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月と陽のあいだに 200

流転の章

吉報(2)

「おめでとうございます」
 一通りの診察を終えた医師は、白玲に微笑んだ。
「ご懐妊でございます。今は三か月目に入ったところで、産み月は九月になりましょう。お体の不調はお腹のお子の影響ですから、ご心配はいりません」
 白玲は目を見開いて、小さく口を開けたまま固まっていた。
「安定期に入るまで、しばらくは静かにお過ごしください。走ったり転んだりは、厳禁でございますよ」
 我に帰ったように頷いて、白玲はそっとお腹に手を当てた。ここに、欲しくてたまらなかった愛する人の子が宿っているのだ。
「ようございました」
 ニナは目頭を拭うと、家令のハタノに知らせた。
「今日はお休みをいただきましょう。嬉しいお知らせは、旦那様がお帰りになったら、奥方様が直接お伝えなさいませ」
 知らせは使用人たちにも伝わり、邸中が浮き立つような喜びに包まれた。

 医師は邸を去る時に、助手として同行していたハンナを残してくれた。ハンナは白玲の親友で、今は帝立医学院の病院で看護師として働いている。これから出産まで、白玲の側で体調管理と相談相手になるようにという心配りだった。
ーー母は私を産んで亡くなった。
 神殿育ちの白玲は、お産を間近に見た経験がない。病気でないとわかっていても、怖いと思う気持ちは無くならない。
「白玲様はご健康でいらっしゃいますから、ご心配はいりません。お二人のお子様ですもの。きっととびきりお元気で、やんちゃな宮様に違いありませんわ」
 ハンナが手を握ると、白玲はようやく本当の笑顔になった。

 外朝で伝言を受け取ったアルシーは、思わず飛び上がった。婚儀の後、白玲付きの侍女に戻ってから、久しぶりの嬉しい知らせだった。懐妊のことは伏せたまま、休みを知らせるためにネイサンの執務室へ急いだ。
「あの仕事の虫が参内しないなんて、そんなに具合が悪いのか?」
「重病ではないようですが、大事をとってお休みになられるそうです」
 察しなさいよ、と視線に力を込めたが、ネイサンには届いていない。
「重い病でないのなら良い。たまには休養も必要だろう。私は今夜は約束があるから、先に休むように伝えておくれ」
 旧友と宴会があるという。
「今夜は早めにお帰りになる方がよろしいかと……」
アルシーは食い下がったが、男の付き合いだからな、とネイサンは笑った。

「殿下がお帰りになったら起こしてね」
 ニナとじいやに念を押して、白玲は寝室に向かった。なかなか戻らないネイサンを待っていたが、とうとう睡魔に負けたのだ。
 どれほど眠ったのだろう。体が火照って目を開けると、すぐそばに人の気配がした。
「起こしてしまったか。具合はどうだ?」
 ネイサンが白玲の頬に手を伸ばした。衣の袖から、ふっと甘い香りがした。
 どこへ行っていたのとたずねると、ジャスマン亭だよとネイサンが答えた。
「旧友が任地から久しぶりに帰ってきてね。香蓮も呼んで、賑やかな宴になった」
 頬に触れたネイサンの手を振り払うと、白玲は寝返りを打った。
「何か話があると聞いたんだが……」
「出ていって!」
 白玲はネイサンの言葉を遮ると、そのまま布団に潜り込んでしまった。
 ネイサンは苦笑いを浮かべて、白玲の寝室を後にした。

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