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月と陽のあいだに 〜番外編 懐かしい出来事〜

郵便社(1)

 白玲がカナンへ戻っても、キタイの航海士たちとの交流は続いた。
 ぜひ会いたいと言っていたオッサムを紹介したり、宿舎へ招いて手料理をふるまったりした。互いに気心が知れると、二人は気持ちの良い男たちだった。白玲たちの求めに応じて、故郷の風景や人々の絵を描いてくれたり、約束通りキタイ語を教えてくれたりした。

 戸惑ったのは、白玲が習い覚えたキタイ語と、航海士たちの使うキタイ語が微妙に違うことだった。よくよくたずねてみると、白玲の先生である翁は、キタイの東の田舎の出身で訛りが強く、おまけにキタイ語には男言葉と女言葉があって、翁は自分が使う男言葉を教えてくれていたことがわかった。
「要するに『私は白玲と申します。月蛾国の都ユイルハイから参りました』と言っていたつもりなのに、キタイの方がお聞きになると『オラは白玲だで、月蛾国の都のユイルハイから来たべさ』みたいなことになっていたわけですね」
 白玲があまり一生懸命なのでなかなか言い出せなかったが、初めて話した時は、どうやって笑いをこらえようかと苦労したと二人は白状した。仕方がないこととはいえ、白玲は今さらながらに赤面し、キタイの貴族の女性の言葉遣いを教えてほしいと懇願した。
 年嵩の航海士は、貴族の女性の言葉遣いは難しいが、自分の娘が話すようなキタイ語なら教えようと言ってくれた。

 カナンへ赴任してから、白玲はまめに手紙を書いた。
 カナンの暮らしや見聞きした珍しいこと、宿舎での笑い話や美味しかった料理のことなどを思うままに書いた手紙は、受け取った人々を喜ばせた。
 皇帝には、心に残った出来事や仕事の中で考えたことなどを、簡潔にまとめて書き送った。
「まるで報告書のようですね」
 皇帝の代理で返事をくれる女官長には笑われたが、「陛下はお手紙を心待ちにしておられます」と言われて嬉しかった。
 ハクシンには、見聞きしたあれこれを随筆風にまとめて送ると、読書感想文のような几帳面な返事がきて、あの子らしいと笑ってしまった。
 後見人のネイサンにも手紙を書いたが、当のネイサンは建造中の船の視察を口実に、たびたびカナンへやってきたから、誰よりも白玲の暮らしをよく知っていた。このほかにも親友のハンナや、ごく稀に皇后にも手紙を送った。

「皇衙の通信使は、白玲のためにいるのではない」
 今日もユイルハイ宛の手紙を頼んだ白玲に、領事が小言を言った。
 別に、お小遣いを節約したくて皇衙の通信使を使うわけではない。ユイルハイへ私信を送るすべがないから、仕方なく頼んでいたつもりだった。
 だが、言われてみれば一理ある。領事の小言を聞いた白玲は、カナンへやってきたヤズドに相談した。

「ユイルハイとカナンのあいだに、私信専門の運搬会社を作ったらどうでしょう?」
 白玲が切り出した。
「急にまた、どういう風の吹き回しですか?」
 面白そうにたずねるヤズドに、白玲は領事との経緯を説明した。
 自分専用の運搬人を雇っても良いが費用がかさむし、きっと同じように困っている人がいるに違いない。そういう人の私信も引き受けたら、商売になるのではないかというのだった。

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