姉(ラーメン屋には前世の記憶を引き継いで入るべし)
まあーーーーた弟が消息を絶ちやがった。
消息を絶ったとは言っても実家でもぞもぞ動いてはいるらしく、親と電話した際に霊圧は感じられる。LINEの返信がなくnoteを書く気配がないといった程度だ。
その程度で「消息を絶った」と言ってしまうほどには私のメインコミュニティは家族だし、一方の弟はクラス会に割と早い段階で誘われる程度の社交性を持ち合わせている。私が弟からの返信を待っている間にも、彼のメインコミュニティは動いているのだろう。姉としての立場がない。
姉として弟に助言できることは、「推しの不祥事が報道された時は擁護しすぎてはいけない。鎮火を待て」ということくらいだろうか。
.........…ところで今日はバイト帰りにラーメンを食べました!!!!!!!!!(空元気)
疲労・寒波・腹ペコというこの世の三大厄災に見舞われた私は、私の命を形作っているいつものハンバーグ屋さんを目指して最後の力を振り絞った。
しかし到着した店は暗く、ドアには「社員研修により休業」の張り紙が。よっっ!ストイック〜!私にはもう歩く力もありません!
くずおれそうな膝をなんとか立て直し、力なく回れ右をした。その体制のまま視線がラーメン屋の光を捉える。そこからの記憶が曖昧だが、気づけば1000円札を2枚食券機に突っ込んでいた。
ラーメン愛好家のことを思うととてもマニアとは言えないが、「ラーメン屋」に抱く憧憬の念だけは大きい自信がある。
なんせカウンター席でラーメンと餃子を貪るシュミレーションは、クシャッと笑う彼氏と行くディズニーデートの妄想と同じベクトルにある。
そういうこともあり当時の私はかなり興奮していたと思う。
塩ラーメンね、フムフム、餃子はマストでー….唐揚げとのコンボメニューがあるならそれがベストアンサーやろな。チャーハンはどうしようかな、1500円超える気分ではないし、今日はやめとくか。
全部間違ってるよ。値段じゃない、量的な問題で唐揚げもやめなさいよ。
今なら分かることだが、当時の私はこれから起こる「ラーメン屋での食事」というイベントに恍惚となり、想像上の胃を基準に物を考えていたのだ。
運ばれてくるやいなや白濁のスープから麺をすすり、餃子を齧り、その反復横跳びを繰り返す。シャクッッと唐揚げを頬張りながらどんぶりにラー油を投入し、麺をすする準備を整える。ジブリもびっくりの豪快食事シーンだったと思う。
うんまーー!ムシャムシャ...…を繰り返すこと20分、咀嚼音がモッチャモッチャに変わっていく。
最後の方はもうどこが口でどこが胃かよく分かっていなかった。
そう、私は東京中のラーメン屋でこうなった経験がある女だ。ラーメン屋で豪快に食べたいという憧憬に抗えず毎回唐揚げまでいってしまう女だ。
だから私には推しラーメン屋がない。店を出る時には脳のリソースが全て胃に行っており、食べていた頃のことを全て忘れているからだ。
軽蔑しただろうか。火遊びのラーメン屋めぐりに耽る私を。
正直今もサムネの写真を見て、胃が性懲りも無くエンジンをかけ始めている。このバカっっ!
ラーメン屋には毎回リセットされてしまう前世の記憶を携えて行くべきなのだ。エレン・イェーガーもそうしていたように。
私がクシャッと笑う彼氏を5人連れて1日でランドとシーを制覇しようとしていたら、この記事を見るように言ってほしい。
そんな日は来ない。
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