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月と陽のあいだに 167

波濤の章

漂流者

 白玲が月蛾国へやってくる前々年の夏、氷海沿岸を大嵐が襲った。
 激しい風雨が三日三晩続き、荒れ狂った波が繰り返し岸辺に押し寄せた。嵐が去った後、砂浜は波に削られ、海岸線はすっかり変わっていた。

 数日後、ようやく穏やかになった波打ち際に、三人の男を乗せた小舟が漂着した。船底に横たわっていたのは、キタイ国の男たちだった。浜辺に海藻拾いに来た子どもたちが発見し、村人が手厚く介抱した。命を取り留めた三人は、やがてカナンのアンザリ辺境伯の元に送られた。

 キタイは西方の大国で、月蛾国の西の境界をなす大森林地帯のさらに彼方にある。
 三人の漂流者は、キタイの軍船の船乗りだった。月蛾国で黒森と呼ばれる森林地帯の沖合で、航海演習中に嵐に遭遇した。舵を失い、浸水した船は沈没した。救命艇に乗れた者も波に流されて散り散りになった。照りつける日差しの中で、体力を奪われないように、ただ眠って過ごすしかなかった。その眠りが永遠になるかと思われた頃、彼らは月蛾国の北辺に漂着したのだった。

 三人のうち二人は航海士、一番年下の少年が船員見習いだった。アンザリ伯は彼らを館に招き、丁重にもてなした。
 彼らの乗っていた軍船は、三本の帆柱を持つ大型船で、多くの帆を操り横風や向かい風も推力に変えることができた。二人の航海士は船の構造や操船術にも詳しく、彼らの力を借りれば、月蛾国でも最新鋭の船の建造が可能になる。
 アンザリ伯が大型船建造のために助力を頼むと、彼らは悩んだ末に承諾した。船ができれば、故郷へ戻ることが可能になるかもしれなかったからだ。

 だが、そのための資金をどう調達するかが問題だった。
 数年おきに繰り返す冷害のために、アンザリ領にも月蛾国全体にも、潤沢な資金があるわけではない。それでもこの機会を逃せば、この国の海運は停滞したまま、やがてキタイからの侵攻を許すことにもなりかねない。軍船であれ商船であれ、とにかく技術を学んで先に進もうと、アンザリ伯は宮廷や商人にも広く声をかけた。このとき手を上げたのが、宮廷ではカナルハイ皇子とネイサン公爵、市中ではルーン水運のヤズドをはじめとする商人たちだった。

 新しい船を作るには、設備や技術を整えなければならない。そこで、まずは中型船を試作することになった。中型船とはいっても、月蛾国の今までの船よりも大きく、二本の帆柱を持つ本格的な外洋航海用の船だった。
 白玲が月蛾国へやってきた頃、カナンガンの造船所でこの船が完成した。ネイサンがタルスイで白玲を見つけたのは、次に建造する船への出資を検討するためにカナンへ向かう途上だった。
 白玲を保護したことへの見返りで、ヤズドはネイサンからの出資を得た。この資金をもとに、ヤズドは大型船の建造を始めた。白玲がアンザリ領の領都カナンへ着任したのは、新船建造の最中だった。

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