月と陽のあいだに　116

青嵐せいらんの章

シノン（2）

　馬車の窓から見える丘陵は、アラムの花で白く霞んでいた。白玲はくれいの母の名のハクヨウは「美しい丘」の意味だと聞いたが、父は母の名に故郷の丘の景色を偲しのんだのだろうか。
　父が愛したアラムの景色を見る日が来るとは、つい先日まで思いもしなかった。遠い異郷いきょうで無念の死を遂とげた父を思うと、白玲は胸が痛んだ。
「お父様も、ここから景色をご覧になったのでしょうか？」
「ええ、そうね」
白玲がつぶやくと、皇后が答えた。
「アイハルはアラムの花が好きだったから、きっと、もっと何度もこの景色を見たかったでしょうね」
皇后は温度のない声で続けた。
「輝陽きよう国へ向かう前に、アイハルは婚約していたの。そして無事に戻ったら、アラムの花の咲く頃に花嫁を迎えることになっていたのです。お相手は由緒ある貴族の令嬢でした。それなのにアイハルは戻らず、輝陽国でそなたの母と出会って、そなたが生まれました。運命というのは皮肉なものです」
白玲はうつむいた。
　皇后は、何の身分もない白瑶はくようを、アイハルの妻とは認めなかった。そして、皇女に叙じょされた今でも、卑しい農民の娘が産んだ白玲を、愛する息子の子だと認めたくないに違いない。二人は黙ったまま、馬車の揺れに身を任まかせた。

　やがて馬車は橋を渡りきり、月神殿の車寄せに着いた。
　皇后と白玲を迎えたのは、大巫女代おおみこだいのシノンだった。その後ろには、タミアほどの年齢の神官長しんかんちょうが控えていた。
　シノンは、淡い黄色の巫女みこ装束しょうぞくに身を包み、長い鳶色とびいろの髪を背中で束たばねていた。色白で切長な目に、鼻筋が通った美しい女性だった。

　「お初にお目にかかります。白玲殿下」
思わず見惚みほれていた白玲は、声をかけられて慌てて礼を返した。
「お目にかかれて光栄に存じます。シノン殿下」
おほほと笑う声に顔を上げると、シノンが面白そうに白玲を見つめていた。
「黒い髪と黒い瞳の、輝陽国からやってきた皇女殿下。役人を締め上げたというから、どんなに凶暴な方かと思っていたけれど、普通の女の子なのね」
おやめなさいシノン、と皇后に嗜たしなめられて、シノンはいたずらっぽく首を縮めた。
「とにかくお会いしたかったわ。神事の準備が終わったら、お茶をご一緒いたしましょう」
　大巫女代というから、陽神殿の正巫女のような厳格げんかくな女性を想像していたので、白玲は少なからず衝撃しょうげきを受けた。