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月と陽のあいだに 135
青嵐の章
縁談(6)
九月も半ばを過ぎ、月の神事が近づいた。この神事は、春の神事とともに月神殿で最も重要な神事の一つで、秋の満月を挟んで三日かけて行われる。神事には祭主の皇后はもちろん、皇帝や貴族や重臣たちも揃って参列する。
祭主として神事の全てを司る皇后は、連日、月神殿と宮殿を往復して準備に余念がなかった。
皇后が多忙なおかげで、白玲の縁談は一時棚上げになった。背中の傷も少しずつ癒えてきた。束の間の自由を得た白玲は、乗馬の練習を口実に、ユイルハイの湖岸や城外の馬場へ出かけるようになった。少しの寄り道なら、同行する警護の衛士も見ないふりをしてくれた。
馬場への途中にあるネイサン公爵邸に立ち寄って、以前贈られた筝を弾くのが、白玲のささやかな楽しみになった。ネイサンが不在でも、家令のハタノが音楽室に通してくれたし、ネイサンが在宅なら合奏したり稽古をつけてもらったりした。
そんなある日、白玲はネイサン邸の応接室に通された。重厚な家具が並ぶ部屋の一方の壁には、大きな地図が飾られていた。月蛾国と輝陽国のある大陸東岸の地図の中央には、暗紫山脈が東西に走っている。白玲はその南麓の小さな村で生まれ、淮水を下って貴州府で暮らした。そして暗紫回廊を通って、ユイルハイの都へやってきた。多くの障害を越えて、壮大な旅をしたつもりだったけれども、こうして地図でたどると、その苦労も些細なものに思えた。
白玲は何より、大陸の三方を囲む海に惹かれた。広い海を自由に行き来することができれば、暗紫回廊の険しい道を通らず、ナーリハイの利権に縛られることもなく、多くの人や物を運ぶことができるだろう。それに、海は地図の外側に広がる別の世界へも続いている。
「ずいぶん熱心だね。この地図がそんなに気に入ったかい?」
ネイサンの声に、白玲は我にかえった。出された茶は、すっかり冷めていた。
「蒼海学舎でも地図を見ましたが、こんなに大きなものは初めてです。海は大陸をぐるりと取り巻いて、輝陽国まで続いているのですね」
白玲は大きな瞳を輝かせた。
「暗紫山脈を越えて旅してきた道が、思ったよりずっとささやかなのに驚きました」
ネイサンは、白玲の頭をぽんとたたいて笑った。
「いつか機会があったら、ユイルハイ運河からルーン川を下って旅をすると良い。氷海まで繋がる船旅は楽しいものだよ」
いつかきっと、と答えて、白玲もまた笑った。
その数日後、白玲は皇后に呼び出された。馬場へ向かう途中、ネイサン邸へ寄り道したことを、誰かが告げ口したらしい。一緒にいて、見ぬふりをしてくれた衛士も罰を受けた。白玲は衛士を庇ったが、皇后は聞く耳を持たなかった。このことがあってから、白玲は身の回りの人々と距離を置くようになった。そして大好きだった筝にも触れなくなった。
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