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月と陽のあいだに 88

浮雲の章

隠れ里(4)

 「使節を送り出す数日前にも、我らは回廊かいろうを回って状況を確認していた。雪解けの近いこの時期は、雪崩なだれが起きやすく、その兆候ちょうこうを知ることは何より大切だ。その時の見回りでは、特に危険は認められなかった。使節が出発した後も天候は安定し、大雪も降らなかったから、おそらく四日もあれば輝陽きよう国へ到達できると考えていた」
 タッサンの言葉を、息子のオトライが引き継いだ。

 その雪崩は、思いもかけない場所で突然起こった。
 そこは輝陽国から三つ目の避難小屋の手前で、回廊がわずかに広くなった場所だった。先行した案内の二人が、雪が安定し足元も安全であると確認して、一行が歩き始めた直後のことだった。大きな山鳴りがしたと思うと、斜面の雪が一気に崩れ落ちてきた。十四人の男たちには、逃げる間もなかった。

 雪崩がおさまった時、オトライは胸まで雪に埋もれていた。少し離れた雪の中から、左手が突き出ているのが見えた。オトライは必死にもがいて雪からい出すと、左手の周りの雪を掘った。ようやく顔まで掘り進んだが、手の主は雪で窒息ちっそくして、既に冷たくなっていた。オトライは、自分の歩みで雪崩を起こさぬように用心しながらあたりを探したが、他の仲間を見つけることはできなかった。荷物も流され、このままでは自分の命も危ない。オトライは、仲間を探しながら一旦先の避難小屋まで行って、改めて応援を頼もうと決めた。

 その頃、集落の人々も山の異変に気づいていた。使節が進んだ方角で高々と雪煙ゆきけむりが上がり、腹に響くような山鳴りが伝わってきたからだった。
 タッサンは、三人の男を探索たんさくに向かわせた。三人は雪崩の現場に着く前に、引き返してきたオトライを見つけた。オトライから話を聞いた一行は、もう一度生存者を探すために戻ったが、使節のものと思われる荷物をいくつか見つけただけで、生きている者を見つけることはできなかった。

 雪が解けて若草が萌え始めると、タッサンは雪崩の跡の捜索そうさくを命じた。
 ぎ倒されて谷底に折り重なった無数の倒木とうぼくが、雪崩の脅威きょういを物語っていた。倒木の間から四人が遺体で見つかり、月族の手で故郷へ帰された。残りの人々は見つからぬまま、捜索は打ち切られた。
 雪崩でこわされた道の復旧は、月蛾げつが国の助けを得て、当初の目算もくさんより早く進んだ。その途中、雪崩が起きたがけの中腹で、数本のくさびが見つかった。それが雪崩に関係あるかどうか断定はできなかったが、雪崩が人の手によって故意こいに起こされた可能性があることが明らかになった。

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