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月と陽のあいだに 153

流転の章

帰還(3)

 約束の十日後、ネイサンはタルスイへ戻ってきた。港で白玲たちを待っていたのは、船体の細いひときわ優美な船だった。
 乗船した白玲は、甲板に立って首に下げていた細い紐を外すと、岸壁で見送るヤズドに向けて大きく振った。紐の先で銀色の小さな光がくるくる回った。いつかヤズドからもらった笛だった。白玲は笛を唇に当てると、思い切り息を吹き込んだ。ピーッと鋭い音が響き、それを合図にしたかのように船はゆっくりと動き出した。
 岸壁で見守るヤズドと下宿の老夫婦が見えなくなるまで、白玲は甲板から手を振った。船は引き馬に引かれて、ユイルハイ運河へと進んでいった。

 タルスイからユイルハイまでは、普通の船なら四日はかかる。引き馬を使って遡上するためだ。しかし細い船体に帆をかけたネイサンの船は、船足が速い。吹き始めた北風を捉えて、タルスイを出てから三日目に、船はユイルハイのネイサン邸に着いた。

 九月初旬のユイルハイは紅葉にはまだ早く、秋の日差しにさざ波がきらめいていた。表向き病気療養中の白玲は、ネイサン邸で身支度を整えて宮へ向かう手筈になっていた。
 一年ぶりに皇女の衣に袖を通した白玲は、ネイサンに向き直ると膝を折って正式な礼をした。
「私を見つけて宮へ帰れるようにお心を配ってくださり、ありがとうございます。もう一度、皇女として頑張ってみます」
 黙って頷いたネイサンとともに、白玲を乗せた馬車は月蛾宮へ向かった。

 内府の皇帝の御座所で、白玲は額を床にすりつけてひれ伏した。
「ただいま帰りました。長くご心配をおかけして申し訳ございません」
 去年の秋の月の神事で拝謁して以来、一年ぶりに見る皇帝は、眉間に深い皺を刻み、黙って白玲を見下ろしていた。
「一年もの間、己の役目を果たさずにどこに隠れていた」
ようやく口を開いた皇帝に、白玲は言葉もなく頭を下げ続けた。
「皇后のやりようは、余の命令とは違うものであった。だが宮を出るほどの覚悟があったのなら、まず余の元へ来るべきであったろうに。皆がどれほど迷惑したか、わからぬそなたではあるまい」
申し訳ございません、と小さな声で答えるのがやっとだった。
「そなたは病気療養中ということになっている。しかしそなたを探すために、多くの者にしなくて良い仕事をさせ、心労を与えたことは看過できぬ。相応の罰を与えるから、心して受けよ」
「謹んでお受けいたします」
伏したまま、白玲が答えた。
 白玲には三か月の謹慎が言い渡された。謹慎といっても、ただ蟄居しているだけではない。宮廷作法を学び直し、月神殿へ奉仕するよう命じられた。

「皇后に代わって、余の従妹である先代カシャン侯爵夫人のエレヤがそなたの教育に当たる。指導は厳しいから、覚悟して受けよ」
皇帝のすぐ下座に、銀色の髪の老婦人が控えている。
「お噂は伺っておりました。お元気な姫様で、鍛え甲斐がありますわ」
エレヤ夫人は白玲に微笑みかけた。
「三か月の間、宮に滞在してお教えするようにとの陛下のお言葉でございますが、この歳になりますと、他所で長く暮らすのは辛うございます。できましたら、殿下にカシャンへお越しいただき、私の屋敷でお教えしたいと存じます。いかがでございましょうか?」
 それでは謹慎になるまいと言う皇帝に、一種の流罪とお考えくださいませ、とエレヤ夫人が答えた。そういう考え方もあろうかと、皇帝が苦笑いして頷いた。
 こうして白玲は、カシャン侯爵邸へ預かりの身となった。

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