古傷が痛む
優しい人やものとだけ関わっていたい。
だけどわたしはやさしくないかもしれない。やさしいひとを傷つけるかもしれない。
それに、傷を持っているわたしだからこそ、同じように傷ついて尖っているひとを探し出して助けてあげられるのかもしれない。
いつも二つの可能性の間で、心が揺れている。
三半規管が弱いので、自分の揺れに耐えられず、すぐに具合が悪くなる。
本当は、この不安定さは平気なのだけど、「どっちつかず」の状態を責められるのではないかと思うと、ストレスに耐えられなくなる。ストレスがあると乗り物酔いしやすい。
ストレスがあること自体は平気だけど、ストレスを隠そうとする。
平気だよって言うと平気じゃない気がしてくる。
いつも揺れている。揺れているのは通常仕様だから心配いらないけれど、そんなふうに、調子がくるっているときがある。
優しい人とだけお話していたい。
優しい人を信じたい。
だけどわたしの抱えた傷が、いつか優しい手を傷つけるんじゃないかとずっと怯えている。
肉体があることが煩わしい。乗り物は体だ、体があるから安定しないと具合が悪くなる。
たましいだけの存在なら、わたしがいかにいびつか、きっとすぐに伝わるのに。
それとも、この形が別段いびつでないならいいのに。
わたしはわたしをいびつだとは思いたくない。
古傷が痛むのは、古くなっていないからなのか、季節のせいなのか。
生まれてこなければよかったと苦しむわたしを、どうか責めないでほしい。
「まだ生まれていないんだよ」
あなたのやさしさに甘えていたい。
わたしは、まだ生まれていないんだと信じていたい。
心配しないで、きっと自分で歩ける。
すこし甘えていたいだけだ。
恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。