見出し画像

月と陽のあいだに 117

青嵐せいらんの章

シノン(3)

 神事しんじの打ち合わせは早々に終わり、自室に引き上げる皇后を見送ると、シノンは白玲はくれい露台ろだいに誘った。
「風はまだ冷たいわね。でも美しい景色でしょう。湖畔こはんにも花の名所はあるけれど、私はここからのながめが一番だと思うわ」
 四方しほうを水に囲まれた島からは、さえぎるものなくユイルハイの岸辺きしべを見渡すことができる。アラムの丘だけでなく、水にうつるユイルハイの街の城門や、春霞はるがすみに包まれた遠くの村々もおもむきがあった。

 『アラムの花の咲く頃に 丘を包んだ春がすみ
  かなわぬ恋の片恋かたこいの 乙女おとめの白いため息か』

 言葉もなく景色を眺めていた白玲の隣で、シノンが歌った。柔らかい声が風に溶けていった。
「この国で昔から歌われている恋の歌よ。ちょっと素敵すてきでしょう?」
うなずいた白玲に、シノンがたずねた。
「あなた、恋をしたことある?」
唐突とうとつな問いに、白玲が口籠くちごもっていると、シノンが面白そうに言った。
「なあんだ、ナダルきょうが恋人かと思っていたのに。それとも輝陽きよう国にいい人がいたのかしら」
 白玲は何も言えず、ほほめた。目の前で笑っている従姉いとこは、神につかえる巫女みこというより、白村はくそんの娘たちみたいだ。白玲が月蛾げつが宮に入ってからは、皇帝の近衛このえに戻ったナダルとは、会うことも話すことも無くなった。シノンの問いに、山道を歩くナダルの姿を思い出し、白玲の胸の奥がきつんと痛んだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?