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月と陽のあいだに 74

浮雲の章

出奔(6)

 関所せきしょあらための役人は、白玲はくれいの顔を珍しそうに見た。けれども、ナダルが差し出した手形を確認すると、何も言わずに通してくれた。コヘルは役人と顔馴染かおなじみらしく、ふところから薬袋を出すと「奥様に」とこっそり役人に手渡した。
 関を抜けたばかりの道は、山道と言ってもまだ道幅もあり、傾斜もそれほどキツくない。残っている雪も思ったより少ない。三人は傾き始めた太陽を追いかけるように、林間の道を急いだ。一刻半さんじかんほど歩いたところに、岩穴を利用した小さな小屋があった。ここが今夜の宿だった。

 岩穴は外から見るよりも大きく、焚き火をしても大人三人が横になって休めるほどの広さがあった。張り出していた藁屋根わらやねは、雨露が岩穴に入るのを防いでくれた。小屋のかたわらには小さな泉があった。ナダルが集めた粗朶そだに、コヘルが火を点ける間に、白玲は泉の水を汲んで夕食の支度をした。焚き火にかけた小さな鍋で、乾飯ほしいいを入れた雑炊を作った。
 簡単な昼食を取っただけで山道を歩いてきた三人は、温かい雑炊をものも言わずに食べた。ようやく体が温まり、ほっと一息つくと、白玲は眠気に襲われた。
「お疲れになったでしょう。片付けはいいから、お休みください」
ナダルが荷から寝袋を出してくれた。コヘルの言葉に甘えて、白玲は寝袋にもぐり込むと、岩穴の壁に添うように横になった。
 おやすみなさいも言わないうちに、白玲のまぶたが重くなった。鍋を片付けたナダルが振り返ると、白玲はもう小さな寝息を立てていた。

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