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ついに退学

一切小言は言わず、すべてを受け入れる日々を過ごしていたが、特に大きな変化はなかった。

息子の学校は夏休みに膨大な量の宿題が出、それをやったかどうかの確認の試験が休み明けにあるのだが、なんとその時にカンニングをして停学処分が下された。それ以前にも停学になっていたので、もう一度何か問題を起こしたら退学という事態に追い込まれた。

息子は、もうこの学校は耐えられないし、ホストになるから辞めたい、大学に行きたくなったら受験して行くと言い出した。

カウンセリングの先生から、息子の思う通りにさせなさいと言われていたにもかかわらず、彼の英語の出来なさを知っている私はどこの大学に受からないとわかっていたので、このままどうにか高校生活を続けさせ、エスカレートで大学に行って欲しかったので大反対した。

しかし、息子の気持ちは変わらず、夫も好きなようにさせようと言い、退学することになった。

息子の希望は、一人暮らしをしたい、予備校に通いながら大検で受験資格を取って大学受験する。

私は開いた口が塞がらなかった、何を馬鹿なことを言っているのと。私は、退学を決めた時から一切彼のことには関知しない、すべて二人でやってと一歩も二歩も離れることにしたので、この件に関しても何もしなかった。

仕事人間で毎晩帰りが遅く、息子が小さい頃から平日に3人で夕食をとったことがほとんどない夫が、その時はすべてやってくれた。

高校の退学手続き、住居選び、通信制高校に行くか予備校に行くか、一人暮らしを始めてからの大家さんとの連絡等々。

私はもう本当に信じられないと憤慨していたので、1年以上住んでいた彼の住まいには一度も足を踏み入れなかった。

その時どういう生活をしていたか知るよしもないが、ホストになった形跡もなく、一応予備校に通って受験勉強しながら遊んでいたようだった。

その当時息子が「おかあさん、英語には5文型があるんだね。それがわかったら英語がわかるようになったよ。」言ったことを鮮明に覚えている。英語が出来ないのはわかっていたが、そんなことも理解できていなかったのなら、さぞ学校の授業はつまらなかっとだろうと涙が出た。

高校から持ち帰った教科書も開いた形跡がなかったので、高校へ行っていた一年半は全く勉強していなかったのだと思う。

私も辛かったが、息子も辛かったのだと思えるようになってきていた。


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