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忘れていい、無くしていいよ

努めて明るく振る舞うのも、世を憂いて見せるのも、いずれもわたしの姿だけれど、「誰かのためのわたし」であるように思う。
どれも決して嫌いではない。明るい自分は好きだ。情緒の安定しない自分も、悪いばかりではないと思う。何も嫌いじゃない。「本当のわたしじゃない」と言ってしまうのは何か抵抗がある。
だけど、「本当のわたしは別のところにある」気がしているのも、本当の気持ちであって。

ほんとうは、「本当の」とか「本物の」とかではなくて、「まだ出会ってない自分」がいるんだと思う。
まだ、隠れたままの。
まだ生まれていないわたし。これから生まれてくるのかも分からない。
生きるということはもしかしたら、ずっとこの、まだ生まれていない心を抱え続けることなのかもしれないと思う。いつかどこかで、新たに生まれるときを求めることが、今を生きているこの肉体の持つ意味なのかもしれないと思う。
この「生きる意味」がたとえ、「わたしにとって」でしかなくてもいい。こんな生き方をするのが、わたしだけだっていい。わたしは美しい理想を描く。わたしが最後に生まれる。あるいは、最後まで生まれてこない。たったひとりになってもいい。それまできっと抱えていられる。
誰もわたしを守ろうとしなくていいよ。理解しようともしなくていいんだ。わたしがわたしの声を聴いている。心臓の音はどうにも聴こえなくなりがちだけど、きっと動いているだろう。

最後のひとりになってもいい。わたしは、ひとりぼっちになるのが怖いと感じるすべてのひとに、「わたしが最後になるから、だいじょうぶ」と、声をかけてあげられるかなあ。
すべての寂しいひとの傍に、隣にいつもいてあげることは、わたしひとりではできないけれど。
ひとりぼっちの最後のひとにならなってあげられる。そう思うんだよ。だからみんな、手の届くところにいる相手に、手を伸ばして、寂しさを埋めてもいいんだよ。
この「寂しさ」は、ひとつのイメージでしかないのだけど、ひとはきっと「独りで最期を迎えるのは寂しい」ものかと思うから。他にどれだけ、ひとびとにとって心を辛くするものがあるか分からないけど、きっと今もたくさんの、誰かの傷を癒すために・誰かの怖れを和らげるために、自分を生きている誰かがいると思うから。

わたしは、最後のひとりになったときに、やっと生まれることができる気がする。

最後とかひとりとか、至って抽象的な言葉だけどたとえば「世界が滅亡する」とかそんなことをイメージしてはいなくて、ただ思う、「この言葉を」「この気持ちを」抱くのが、思うのが、口にするのが、この世にたったひとり、わたしだけになる、ということを。そんなことなら、常日頃起きているのかもしれない。
そういうことを考えるんです。
わたしがわたしを止めたら、「わたし」は絶滅するんだよ。

わたしはわたしを止めない。
わたしを絶滅させない。
まだこれだけしか持ってない。まだ何も見えない。まだ生まれてない。
だけどきっとある、誰もが失ってしまった、もしくは誰もまだ抱いたことのない、わたしだけに残った「最後の何か」を、果たしたい。

わたしの夢です。
どうしたら叶えられるのか、もし知っている人がいたら教えてほしい。このきもちが、本当にあると、信じてもらえるまでもうすこし方法を探してみます。探し出すしかないんだ。まだないのなら自分の中に探すしかない。
ほんとは、わたしだけじゃないと思うんだけどなあ。だとしてもきっと全く同じであることはないんだろう。
あなたの側から、もし何か見えていたら、教えてください。


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