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月と陽のあいだに 118

青嵐せいらんの章

シノン(4)

 「別に、無理に答えなくていいの。神殿暮らしは退屈たいくつで、たまにはこういう娘らしい話もしてみたかっただけ。それから私に敬語はいらないわ。二人だけの時はシノンでいいし、私もあなたを白玲はくれいって呼ぶから」
 シノンは、やはり笑っていた。

 「シノンは神殿の暮らしがきらいなの?」
白玲の真っ直ぐな質問に、シノンがわずかに眉を上げた。
「嫌いというわけじゃないけれど。私はもともと巫女になりたくて神殿に来たんじゃないのよ」
大巫女代おおみこだいが巫女になりたくなかったなんて。白玲は目を丸くした。
「私はタリズ領の領都タムサライで育ったの。タムサライは高原の美しい街だけれど、ユイルハイみたいににぎやかじゃないし、美しい衣装や楽しいお芝居しばいも少ないの。だから私はユイルハイに来たかったのよ。そのための手段が、巫女になることだったわけ」

 輝陽きよう国で陽神殿に上がるのは、信仰のためであり、学問や礼儀作法を学ぶためだ。都に来たいからという理由だけで神殿に上がったものは、少なくとも白玲の周囲には皆無かいむだった。だからシノンの言葉には驚いたし、同じ年頃の娘の関心事についても改めてわかった気がした。
「でも、こんなにユイルハイの街に近いところにいるのに、毎日お勤めでちっとも城内へ行けないの。宮にいるあなたがうらやましいわ」
「そうかしら。宮にいても外へはあまり出られないわ。毎日お勤めをしていていいのなら、私はシノンが羨ましいわ」
 白玲がそう言うと、シノンは声を上げて笑った。屈託くったくのない笑顔が美しかった。

 翌日の神事は、湖に向かって開けた聖堂で行われた。陽が落ちて東の空に白い満月が昇ると、たくさんの松明たいまつの炎が神殿の白壁を暖かいだいだい色の染め上げた。白い月影がユイルハイの湖面に揺れ、昼間のように明るい満月の光を受けて、遠くの丘が白く浮かび上がった。
 やがて大巫女が月神に祈りを捧げると、巫女たちが笛の音に合わせて舞を舞った。白い衣をひるがえして舞う巫女たちの姿は、空から降りてきた天女てんにょのようだった。

「輝陽国では、あなたも巫女舞を舞っていらしたのかな?」
 後ろから声がして白玲が振り返ると、優美な壮年そうねんの貴族が微笑ほほえんでいた。
「ネイサン大叔父おおおじ様にご挨拶あいさつ申し上げます」
 白玲は立ち上がると、膝を折って丁寧ていねいな挨拶をした。
 ネイサンは皇帝の末弟だが、臣籍しんせきに降下して公爵位をたまわっている。今はユイルハイの湖畔に邸宅を構え、朝政殿の重臣としても宮廷に大きな影響力を持っていた。
叙位式じょいしきで一度お会いしただけなのに、覚えていてくださったとは光栄です」
ネイサンは丁寧な口調で言った。
「できれば『大』をとって叔父様と呼んでいただけますか。あなたの父上のアイハル殿下とは兄弟のように育ったから、あなたに大叔父様と呼ばれると、急に年をとったようで落ち着かないのですよ」
ネイサンは、笑いながら白玲の隣の席に腰を下ろした。
「叔父様がよろしければ、そのように。その代わり、私のことは白玲とお呼びください。そして公の席でない時は、敬語もおやめくださると嬉しいです」
ではそのように、と微笑むと、ネイサンは黙って舞を見つめていた。

 やがて舞が終わり巫女たちが下がると、ネイサンが白玲に声をかけた。
「春の神事は、月神殿で最も美しい行事のひとつだろうね。ここからの景色は、いつ見ても素晴らしい。
 ところで、近々私のやしきでも花見のうたげもよおすから、よかったらシノンと一緒にいらっしゃい。ここからの景色には及ばないが、私の庭のアラムも美しいのだよ」
ありがとうございます、と白玲が礼を言うと、待っているよと、ネイサンは去っていった。

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今回から、少し巻いていくことにしました。
このままでは、ちっとも先に進まない。書いている私が焦ったくなってきました笑
「一体いつまで続くのだろう?」
ええ、まだ当分続きます。どうぞ、これからもお付き合いくださいませ。

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