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月と陽のあいだに 71

浮雲の章

出奔(3)

 「どうぞお顔をお上げください。旅慣たびなれぬものですから、ご迷惑めいわくをおかけすることになるかもしれません。お許しください」
白玲はくれいも深く礼をした。「姫様のお支度したくは私が」と女房にょうぼうも礼をした。
「どうぞこちらへ」
 女房にうながされて、奥の座敷ざしきに上がった白玲は、旅装りょそう一式いっしきが整えられているのに驚いた。暗紫あんし回廊かいろうを越えるには、早くて七日、天候てんこう次第しだいでは十日かかることもあるという。着替きがえの肌着はだぎ草鞋わらじ脚絆きゃはん雨具あまぐなど、必要になりそうなものが、行李こうりにきちんとめられている。もう一つ軽い包みは、毛皮の防寒着ぼうかんぎだった。衣桁いこうには、街の若い女房が着るような、こざっぱりとした着物が掛けてある。
 おもての店から客に呼ばれて、女房は「ただいま」と答えると、白玲にこの着物に着替えるように言った。手早く着替えた白玲が、自分の着物をたたんでいると、女房が戻ってきた。
「ナダル様は、貴州府きしゅうふかざり職人の修行しゅぎょうをしていたカイルさん。姫様は、そのお内儀ないぎのサエさんです。都で婚儀をあげて、旦那様の故郷の月蛾国げつがこくに向かう旅の途中ですよ。職人のお内儀の髪型は、こうやってたばねて後ろで丸めて、かんざしめます。ご自分でおできになりますか?」
 女房はそう言って、白玲の髪を束ね、お団子にして留めてくれた。簪は私からのお餞別せんべつですと、旅の無事を祈る言葉をとなえながら、髪にしてくれた。

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