見出し画像

あの…そうは言っても日本は大分差別的な国ですよ?フランスなどより、ずっと。

前回、パリに住んでいた経験から

こういった所感を述べる場所として、このnoteに自分のスペースを開いた。

とはいえ、件のサッカー選手の動画についての関連記事や動画(在日フランス人のチャンネルなど)などについているコメントやリプライを見ると、多くの人が

「日本ではこのような差別がない」

「日本人はこのようなことをしない」

「日本人選手が同じことしたら、日本でもっと大きな批判が起こる」

という前提で語っているので、「…本気?」と心底驚いてしまった。

アジア人としてヨーロッパに住んだ経験からいって、私はフランスなどよりも日本の方がずっと人種/民族差別的なことに鈍感で、処遇も甘いと考えている。はっきり言えば、このことに関する意識はかなり遅れている国だと思う。

例えばこんなことがあっても、全然話題になっていない。


「言語がわからないのをいいことに目の前の人のことについて何か言う」

これに関しては、私はフランスを含めた海外の各地の観光地で、そういう日本語を耳にしてきた。

「このおっちゃん、何がしたいんやろ?暑苦しいねん」

「ちょっとこのおばさん、圧が凄くてやなんだけど」

「いやそれ、いらんし。なんかえげつない色のばっかり勧めてくるんやけど、何?」

「この人、〜(有名人)に似てない?ちょっとキモい」

「うわ、何ここ、〜〜人だらけ。私たち同じに思われるから出ていこう」

「このおばちゃん、何歳くらいなんだろ?格好すごくない?」

「いや、なんか笑ってるんですけど。何も面白くないのに。(といいつつ愛想笑いしてみせてから)あんまりやると調子乗るから、この人」

「うわ、よくあんなもの食べてるね。気持ち悪くならないのかな」

このような日本語はいくらでも耳にした。海外にいると、聴こえてくる日本語に敏感になる。多くの日本人は日本語がマイナーなのをいいことに、上記のようなことは息を吐くように言っている。

そして私も実は身に覚えがある。

開き直るつもりもないが、これは「一部の」という表現がそぐわないほど、海外に行ったことがある日本人の多くが程度の差はあれども身に覚えがあるのではないかと思うし、また他人が言っているのを聞いたことがあるはずだと思う。

実際、たとえ短期の旅行で基本的には楽しい滞在でも、言葉も習慣もわからないことへのストレスは大きい。日本語を話すこと自体がストレス発散になる。そんな時に、つい毒を吐いてしまうことはある。

人は、コミュニケーションが成立しない相手には共感しにくい。
カタコトやジェスチャーで交流しているようでも、つい相手に自分と同じような「心」があることを忘れて、「目の前のガイコクジン」としか思えなくなってしまうのである。

個人的な毒吐きならまだしも、私がよく恐ろしく感じているのは海外ロケのバラエティ番組。芸人がその場で

「いや、ほんまに大丈夫?なんかうさんくさいねん、このおっさん」

と言ったり、映像を見ていたスタジオの人が、

「あの隣にいた人が気になった」

と言って、静止画を出して、その人物に矢印をあてるテロップが出て笑いどころになったり、そういう番組がとにかく多い。

私も見ながら、つい笑ってしまうことがあったのだけど、時々、

「…これ、"いじられた"人たちが、ネットで見つけて日本人見つけて訳してくれ、なんて言ったらどうなるんだろう」

「日本に住んで日本語がわかる同じ国の人が、これを見たらどう思うのかな」

と心配になることもある。

もちろん、「日本人もそういうことをしているのだから、デンベレとグリーズマンも見逃してあげなよ」と言っているわけではない。

あの動画は酷かった。私は当初、動画を見ずにヤフーの記事を読んだので、「流出」というのを見て、

「ホテルで動画を撮っていて、つい"その手”の会話が入ったものが流されたのかな」

と想像して、Twitterでも「日本人観光客もそういうことしてるけどね」とつぶやいた。しかし動画を見てみると、言語や技術に関しては少し意図とは違う風に過剰に侮辱的に訳されているように感じたが、顔に関しては一人一人にズームして揶揄しており、あまりにも度が過ぎている。

しかし、ここから発展して

「フランスはひどい。日本ではそのようなことはない」

という前提で多くの日本人が義憤に駆られているのを見ると、大きな疑問を感じてしまう。


■私のブログやらKindle本やら↓





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?