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「チ。」の作者が描く、陸上100m漫画が凶器すぎた。

もし、ひとつだけ、好きな能力を得られるとして、あなたは何を欲するだろうか。筆者は案件がバンバン舞い込むようなライティング能力か、聞いたことを絶対に忘れない記憶力が欲しい。あとは、目をよくして欲しい。と、思っていた頃が懐かしい、今なら答えはひとつだ。「100m誰よりも速く走れる足」が欲しい。

あらすじ ひゃくえむ。/魚豊

トガシは生まれつき足が速かった。100mが全国の小学6年生で誰よりも速かったトガシは、それ以外に何もなかった。しかし、それだけでよかった。学校内の居場所も、友人も、不満も、不遇も、争いも足が速ければ解決する。帰り道、トガシは転校してきたクラスで一番遅いいじめられっ子のコミヤと出会う。走るのは辛いと言い、倒れながらも走るコミヤにトガシは、解決方法を教えてしまったのだ。「100mだけ誰よりも速ければ、全部解決する」と。コミヤはみるみる速くなった。速さはコミヤを変えた。そしてコミヤを取り巻く環境も変えた。トガシは……? 誉れある残酷な距離を走る、熱のこもった凶器的100m漫画。

全てを変える距離、100m

100mはみなさんも体育で走ったことがあるだろう。素人には結構辛い距離だ。今走ったら筋肉痛になれるかも知れない。「ひゃくえむ。」は、100mという距離が全てを変えていくお話。主人公トガシは、「100mだけ誰よりも速ければ、全部解決する」と言う。ここでその通りだと思えた方は、陸上競技経験者だろう。当たっていますか?

100mだけ誰よりも速ければ、全部解決する。正直、実感の湧かない言葉だ。いやいや、社会はそんなに甘くない。足が速いだけじゃどうにもならないことも……いや、待てよ。本当に足が速いだけではどうにもならないことがあるだろうか。

人類史上初100mを9.5秒台で走る男ウサイン・ボルトは、ファーストフードが大好物だそうだ。重要な大会期間中でもバクバクと食べる。素人が考えても、絶対体に悪い。栄養バランスを考えて食事を摂るべきだ。しかし、もし世界2位の男が彼にそれを忠告したところで彼が聞くだろうか。

1991年の世界陸上で9.86をマークしたカール・ルイスは、2020年に人類最速の男とコロナウイルスの蔓延をめぐってこんなやり取りをしている。

カール・ルイス
「われわれの競技について率直な対話をする時が来た。現在の経済モデルは維持できない。ウイルスの世界流行が競技の将来を完全に変えた」

ウサイン・ボルト
「ルイスよ、俺はあなたのように過去を後悔する人間ではない。全てに文句たらたらで、過去と比べる元アスリートにはならない」

カール・ルイス58歳、ウサイン・ボルト33歳の時の話だ。自分の子どもほど年齢の離れた男にそんなことを言われたら、「なんだこの、生意気な小僧が」と思ってしまう。しかし、ウサイン・ボルトはそれを許さない。彼は世界最速なのだから。

屁理屈のような駄文を並べてしまったが、「ひゃくえむ。」は、こんな100mの権力を圧倒的な説得力で、読者の脳天に叩き込む凶器的な一冊。読む前には、もう戻れないのが怖くなる、変えられてもいいという人にだけ読んでほしい。そして、読んでしまったあなた。そう、足が速くなりたいあなた。僕と競争(や)りませんか。いや敗北が怖いのでやっぱり、語らせてください。

ひゃくえむ。は上下巻となった新装版が発売予定。ここまで読んでくれた方の、”トリガー”になる漫画を紹介できていれば本望である。


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