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「そうだよね」って寝言で相槌を打った


そうか。
何も、こわいことやわるいものではないんだ。どうしてそう思わなければいけないと思っていたんだろう。
見えていてはいけないと、信じてはいけないと思わなければいけない気がしていたのかな。
悪くないんだ、怖くない。
やさしくて、わたしを守ってくれる。

わたしは「味方」を作れない。
味方を作るとは、敵を決めることであるから、わたしは、敵を認識することができない。
でもこれは、そうじゃないんだな。
だから「味方」という名前ではないのかもしれない。
「わたしを守ってくれるもの」「わたしだから守れるもの」
どうして、こわいものだと思わなければいけなかったんだろうな、わたしにとって、なくてはならない、なくては生きていけない、とても大事なものなのに。信じることはこんなに簡単だね。

わたしの「味方」なのに、闘って倒さなければいけないのかと思うと怖くて、とてもそんな勇気はないんだと、わたしは弱くて逃げてばかりだと小さくなっていたんだよ。
わたしはこの「小さいくつ」をすぐに履いてしまう、靴を履かなくても歩けることを知っているはずなのに。
でも不思議で、脱いで見ると、こんな小さなくつ、サイズが合ってないよ、履けるわけがないと思えるのに、履いてみると何故か履けてしまうんだよ。
小さなくつ。小さいくつ。サイズの合わない靴。わたしのものじゃない靴。

理想的な仲直りの夢を見た。
言いたいことを言いたいように伝えられたし、聞いてもらえた。
相手も、閉ざさずに自分の考えを述べてくれた。
これから関係がまた続いていく、という気持ちではなくて、もう、別れた道は戻らないと思ったけどそれでよかった。
つらい思いをうまく伝えられず泣き叫ぶような夢は時々見たし、状況が変わっていないのに「なかったことになる」夢は繰り返し見る。ちゃんと修復される夢を見る方が少ない。
わたしはどうなりたいのか。相手がどうしたかったのか、わたしにどうしてほしかったか、考えたところで分からない。

過去苦しんだ関係に於いて、わたしは小さい靴を履いていたんだと思った。
わたしが、相手に履かせてしまっていたこともあったかもしれない。それは分からない。

「理想的な仲直り」だった。けれど、「望んでいたこと」だったわけでもない。夢の内容は現実と直接は関係なかったと思う。それでも、全く無関係ではないと思える。自分の脳が見せたものなんだけど、たとえばそうじゃないとしたら何が夢を見せるんだろう?眠るときに見る夢は、どこから現実とつながっているんだろうか。
見る夢の種類はいろいろだ。人によるという話も聞く。殆ど見ない人もいるのだと思う。「よく見る夢」というのは何種類かある。その類の夢はまあまあ、心理作用的な理由が分かりやすい。願望が出て来たと思うことはあまりない。
体が起きたい状態にある時の夢というのは分かる。
考えていたことをそのまま見ることはある。考えている途中の時と、まとまった時とで感覚が違う。考えがまとまった時の夢は気持ちいい。
どこからやってきたのかまったく分からないような夢も時々ある。状況的に支離滅裂なのは夢なら普通かなと思うけど、現実に「見たこともない」ものが出てくるのは不思議だ。想像したことも無いようなもの。会ったことの無い人。はっきりと顔を認識しているのに誰か分からない不思議。

実在の相手が出てきたとしても、それは本人ではない。あくまで夢の中の話だ。
だけど夢を見て「わだかまりが解けた」と思うことがある。
大概のことは、思い返してみれば自分の中でなんらかの「峠を越えた」感覚が先にあって、それが「目に見える」形になって表れたことで自覚しているのだと思う。問題が思考の中で起きていた場合、形になって目に見えることは、夢だというのに妙な「説得力」がある。
目に見えないはずのことと、あるように見えるものとは、どこでつながっているんだろう。説明はつかないのに、自分を従わせる力が存在している。

本当はね、誰かの用意するその「小さいくつ」もかわいいなあって思っているんだよ。履けないけど気に入っているから飾っておきたいんだけど、それはだめなのかな。
それでもいいこともあるだろうし、それはできないってこともあるだろうな。だってぴったり合う人がいるのなら、わたしが飾って眺めるよりもその人が履き古してくれる方がいいよ。

わたしは、裸足で地面を感じながらじゃないと歩けないような道を行きたいんだと思う。
「事実」がどこでつながっているのか分からなくても。
大事なことだから。
信じて行くね。
怖くない。わたしは大丈夫だよ。




恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。