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月と陽のあいだに 〜番外編 懐かしい出来事〜

郵便社(3)

 美しい帆船の絵柄の証紙ができると、白玲はさっそく皇衙の仲間たちにチラシを配って郵便社を売り込んだ。領事からは「本業をおろそかにするな」と、また小言をもらった。
「その郵便社は信用できるのか?」
 先輩官吏に言われて、白玲は「荷受け先はルーン水運です」と胸を張って答えた。ヤズド殿のところなら安心だなと、すぐに納得してもらえる。地道に信用を築いてきたヤズドに、白玲は改めて敬意を抱いた。

 収集日になってみると、思っていたより多くの人が手紙を預けてくれた。仕事始めのご祝儀もあるだろうが、手紙を送るということが、今までどれほど不便だったか改めて分かった。
 料金を受け取って証紙を貼り、割印を押すと、差出人は「それは何だ」とたずねてくる。料金の受取証ですと答えると、みな珍しそうに見る。絵柄がきれいだから自分用に欲しいという人もいて、この証紙は好評だった。経費節減のために、今は墨一色だが、色刷りにしたらもっと素敵だろうなと想像して、白玲はワクワクした。

 アラム郵便社の一番の得意客は、意外にもトーランだった。トーランの母はユイルハイに一人で暮らしていて、息子を気遣ってふた月と置かずに、着替えや食料の入った包みを送ってきた。郵便が六日ほどで母の手元に届くとわかると、トーランはこまめに便りを書いた。トーランの他にもそういう人は意外に多く、慣れてくると配達人に返信を預けたいという人も現れた。ルーン水運のユイルハイ支店では、配達人に証紙を持たせて、収集業務も引き受けた。

 失敗もあった。
 ある日ヤズドから、預かった書状の数と受け取った料金が合わないという連絡がきた。最初のうち、郵便の利用者は皇衙の関係者ばかりだったが、そのうちに噂を聞いた人々も少しずつ書状を持ち込むようになってきて、収集業務も大変になった。そこで、本来は収集日に料金を払ってもらていたものを、先に証紙を買って収集日には割印を押すだけで済むようにした矢先だった。調べていくと、郵便社以外のところから証紙を買った人がいることがわかった。売っていたのは、印刷屋の主人だった。

「この証紙はお金と同じです。勝手に刷って売るのは、アラム郵便社の収入を横取りする泥棒と同じです」
 白玲がねじ込むと、印刷屋の主人は「勝手に刷り増ししてはいけない」という契約はしていないと反論した。しかし白玲は容赦せず、被害額を取り戻すと、増刷のために預けていた板木や刷り損ないの紙まで残らず引き上げた。
 ヤズドに紹介された印刷屋よりも安いという理由で仕事を頼んだが、印刷料金には信用も含まれているし、思い込みでなくきちんとした契約書を作らなければいけないという商売の基本を、白玲はこの一件で身に沁みて知ったのだった。

 紆余曲折はあったが、郵便事業は人々に歓迎されたので、ヤズドがその経営を引き受け、出資者を募ることになった。白玲は、少しずつ貯めていた官吏の俸給の中から資金を出して、新しい会社の出資者の一人になった。

 カナン皇衙で始まったアラム郵便社の事業は、次第に他領にも伝わって、各地に同じような郵便社ができた。やがてヤズドが中心になって、各地の郵便社を結ぶ組織ができた。その結果、月蛾国各地に同じくらいの料金で書状が送れるようになるのは、もう少し後のこと。
 それぞれの会社は、競うように地元の花や景色を描いた美しい証紙を作ったので、それを集めるのがちょっとした流行になったのも、またのちの話だった。

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