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月と陽のあいだに 161

流転の章

妖精(4)

 白玲を見送った一行が、帰りかけた時だった。人混みの中で騒ぎが起こった。
 何かが割れる音がして、焦げ臭い匂いがしたと思うと、逃げろ、火を消せという怒号が飛び交い、人々が我先にと走り出した。
 ネイサンとアルシーは、衛士に守られてなんとか馬車まで逃れることができたが、何人もの受験者と見送りの人々が、巻き込まれて火傷やケガを負った。白玲も、あと少し到着が遅れていたら、巻き込まれたに違いなかった。
 騒ぎを起こしたのは、若い男だった。男は追う兵士を振り切って、人混みに紛れて逃げ去ったという。今までも小さないざこざはあったが、これほど多くの人を巻き込む放火騒ぎは初めてだった。そのため会場の警備にあたる兵士が増員され、試験が終わるまで、外部の者が近づくことは固く禁じられた。

 一方、門を通った白玲は、手荷物改めを終えると自分の机に向かった。ここから先は、自分だけが頼りの真剣勝負。そう思うとかえって落ち着いた。
 それからの三日間は過酷だった。最初に全ての問題が配られる。筆と紙、墨は備え付けのものをいくらでも使うことができた。決められた時間内なら、起きて回答するのも、眠くなったら寝るのも自由だ。とにかく三日間、持てる力を出し切って回答した。宮へ戻る頃にはボロ布のようにヨレヨレで、たどり着くなり爆睡した。
 こうして白玲は、ようやく試験の重圧から解放された。

 白玲は、久しぶりに月神殿の図書館を訪れた。ハクシンに会いたかったのだ。
 本を膝にのせたハクシンは、白玲を相手に、本のことや身の回りのことを話した。聞くほどに白玲は、ハクシンの博識と洞察力に感心するばかりだった。
「ハクシンは本当に賢いのね。美人で賢くて優しくて。二物どころか三つも四つも良いものをもらうなんて、天の神様はハクシンが大好きなのよ」
 白玲の言葉に、ハクシンはわずかに顔を曇らせた。
「私は、健康な体が欲しいわ。それが一番大切じゃないこと?」
「そうかもしれないけれど、やっぱり私はハクシンが羨ましいわ」
白玲がそういうと、ハクシンは困ったように微笑んだ。

 ひと月後、会試の結果が発表され、白玲は無事に合格した。千人近い領試の受験者のうち、会試に進めたのは二百人ほど。その中から合格した三十人が、殿試に進むことになった。会試に合格した時点で外朝の官吏になる資格は得られたが、ここで殿試を辞退するものはなく、受験者たちは御霊祭りの直前に、そろって殿試を受けることになった。

 御霊祭りの頃は、月蛾国では最も暑い時期だったが、南で生まれ育った白玲には快適だった。風のよく通る露台で読書をしたり、勉強をした。殿試が行われる外朝の宮は、白玲にとっては庭のようなものだったから、そういう意味では少しだけ有利だったかもしれない。
 それでも試験の当日は、白玲は緊張で青白い顔をして、震える手を握りしめて試験に臨んだ。どれほどできたか予想もつかなかったが、できる限りのことはしたから、後悔もなかった。もし不合格だったら、外朝の官吏として働こうと決めていた。

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