歩いているその瞬間。

ここの店めっちゃアングラで良いな!ってひと握りの恐怖に笑えるその瞬間。

スピッツを聴いて郷愁を感じて、ずっと感動出来るくらい暖かくて幸せなまま。



1番生ぬるいジェットコースターに乗りましょうや







(?)

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