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あらっ、息子がちょっと変に…❶

こんにちは。

ホストになると高校を辞めた息子が弁護士になるまでの物語を少しずつ書いていきます。今回は、私から見た中1.中2の息子です。


第一志望の大学附属校に入学した息子は毎日大きな荷物を持って通学していた。野球をやりたいというのが大きな志望理由だったので、新入生200人中50人以上が入った野球部に入部し、坊主頭で真っ黒になり、夏合宿にも参加して頑張っていた。

しかし、野球部の顧問でもある担任の教師とのトラブルがきっかけで野球部はやめてしまった。

息子の態度が悪いからと顔が腫れたり、学生服のボタンが取れてしまうほどの暴力をがふるった後様子を探るように電話をかけてきて、自分は何もしていないと私に言った。息子の話とは全く違っていたが、学校の調査でも息子の言ったことが真実だとわかり、学校長が家まで謝罪に来たいと言うほどの事件だった。息子が学校でいずらくなるのを危惧して大事にするのはやめたのだか、今でも、その日家に帰ってきて声を震わせて泣いた息子の姿は忘れることは出来ない。うやむやにしたのが間違いだったのだろうか…。それがこれから始まる悪夢のきっかけだったのだろうか…。

野球部を辞めてからは馬術部に入り、大学生と一緒に活動するようになった。部活から帰ってきた日は馬臭く、洗濯をしても入浴しても匂いは消えることなかった。馬が大好きで、楽しんでいるように見えていたが、この頃から成績が悪い、態度が悪いということで親が呼び出されることが多くなった。

長い休みに茶髪にした髪は黒く戻しても赤く、その髪の色、襟足が長い、学生服の下に白のセーターを着る等々が呼び出しの理由だったと思う。

成績は最初から信じられないくらい悪く、中学入学と同時に入らせた英語と文章記述に特化した塾とZ会の通信教育もお金を払っただけで、何も身についていなかったし、すぐに辞めてしまった。

それなのに私は、成績が悪いから生活が乱れるのだと思い、懲りることなくまた個別指導の塾に通わせた。

数年前に息子が私に「おかあさんが僕にしてくれたことは間違ってなかったし、その通りにしたらもっと楽だったかもしないけど、僕にやる気がなかったから無駄だったね。何事も一番重要なのは本人のやる気」と言った。

学校も、男子校だった時はもっと緩やかで、茶髪の高校生も文化祭の時に何人も見かけたが、共学になってから管理が強化されたように思う。中2になってからの担任の先生も、持ち物検査のような個人の尊厳を傷つけるようなことはしたくないんですけど…と言葉を濁していたので、偏差値の上昇とともに制約が多くなったのだと思う。

呼び出しの時にも私が「先生、それはちょっと厳しすぎるのでは。」とつい口にしてしまうと、「おかあさんがそうだから駄目なんですよ。」とよく生活指導の先生に指導された。

それでも、本来真面目で、何かに向けて頑張るのか好きな息子は、皆勤賞を目指していたので毎日学校には行っていた。

皆勤賞は、2回の遅刻が1回の欠席になるので本当に大変で、私が一度寝過ごしてしまった時はパジャマのまま車で送って行き、息子は車の中で着替えさせた。それほど私にとっては大変だったのに、皆勤賞が200人中75人もいたことを卒業式の表彰で知り、大層驚いたことが懐かしく思いだされる。


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