新作落語「鍋奉行」

「鍋奉行」(改訂二版)

登場人物:
父     鍋奉行検定昇格試験突破に命をかける、自称鍋奉行界の三浦友和
母・鍋子  本名苗子。「あほくさ」が口癖
姉・シラコ 中学生 少し反抗期
妹・イトコ 小学生 食べ盛り
僧兵鍋奉行 和歌山の九度山・根来寺より全国行脚中の修業奉行僧

時代:平成
舞台:一家の自宅
まだいまだ・作

(まくら)

 こう寒なって参りますと、鍋ものなんかが美味しい季節です。大阪の人はなんでか知りませんが、ようフグを食べます。これがまた安うて旨い。てっさやてっちり、最後の雑炊がまたええダシが出て旨いもんですな。昔やったらクジラと水菜でハリハリ鍋をようしたもんです。今ではIWCの掟(おきて)があって、ミンククジラなんかは増えすぎてるんやけれども、捕鯨がでけへんので、クジラも高級品になってしまいました。関東煮にはコロが欠かせんもんでしたけども。
 水炊き、いうたらもう具は何でもええ、という感じで、最後に雑炊にしてもええし、うどんなんかを入れる家もあります。小さい子供さんなんかがいてはる家なんかは、もう鍋の前半の出だしのとこからうどんを入れたりしてます。たまにうどんの代わりに中華の麺を入れたら、これがまた意外と美味しいもんやったりします。水炊きの場合は、小鉢にポン酢をタレにして食べます。カボスとかスダチをきゅっとしぼって食べたら最高に旨いもんですな。
 「うどんすき」という言葉はわたしらも普段から使う言葉ですけれども、あれはNHKではそのまま云うことはできないそうです。「うどんすき」はあの美々卯(みみう)さんの登録商標なんだそうですな。もし、万が一NHKで「うどんすき」という言葉を使わなあかん時には、「すきなべうどん」という風に云いかえて云わなあかんそうです。NHKで使う場合て、どんな場合か分かりませんが、「うどんすき」と「すきなべうどん」ではちょっと意味合いというか、なんか聞いた感じも変わってくる様な気ぃがします。
 いっときは、モツ鍋やとかちゃんこ鍋やらもブームになったりしましたが、やっぱりみんな鍋が好きなんですね。せやけどもどんな旨い鍋でも、あれは一人で食べてもあきませんな。不思議なもんで、できるだけ大勢でわいのわいの言いながら食べる方が、同じもんでも旨う感じます。
 大勢で鍋を囲みますと必ず一人は、リーダーというか、いろいろと炊く順番やら、食べ方なんかを仕切る人が出てきますナ。あれは不思議なもんで、誰も頼んでないのに大概(たいがい)必ず同じ人が仕切り役、鍋奉行になるようで。


(はなし)
父「さあさあ、みんな座って、座って。はよ座れよ、おいイトコ、何テレビ見とんねん、今日は大事な鍋の日ぃなんやからテレビなんかはもってのほかやぞ」

妹「せやけど、お父ちゃん、わたし毎週この6時半からのサザエさん見んと日曜日が終わった気ぃがせえへんねん。宿題して、時間割りして、サザエさん見てたら、ああまた明日から月曜日かぁ、と思うこのなんちゅうか哀愁(あいしゅう)の境地がお父ちゃんにはわからんか」

父「アホ、小学生の分際で何が境地や。すきやきにはサザエはいらんねん。ウダウダいうてんと、はよテレビ消して、座れ云うてんねん、おいシラコ、なに姉(あね)さん座りしとんねん、ちゃんと正座せんか」

姉「せやかてお父ちゃん、ずぅっと正座しとったら足がしびれ切れるやんか、こないだも鍋の後、立とう思たら、もうお尻のとこから足の先まで全部がコブラ返りして、大変やったこと覚えてるやろ」

父「大体お前らには気合が足らんねん。足の痛いのなんかは気合でカバーするんじゃ。大体お前らには鍋を軽んじておる側面が見受けられる。お父さんの教育方針に何か重大な誤りがあったんやないかな、と前々からそれを悩んでおるんや。おいナベコ、燗は出来たか」

母「あほくさ。しょーもないことで悩みな。何が教育方針や、大層な。あんたはずっと子供のことよりも、自分の鍋奉行検定試験のことしか考えてこんかった人やないの。はい、お癇」

父「おぅ、熱っ、おい、ちょっとこれ熱いんとちゃうか。すきやきの時の癇は五十三度に設定しといてもらわんとあかんやないか、おいおかん、お癇の仕方まちごうてまへんか」

母「なにがおかんおかんや。何をしょーもないことをゆうてはんねんな。あほくさい。熱かったら自分の気に入る温度になるまで一升瓶から埋めていったらよろしいねん。大体な、徳利 に指つっこんで五十三度、なんて分かるはずないやないの」

父「アホ、鍋奉行の家内はな、その位にならんとあかんのじゃ。鍋奉行の名人級の嫁ともなるとな、三十六度の人肌からヌル癇、熱燗、そして九十度の熱熱(あつあつ)癇まで全て指先一本で温度が計れるようにならんとあかんねんぞ」

母「そんなもん、ヤケドするわ。何でもええけど、はよちゃっちゃと食べまひょうな」

父「コラ、ナベコ。『何でもええけど』てなんやねん。お前は鍋を冒涜(ぼうとく)する様なこと云うたらアカンで。ええか、ナベコ、この際云うけどな、お前がもしナベコ云う名前でなかったら、わしはお前と一緒になってへんねんで。今のこのお前の幸せはなかったんかも 知れんねんで。その辺りのことを胸に手ぇ当ててよお考えないかんで」

母「よう云わんわ、あほくさ。私はほんまは「苗子」やのに、勝手にナベコ、ナベコて呼んで。ウチの表札からカードから全部「鍋子」に変えてしもて。ほんで子供の名前まで「シラコ」に「イトコ」て、勝手に市役所へ届けんねんから、ほんまによう云わんわ。ほんでイトコて 何や、云うたら「イトコンのイトコに決まってるやないかぁ」云うて。。もう情けないわ」

父「アホ、それが鍋奉行の家に生まれて来た者の、使命・宿命・性(さが)というもんやない か。あ、酒がやっとええ温度になってきた」

母「あほくさ。あんたが勝手に道楽で鍋奉行検定を受けてるだけですやんか」

父「アホ、これはな、道楽とは違うで。これは、茶道とか華道とか柔道とか剣道と一緒でな、この鍋の道、鍋道(なべどう)は人の生きる道のことなんじゃぞ」

母「ほんまに大層やで、えぇ。鍋になったら裃(かみしも)付けて、目の色変えて軍配で皆(みな)に差配(さはい)すんねんから、回りのもんはビクついて鍋どころやあれへんがなほ んま、大袈裟な」

父「これは袈裟やない、裃(かみしも)や。これやから素人衆はあかんねん。明日は鍋奉行検定の昇格試験の日ぃやないか。明日の規定種目はすき焼き奉行の部やから、その予行演習で今日はすき焼きにして呉れてんのんやないか。これで明日合格したら、この裃の肩の金線が 一本増えるんやないか」

母「なに云うてんのんな、去年、同じすき焼き部門の試験に落ちた日ぃから、今日のすき焼き は決めてなはったやおまへんか、なあ、シラコにイトコ」


姉「そうそう、せやけどあの試験オモロイなぁ。大の大人がずらーっと並んで、裃付けて、鍋に向かって軍配振ってる姿にはワロタわ」

父「アホ、笑うな。あれは実技試験じゃ。笑うなんてことしたら、鍋道武家流家元様(なべどうぶけりゅういえもとさま)に失礼やないか。(改まって)おっほん、いざ。ほなイトコ軍配取って、よっしゃ。ほな始めよか。シラコ、教科書の最初のトコ見とって呉れよ」

姉「え、嫌やけどコレ見とかな、すき焼き食べられへんねんやろ。しゃあないから見とったるわ。この『正しい合わせダシの取り方』、のトコからでええのん」

父「コラ、お前それは寄せ鍋部門の教科書やないか。すき焼き部門の教科書を出さんか。ほんで、さっきもう具ぅのチェックと鋤鍋(すきなべ)とコンロの扱い方のトコは予習が終わっ たから、立会いの脂身(あぶらみ)敷くトコからいくぞ」

母「立会いやて、相撲か!けったいな。。。」

父「いつも云うてるやろ、鍋に最初に何かを仕掛けることを、鍋道では立会い、ていうのや。こっから気合入れていかな上段者にはなられへんねんぞ」

母「なにが上段者や。冗談は顔だけにしときなはれ。もうはよ食べような」

父「無礼者、今日は大事な予行演習やぞ。奉行の回りにおる者も手伝うて呉れんと困るやないか。教科書に沿ってじっくり進まないかんから、最初の肉に行くまで今からあと一時間は先 やぞ」

母「あほくさ、いややわそんなん、子供も欠食児童みたいな顔してぴいぴい云うて待ってますのんやから、ちゃっちゃとしてぇな」

父(軍配を振って)「ほな、西方(にしかた)の火力方(ひりきかた)、火ぃの加減を弱弱中(じゃくじゃくちゅう)から強中(きょうちゅう)に上げイ。。上げイ。。。。おい西方、 イトコ、おい」

妹「あれ、これ、どこまで強めたらええねんやったかな。ちょっと、あれ。。。」

父「おいおいそんなことでは困るやないか、お姉ちゃん、そこのとこちょっと読んでみて」

姉「えーっと、あぁこの『すきやきに於ける火力について』のとこやな、えーとあぁここか。えー、鍋道に於ける火力は、強火から弱火まで九種類の呼び名で呼ぶ、と。すなわち強強、強、強中、中強中、中、中弱中、弱中、弱弱中、弱、に分けられる、と。尚、すき焼きの 立会いの脂身を敷く際には火力を強中にすべし」

父「そうや。火力のつまみを頭の中で九つに割って、その上から三番目が「強中」やないか」

姉「せやけど、それを覚えなあかんのんはお父ちゃんなんやで。私らがそんなに真剣に覚える 必要がどこにあんのん」


父「アホ、確かに明日の試験だけのことを考えたら、わしがひとりでちゃんと差配出来るかどうかの問題や。せやけどもわしの子供に生まれた限りは、お前らにもこの鍋奉行師範代とし ての道をきっちり歩んでいってもらわんとあかんやろ。お前らにはわしのビジョンと親心が 全然分かってない」

姉「分かりたないわ!そんなもん。今どき女で鍋奉行なんかやってたら、嫁にも行かれへんわ」

父「大丈夫や。日本鍋奉行協会の青年部の連中はほとんど全部独身やから、よりどり見どりやぞ。お前なんか一発で玉の輿やで」

姉「何が青年部やのん、あんなオッサン連中。青年部の平均年齢が四十歳超えてて、ほとんど全員が独身やなんて、私あんな鍋臭いオッサンいややし。とにかく鍋奉行とだけは結婚しませんからね」

父「アホ、協会の奴はみんな鍋一筋で、五十代でも六十代でも七十代でもほとんどみんな独身やねんぞ。青年部の四十代なんかまだまだ鍋の蓋をかじってる若造連中や」

姉「お父ちゃん、私にお父ちゃんより年上のジジイと結婚しぃて云うの」

父「いや、恋愛に年齢は関係ないぞ、シラコ。上原謙を見てみい、芦屋小雁を見てみい」

姉「私かって上原謙やったら結婚するわ。お金もあるし、加山雄三にも会えるし。芦屋小雁はちょっと嫌やけど。。。」

父「なんや、お前は金や名声の方が大事やっちゅうんか。イトコ、お前はどうやねん」

妹「カネと名声に決まってるヤロ!お父ちゃん、何でもええけど、お姉ちゃんは中学生で私はまだ小学生!火ぃ強めたあるんやからはよして!こっちはさっきから腹減りまくっとんねん!こら、はよせいオヤジっ!」

父「はいはい~、っと。オトろしい小学生やで。ほたら、いざ。(軍配を振ってゆっくりと)おっほん。あぁ~、あぁ~、えっほん。いざ、いざ、立会いィ~、立会いィ~」

姉・妹「コラ、オヤジ!何でもええから、はよせんかい!」

父「はいはい~」

 わあわあ云うて、やっとすき焼きが始まりました。ただ、すき焼きと云っても、その土地土地で具ぅやら、作り方、なんかが色々と違って参ります。白菜を入れる、入れない、コンニャクは肉を堅くするとかしない、とか。小鉢の卵の黄身を最後まで割らんと食べる奴がおったり、その黄身を横から箸で刺して割る奴がおったり、ともう様々でございます。鍋もんというものの正式なルールなんかは本当はありません。肉でも魚でも野菜でも、冷蔵庫に残ってあるもんをどんどんと入れていく。そのうちにその家だけの味というか、それぞれの家々の鍋のしきたり、というものが出来上がってゆくようです。

父(軍配を振って)「いざ、脂身を。じゅう、と。おっと、うわぁ、やっぱりうだうだ云い過ぎたな、煙がすごいわ。イトコ、火ィを中にせい、あいやイトコちゃん中にしてね。ほんで ナベコ、脂をすうと回しなはれ、こう鍋全体にすうと、そうそう」

母(いやいや)「はいはい、奉行はん、これでよろしおまっか。あほくさ」

父「なんか態度が投げやりやなあ、そういう心掛けでは立派な鍋奉行の嫁にはなれんぞ」

母「はいはい、奉行さん。あ~あほくさ」

姉「お父ちゃん、脂身を鍋に沿って七回転半回したら、肉を敷きつめよ、って書いたあるで」

父「おっと七回転半やったな、煙がわぁって出たからうっかりしてたわ。そしたら、肉いこか、肉は焼く一時間前に冷蔵庫から出しておいた奴や。もちろんこの時間は、季節や温度・湿度 によって微妙に変わるねんけどな。今それを説明し出したらイトコにちゃぶ台ひっくり返さ れそうやから、やめとくけどもな。はい、肉ね、肉は鍋全体に敷きつめる場合もあるけども、最初の一枚は重要やろ。最初の一枚だけは最高にええ肉の最高にええ部分の最高に高い、グラム四百七十円の肉を、わしらの人数分の四枚用意したあるからな。山椒の粉をぱらぱらっと振るやろ、これがまた風味が出てええワケや。これを今からそうっと置くねんけどもな、そうっとは置かなあかんねんけれども、四枚の焼け具合が均等にもならんといかんので、そ んなにそうっともしておられんのや。そやから、」

姉「何でもええから、ハヨ置けっちゅうねん!お父ちゃんのおれへん時なんか、三人でもっとええ肉食べてるっちゅうねん!」

父「おねえちゃんまで、コワなってきたな。。ホナいくよ~。一枚~、二枚~、三枚、シマイ~。はい、これでしまい~、てかっ」

母「しょーもないこと云うてんと、ちゃっちゃっとしいな、あほくさい」

父(軍配を振り回して早口で)「肉を敷いたら、すぐに砂糖や!ま、わしらプロの奉行仲間ではザラメを使うねんけどもな。砂糖を肉の上に振りかけイ!そうれっ!そうれ!そんで間を あけずに醤油や!ま、わしらプロの奉行仲間は割り下なんか使わんと、生醤油にちょっとミ リンを入れた奴を使うねんけどな。そうれっ!そうれ!でへへっ!でへへへへへっ!」

妹「お父ちゃん、気色悪い~」

父「アホ、肉と醤油のこの焼ける時のこのサウンド!それにこの匂いと熱のハーモニーは絶妙の調和や!ここで笑わん奴がおったら人間ちゃうでしかし!絶対にここでは笑ろてまうなあ、しかし!」

母「なにがしかしや、あほくさい。去年の検定試験でも一番最初の肉のトコで笑ろてもて、即失格やったやないの。ここでは笑たらあきまへんねんで、お奉行はん!」

父「皆まで云いな、わかっとるて。今日は予行演習やから特別に笑わせてもろてるんやないか」

母「あほかいな。あんさん百パーセントここで笑ろてるやんか。検定受けるだけで六千円もかかってんねんから、最初の肉のトコで失格やったら丸損やわ」

父(落ち着いて)「そういう困難を乗りこえて、人間は成長するんやないか。ええ、わしが他になんか買うて呉れていうたか。わしがなんか無駄に使こたことあるか。ないやろ!とにかくわしは百パーセント、鍋奉行に命をかけてるんやさかい、家族であるお前らにも理解っちゅうもんをしてもらわんと困るがな」

母「あほくさ。そんだけの情熱がなんでもっと仕事やとか、ほかのまともな分野に向かんかなぁ」

姉「お父ちゃん、あのぅ。。」

父「なんや、シラコは黙ってい」

姉「あの、いや、最初の一番肉、こんなにじゅうじゅうやっててもええのん?」

父「ワオっ!そおやがなっ!なんでもっとはよ云わんねん!一番肉は一番大事やから絶対目ぇ離したらあかんのに。わしとしたことが。ビフテキで云うたらミディアムレアくらいで引き上げて丁度ええくらいやねんから。いや、尤も(もっとも)好みによっては、ウエルダンやとか、やっぱりレアやでとか云う奉行もおるねんけども、わしの趣味から云うたら・・・」

母「やかましいわ!堅となるどころか、焦げてまうわ!(取り分けて)シラコ、イトコ、はい はい、一番肉いただきまっせ」

父(軍配を振って)「すき焼き立ち会い一番肉!食(しょく)してよかろうぞぉ!」(拍子)

 わあわあ云うてすき焼きは進んで参ります。関東の方(ほう)では、割り下を使う場合が多いようです。あらかじめダシとか醤油とか、砂糖やとかがちゃんと計算通り入って味付けされたものを使います。大阪やとか京都では、肉の上に砂糖を敷いて、醤油をかけます。炊いてる内に味が濃うなってきたら、お酒を入れたり、水を入れたりします。ビールをちょっと入れると旨い、と云う人もいてはります。お肉以外の具ぅのことを「ザク」と云うたりします。普通は、豆腐、ネギ、シイタケ、白菜、タマネギ、イトコン、三つ葉、麸ぅ、位ですかね。お家によっては、エノキ、シメジ、ニラ、モヤシ、タケノコやらニンジン、カマボコなんかを入れはる所もあるみたいです。最後にうどんを入れたり、ごはんを入れたりすると最後まで綺麗に食べられます。
 すき焼きの方も、とにかくお肉を食べるとみんな落ちついてくる様ですナ。

姉「お父ちゃん、お父ちゃんは鍋のぐるりにネギを持ってくるけど、そんなことはこの教科書には載ってへんよ」

父「せや、これはわしが発見したことなんやけどな、鍋のぐるりには火ぃが回るやろ。せやから鍋の外側は内側に比べると温度がかなり高こなるんや。ほんでそこにはネギを置いて、温度調整している、という具合や。鍋の中の野菜の割合が増えると、中の温度は色々と変化す るんやナ」

姉「ふうん、そしたら一番肉とその後の肉の焼き方は変わるって云うことなん?」

父(軍配を振り回して)「そうや!偉いっ!さすがに娘鍋奉行や。ええところに気がついたな。今日の鋤鍋(すきなべ)は直径二十五センチの小ブリの銅(あか)で、深さもあるやろ。このサイズの鍋の場合は、二番肉、三番肉では、ザクを下に敷いて、その上に肉を乗せるんや。もちろん肉の上には砂糖と醤油は要るで。そうやって蒸し焼き状態で食べる肉もまた一段と 旨いワケや。鍋がこれより大きかったり浅かったりの場合は、こんなにうまいことでけへんねんけどな」

姉「ほんまや。肉が鍋底に一回も付いてないのに、美味しくできてる~。イトコもはよ食べや」

父「ほぅれ、豆腐とイトコンは同時に入れると水分が出すぎるから、もうちょっと時間差で入れぃ。そうそう。ほんで、お前ら肉ばっかり食ってるやないか。バランスっちゅうもんがあるやろ、野菜も食べや。イトコ、お前卵終わってるやないか、ホゥレ二個目行け」

妹「お父ちゃん、軍配邪魔。お父ちゃん、卵は普通何個使うのん」

父(軍配振りながら)「偉い!イトコ!ええ質問や。さすが、娘鍋奉行や。」

妹「お姉ちゃんの時も同じ様に云うたよ。軍配邪魔やて」

父「え、あぁそうやったか。とにかく、偉い。卵はな、付け方にもよんねんけど、普通に食べてても一個では足らんわ。普通は二個位やな。(偉そうに)ま、わしらプロは卵を飲む様に 食べるんで、いつも五個か六個は使うけどもな」

母「あほくさ。何のプロや、五個も六個も勿体ないわ。」

父「いや、すき焼きの味、というのは脂(あぶら)の味に加えて、甘辛(あまから)味とこの卵との調和、にあるんや。例えばこれがしゃぶしゃぶやったら、全国どこ行ってもどの家で も作り方は大体変わらへんやろ。しゃぶしゃぶっとしてタレに付けて食べるだけや。ところ がすき焼きの場合は、具ぅやとか味の付け方なんかが千差万別なワケや。そこがすき焼き道 (どう)のオモロイとこやな」

母「別にオモロイとは思わんけどなぁ。とにかく五個も六個も使い過ぎ。わ、この豆腐、味がようしみてて美味しいわ」

父「そやな、この豆腐の味も格別やな。豆腐も普通は焼き豆腐を入れる家が多いねんけどな、ウチではキヌゴシを使こてるワケや。キヌの場合は、引き上げる時に気ぃつけなあかんけど、 ぽちゃぽちゃしとって旨いやろ。おいイトコ、イトコン残してるやないか」

妹「軍配、邪魔。せやかて私がイトコン食べたら共食いになるやろ。そやから嫌いやねん」

父「そんなん心配しとったら、お姉ちゃんはシラコ鍋食べられへんやないか。お母さんなんか鍋そのものが共食いになんねんぞ」

母「なんで私が鍋食べられへんのん、あほくさ。イトコ、イトコン私が食べたるわ」

父(軍配を振って)「控えぃ、控えぃ。具の貸し借りは鍋の道に反するゾ。ほんまに不要なものは取らへんのが原則や。イトコもイトコン食わなアカンて云うてるがな」

妹「お父ちゃん、軍配と裃(かみしも)邪魔。せやかて、私スコブル付きの無類の肉好きやんか。お肉でお腹いっぱいにさせたろ、と思てんねんもん」

母「偉いわぁ、さすがわてが産んだ子ぉや。建前を捨てて、本質で生きてるわ」

父「こりゃ、何を云うか。小学生がスコブル付きの無類の肉好きてなことを云いな。それでも鍋奉行の家族か。立派な娘鍋奉行になってもらわんと困るやないか」

妹「私、そんなんにはなりとない。私はデザート奉行になりたいねん」

父「なんやねん、そのデザート奉行て」

妹「デザート奉行はええでぇ。ホテルとかレストラン行ったら、ケーキとかフルーツとかパフェとかの食べ放題とか、専用コースとかがあるやろ。あのレシピを作ったり、全体の構成を考えたり、コーディネートしたりすんねんやんか。あぁ、考えただけでツバがたまる」

父「汚いなあ。なんや、ああせえこうせえ云うたり、デザートはこうでねえと、なんか云うの
 がそんなにオモロイのんかなぁ」

妹「お父ちゃんには分からんやろけどな、デザート道(どう)の道も奥が深いんやで。カロリー計算したり、添加物やら賞味期限をチェックしたり、ダイエットメニューを開発したりもせなあかんねんから」

父「ほうか、まあええわ。奉行の道やったら何でもええわ。そのうちにデザート奉行ではもの足りんようになって、娘鍋奉行、女鍋奉行の道が自分の生きる道やと悟る日がくるわ」

妹「そうかなあ」

父「そらそうやがな。奉行の道にも色々あるとは思うけどもな、その最高峰に位置すんのんが、
 オッホン、(偉そうに)この鍋奉行、っちゅうこっちゃないか。せやから今の間にお前らに も正しいすき焼きには正しいすき焼きの食べ方があるっちゅうことを教えてやってんねんや ないか。おいシラコ、えっと最後の締めのトコいこか」

母「あんた、ちょっと待ってぇな。この野菜の皿にある野菜も全部炊いてしもてぇな」

父「おん?どれどれ、そやな。おっ、白菜の下になんかあるな。。うわっ!なんやこれ。何、このトマトみたいなもんは」

母「それがトマト以外のもんに見えるか。冷蔵庫に一個残っとったから切ったんよ。あんたさっき具ぅのチェックも済んだ、て云うてたやんか」

父「うわ、何すんねん。さっき具ぅのチェックした時は、白菜の下に隠れとって見えへんかったんや。なんぼなんでもトマトは邪道じゃど」

母「何が邪道じゃど、や。しょーもないこと云いな。せやけど、せっかく切ったんやし、ばばっと入れて食べたらええやん、な、イトコ」

妹「そうそう、色も綺麗し、面白そうやん。入れよ入れよ」

父「いやあ、わしも日本全国のすき焼きを食べ歩いたけど、トマトを入れるとこはまだ見たことないで。 大体トマトの酸味がすき焼きには合わんと思うし、肉の味にも影響が出る。なあ シラコ。。うわ、こら、シラコ何してんねん。あーぁ、トマト全部入れてまいよった。。。」

姉「お父ちゃんがウダウダ云うからざあっとあけたったんや。久しぶりに鍋でワクワクしてきたわ」

父(軍配をひらひらさせて)「あぁ、入れてまいよったあ。シラコもわしが喋ってる間はトマトを入れるのをトマットってくれたらええのに。うわあ、トマトがぐつぐつ煮えてきたわ。お前らこれも卵で食べる気ぃか、どうすんねん」

妹「私は卵で食べる。お姉ちゃんは?」

姉「私も卵で食べてみるわ。オモロなってきた~」

父「わしはちょっともオモロないねんけどなあ。大丈夫かなあ」

母「そんなに心配せんでも、すき焼きにトマト入れた位で死なへん死なへん」

父「いや、誰も死ぬとは云うてへんねんけども、余所(よそ)行て他言(たごん)せんといて呉れよ。あの鍋奉行はんの家のすき焼きにトマト入れた、なんちゅうことが、世間様に知れ てみい。わしの奉行人生は終焉を迎えることになんねんぞ」

母「誰がそんなしょーもないことを余所で云うねんな、あほくさ」

妹「トマトがぐっつぐつになってきた!」

姉「食べごろやねぇ」

父「そうかぁ。なんか特殊な色になってきてるぞ。大丈夫か」

姉「大丈夫やっちゅうねん。ケツの穴の小さいオヤジ」

父「こら、シラコ、鍋の最中にケツの穴はいかんぞ、ケツの穴は。鍋の道に反するぞ」

姉「はいはい、慢性肛門縮小症候群のお父上。すき焼きトマトの完成でござるよ」

母「なんかええ匂いしてきたな。イタリア料理みたいな」

父「そんなアホな。これはすき焼きなんやぞ。。。どれどれ、うーん。。。トマトの甘い香りが、すき焼きの下地に包まれて熱くホットに輝いている、うーんトレビア~ン」

母「何人(なにじん)やねん!あ、そろそろもういけてんのんとちゃうか。ちょっとイトコ、レンゲ取って。レンゲでみんなにすくてあげるわ」

姉・妹「は~い」

妹「うわ、卵に入れてもすごい湯気出てるわ。アツアツでなんか美味しそう」

姉「ほんまやなぁ。あ、お母ちゃん、一気に二個も?」

母「そうや。ホレ美味しそうやもん。お父ちゃん食べはれへんし、あんたらあと二個づつ食べや」

父「え、トレビア~ンとまで云うた、わしのんはないの」

母「鍋の道に反する邪道から、食べへんねやろ」

父「え、そら、まぁ、そうやねんけどな。。。」

姉「うわ、アチッ、ふうふう、あぁ結構美味しいわぁ。卵の味にもマッチしてる。トマトが甘くなって卵でマイルドになって、新しい味やわあ!」

妹「お姉ちゃんそんな熱いのよう食べれんなぁ。私キャットタンやからまだ食べられへんわ」

母「なんやのん、キャットタン、て」

妹「猫舌のことや」

母「どこで習ろてきてんな。ややこしい云い方しいな。ふうふう、あ、シラコの云う通りや!美味しいヤンか!トマトの酸味がトロっとマイルドになってるヤン!イトコのんももう冷め てるのんとちがうか」

妹「ふうふう、アチっ、まだちょっとアカンけど。。ふうふうふう、ホヘハラヒホ。。。ファ~、ホウァホヒシヒィファ~!」

母「なんやて」

妹「ホウァ~ホヒシヒィファ~!」

母「なんやのんな」

妹(ごっくりとして)「あ~ぁ、熱かった!これは~美味しいわ~!」

母「なんや、これは美味しいわ、かいな。な、な、美味しいヤロ!な、残りもハヨ食べよ」

父「おっほん」

母「さあさあ、鉢を前に出し。二個目入れたげよ、さあさあ」

父「え~、うっほん」

母「え、何?あんたどうしたん?急に風邪でもひいたん?」

父「いや、別に。。。えっほん。あ~そのトマトの件、なんやけどな」

母「トマトがどないしたん。美味しいわ~」

父「わしも食味(しょくみ)致そうか」

母「致してイラン」

父「いや、そうだそうだ、わしも食味致そう」

母「いらんて!邪道なんジャロ」

父「お前まで何云うてる。いや、やはり鍋奉行としては、何ちゅうか、このたゆまざる探求心というか、二十一世紀に於ける新しいすき焼きの味、というものも知らずして、何の鍋奉行 かと。しかして。。」

母「何をごちゃごちゃ云うてなはんの。食べたいんやったら素直に食べたい、て云うたらええのに。何がたゆまざる探求心や、何が二十一世紀に於ける、や。もう、一個あげまっさ。ほ れどうぞ」

父「いや、わしもな、食べとうて食べるワケやないねんで。一応、指導員としては、鍋に入ってしもたものはチェックする義務っちゅうもんがあるやろ」

母「何の指導員やねん。ごちゃごちゃ云うてんとハヨ食べえな」

父「え、うん。。うわぁ、ほんまに熱々のトロトロになりよんなぁ。ダシがしみて、ちょっと茶色うなって、それが卵とからまって、ええ匂いしてるわ。。ほな、いただくで。ふうふう、ほう?熱っ。ほおっ!ホオッ!旨いやないか、これっ!トマトの種のトコがトロトロになって、この甘辛いダシによう合うてるわ。ほんになかなかの珍味やで、これは!」

母「最前からずっと美味しいで、て云うてますやん。なあ、シライト」

姉「おかあちゃん、二人分合わせていっぺんに呼ばんといてえな。何か滝みたいで嫌やわ。せやけどホンマに美味しかったわ。なあイトコ」

妹「うん、ふうふうして冷めたのも結構イケタよ」

父「ほんまやなあ、こらあ今度の寄り合いで報告せなアカンなぁ」

母「なんやのん、寄り合いて」

父「こないだ云うたやないか。来月、茶臼山で開催される「世界鍋奉行サミット」のことやないか。(にたついて)当然わしも特別招待されてんねんけどな」

母「何を半笑いで云うてんねんな。そこでそんな報告するん?」

父「そうや。世界中から鍋奉行が集まるんや。スイスからチーズフォンデュ奉行やろ、韓国のチゲ鍋奉行やろ、ロシアのボルシチ奉行にベトナムのヘルシー鍋奉行も来よんで」

姉「世界中にもいっぱいおんなじ様なヒマ~な人がいてんねんなあ」

父「アホ、何をいうかシラコ。日本からも各専門家が集合や。北は北海道の石狩鍋奉行に秋田しょっつる奉行や。茨城のアンコウ鍋奉行に広島のドテ鍋奉行はんも来やる。そうそう今年 は福岡の鶏の水炊き奉行も来るらしいわ」

母「あんた、そこで何報告すんのん」

父「日本のすき焼きにトマト革命が起きた、という一大論文を発表するんや。イタリア代表とかスペイン代表やらが喜びよんで」

姉「そんなん喜ぶかなぁ。まあええわ、お父ちゃんまあそこでも盛大がんばってナ。」

僧「頼もうぞ!頼もう!」

母「アラ、こんな時間に誰か来たで、何かしらんけど頼もう、て何か頼んではんで。あんた、何か約束でもしてはったんか」

父「知らんで、誰かいな、これからフィニッシュのとこ予習せんならんのに。おい、イトコ、ちょっと行てこい」

僧「頼もう!頼もうぞ」

妹「はーい。はい、こちらは鍋道武家流宗家脇教授師範代六段の修業名鍋好夫(なべすきお)の家で、私は娘の鍋イトコでございます。只今デザート奉行に憧れ中の、ついでに恋人募集 中です!」

父「アホ、初対面の人に何をいうとんねん、ちゃんと聞かんか」

僧「頼もう。流石に奉行家の娘様。ご丁寧なるご挨拶、誠にもって恐縮致し候。いやいや、失 敬。私(わたくし)は、和歌山の九度山(くどやま)・根来寺(ねごろじ)から参った、僧兵鍋奉行の、和歌熊夫と申す修業奉行僧でございます。現在、全国を行脚して各地の有名鍋奉行の道場を見学し、後学の為にと修業の旅の途上でございます。昨日、池田のボタン鍋奉行殿の道場へ参った折りに、大阪の宗家脇教授六段のお噂を拝聴し、ここに道場の見学をと 参った次第でござります」

妹「お父ちゃん。この人も鍋奉行さんなんやて。なんか和歌山の熊鍋奉行さんて云うてはるけど」

僧「娘殿、娘殿。私は熊鍋奉行ではござらん。和歌山から来た和歌熊夫という僧兵鍋奉行でござりまする」

妹「お父ちゃん。この人熊鍋奉行と違ごて、ソーヘー奉行さんなんやて」

父「へーそう。え、ホタラあんたがあの有名な僧兵鍋の僧兵鍋奉行はんでっか」

僧「そうそう。私があの有名な僧兵鍋奉行でござる。大阪に宗家脇教授六段が居られると聞き、 又、明日はあの難関至難な昇格試験を受けられると聞き、突然ではござったが、陣中見舞い と思い、こうして道場に馳せ参じた次第でござる」

父「道場に、陣中見舞いを。そうでっか!道場にどうじょどうじょ」

母「あんた、何しょうむないこと云うてんのんな。寒いからはよ上がってもらいんか。ささ、 奉行はん、道場ではございませんが、どうじょお上がりくださいませ」

僧「かたじけない。では、お邪魔をば」

父「僧兵鍋奉行はん、上がんなはれ、上がんなはれ」

僧(上がって)「いや、かたじけない。大阪の奉行殿、明日はすき焼き部門昇格試験とうかがっておりますが、やはり本日は予行演習でござりますな」

父「そうでんねんがな。ま、予行演習云うても内々のこってすさかいにな、大したこともできませんねんけども、ま、こうやって一家でわあわあ云うのんもオモロイし、大概毎週日曜日はこうやって鍋を囲んでる、ちゅう次第でおますわ」

僧「ほう、結構結構」

父「コケコッコ」

母「あんた、しょうむない茶々入れなはんな」

僧「結構結構。全国にも様々な鍋奉行が居られるが、こうして家族総出で応援されておられる家は意外と少ないのでござるぞ。孤独な鍋奉行が結構多いこのご時世。いやいややはりこういう奉行はんが一番でござる」

父「そうでっか。うんまあ、そうでんな。死にかけてても独身で、一生を鍋に賭けてる様な奉行ばっかりやもんなぁ。まあ、何やかんや云われながらも、こうやってみんなで寄って鍋つついてるんでっさかい、その間に何ちゅうかコミニケーションみたいなもんは常々にも生ま れてきよりますな」

僧「結構結構。21世紀の鍋奉行界もそうやって、開かれた国際的な文化の継承と創造に役立っていくべきでござるな。いやいや、本日は勉強させていただいたでござる。いや、かたじけ ない」

父「そんな大それたつもりでやってんのんやおまへんけどもな、ま、まあまあそういうこってすわ」


僧「ところで大阪鍋奉行殿、このすき焼きから発っせられる、この珍香(ちんか)は何様(なによう)でござりますか」

妹(小声で)「お父ちゃん、この奉行はん、ちんこは何色、て云うてはるで」

父(小声で)「ホンマやな。ちんこ、て、あのチンコ、やろか」

僧「大阪鍋奉行殿、どうかされたか。この珍香は何様でござるか」

父「え、ええ。わてのちんこは恥じらいピンクの縞模様」

僧「奉行殿、ちんこ、ではござらん。この珍なる香りは何の残り香でござるか、と申しており
 まする」

父「ああ~、この珍なる香りでっか。いやね、最前ね、こいつらがわしの許可なく、すき焼きにトマトを入れよったんですわ。ほんでまあわしも入ってしもたもんは食べなしゃあないと思て食べてみたんでっけどもな、これがまた意外や意外、それこそ乙で珍なる味やったんで びっくりしてたトコですわ」

僧「ほう、すき焼きにトマトでござるか。さすがに名だたる鍋奉行。新たなる挑戦でござりますな。僧兵鍋にもそういうことがございましたが」

父「え、あの有名な僧兵鍋にもトマト入れまんのんか」

僧「はい。あの有名な僧兵鍋はシシ肉を使いますが、基本的には力のつくもの、滋養の高まるものは何を入れても良い訳でござる。そういうダイナミックな所があの鳥羽上皇にも喜ばれたし、根来寺に集まって、あの秀吉の軍と戦った僧兵たちにも愛された訳でござる。特に今の山菜僧兵鍋というものにはトマトを入れたりする場合もござりまする」

父「そうでっか。ほお、聞いてみるもんでんなあ。あの有名な僧兵鍋にトマトでっか。へえ、山菜僧兵鍋というものがおましたか。いや、知りまへんでした」

僧「いやいや、もともと僧兵鍋というものは、作る度(たび)に中身が違ごた訳でござる。シシ肉を使って味噌味で食べる、というトコだけがまあ決まりと云えば決まりで。恐らくその昔はトマトもなかったと思うので、近年になって観光客向けに山菜僧兵鍋という名前で、その時の有り合わせも入れて作ったのではなかろうか、と拙者は愚考しておりまする」

父「なるほどなぁ。いやあこっちこそ勉強になりましたわ。なるほど、鍋の世界はやっぱりオモロイわ。なあ、お前らも後学のためによう聞いとけよ」

母「あんたよりよう聞いてるわ。ほら、すき焼きにトマトを入れたんも、結果的には成功やった訳やね」

父「そうやな。物事には絶対はあらへんな。あんまり意味の無い大勢の観念が、勝手に決めごとを作ってる場合が多いねんナ。すき焼きのトマトかてそうや。すき焼きにトマトなんか入れるもんやない、という固ぁい頭がわしには最初からあったんや。ほんでやってみたこともないのんに、あかんあかんて云うとった訳や」

僧「結構結構。そこまで悟られておられれば、更に立派な鍋奉行の道を歩まれることでござりましょう。僧兵鍋というものも、ああしたらいかん、こうしたらいかん、ということはほとんどござらんかった訳です。それでもこうやって鳥羽上皇の時代から云うと八百年近く経った今でも僧兵鍋という名前で立派に残っている。無理に残そうと致した訳でもないのでござるが、良いものは残る。残るものは残る、ということですな」

父「いやあ、流石に僧兵鍋奉行殿、伊達に全国を行脚されておられませんなあ。わしも今までだいぶ依怙地になっとったトコがおますわ。アカン、アカン云うて、何も新しいことには取り組んでこんかったワケですわ。そやけども、今日はホンマに勉強になった。トマト入れられた時にはどないしょうかと思とったけども、これはお前らみんなとこの僧兵鍋奉行はんに感謝せなならんなあ」

僧「なんの。拙者の方こそ、大層良い勉強になったでござる。突然の道場陣中見舞いでござったが、誠に佳い時間を持てました。あまりの長居は明日の試験に響きます。したらば拙者、この辺で、紀州街道御足も軽く、紀州九度山根来寺寓居へ、これより帰り、参じませまするぅ」

父「え、あぁそうだっか。もう帰りなはんのでっか。あれま、もう行ってもたがな。こんな夜に大阪から和歌山まで歩いて帰えんねんやろか。。せやけど、ま、突然ではあったけども、ええ励みになったな。わしも絶対に明日はがんばらなあかんと、またガゼンやる気になって きたで」

母「そやなぁ、あんだけ熱心に応援してくれる人がおって、あんたもそこまで気ぃ入ってんねんやったら、もうトコトンやったらええねん。ほんで何やったらそんなショボイ裃やのうて、ヒデキチみたいな、鎧兜(よろいかぶと)で、ついでに刀も刺して行きなはれな」

父「戦(いくさ)やないねんから、そんな大層にせんでもええねんけどな。。ほんでお前それヒデキチと違ごて秀吉と違うか。豊臣秀吉」

母「そうそう、あの大きい選挙になったら絶対出てくる人」

父「ちょっとちゃうけど、まあええわ。そうかそうか、みんなやっと分かってくれたか。。 (半泣きで)わしも二十五年間、ひたすらこの鍋の道を一所懸命歩んできた甲斐ができたわ。。なあ、イトコも応援してくれるか」

妹「私はデザートも好きやけど、お肉もお鍋も好きやから、お鍋が食べられるんやったら応援するよ。この裃と軍配がちょっと邪魔やけど、我慢して応援するわ」

父「ほうかほうか、みんなすまんのお。わしも今度のサミットでぱあっとヒトハナ咲かせるわ。世界中の鍋奉行をあっと云わせたる。なあ、ほんまにありがとお。。そうそう、明日の試験のおさらいが残ってるわ。シラコ、最後のとこちょっと頼むわ」

姉「うん。えーと、『すき焼きのフィニッシュについて』のトコやな。あった『最後にはごはんやうどんを入れる場合がある。尾張地方ではうどんの代わりにきしめんを使用する。また卵でとじる場合もある』やて」


父「そうや。今日はごはん入れてオジヤにしよか。イトコ、火ぃを中強中(ちゅうきょうちゅう)にしてくれ。ナベコ、冷やご飯入れて」

母「はいはい、よいしょ、っと。これくらいでよろしか」

父「おう、そんなもんやな。イトコ、火ぃをちょっとゆるめてくれ。ほんで鍋子、味がちょっとくつくつになったぁるから、ちょっとだけ水足して。それからシラコ、卵割っといてくれ。ほんで、きざみ海苔も手ぇで揉んで用意しとってくれ。それと、おタマも持ってきとって。それから冷蔵庫に漬けもんがあったやろ、白菜とキュウリ、あれも出しといて」

母「何でもええけど、自分では動かん奉行やなあ」

父「え、何が、気のせいや。ごしゃごしゃごしゃと、こうかき回して、と。よっしゃ、ええ感じになってきたぞ。ホレ、かきまわしとくから卵入れてくれ。ほい、火、消して」

妹「ええ匂いやなあ。」

姉「ほんまや。もうおなかいっぱいで何も食べらへんと思てたけど、また食欲出てきたわ~」

父「おっしゃ、できた。はいはいはい、みんな食べてや。しかし何やな、食べるまではもう何が何でも食べたいと思うのもすき焼きやけど、食べ終わった後にもう二度と見んのも嫌、と思うのんもすき焼きやねんなぁ、これがまた」

母「ほんま、それは云える」

 すき焼きもここまで来たらもう何にもイラン、という気分になってくるもんです。オジヤまで行ったらもう大概みんな満腹でんな。

父「ほんでな、プロはな、最後にこのくたくたになった脂身を食べるんや。ちょっと小っそう切ったるから食べてみ」

妹「なんか乙な味やなあ、なあお姉ちゃん」

姉「うん、なんかぷちょぷちょしてる。不思議な味やわ」

父(また軍配を持って)「本日の、鍋道・すき焼きの儀ぃこれにてぇ、終幕ぅ~~」

母「あ~、美味しかった。もう胃ぃが切れそうで、なんも入らんわ~」

姉「教科書通り全部うまいこといってたわ。お父ちゃん、これで明日の昇格試験はばっちりやね」

父「おっほん。ま、そうなってもらわな困るわなぁ」

妹「そやそや、イトコも応援してるから、がんばって」

母「あんた、気張ってがんばりや。こうなったら、何が何でも昇格してや」

父「分かった。わしはお前らという最高の応援団を持ってるんや。お前らの分まで最高にがんばって、絶対に受かってみせるわ」

姉「ほんまにがんばってや。ほんならお父ちゃんに教科書返すわ。はい。あれ、何か紙が落ちた」

父「おう、何の紙や、何か書いたあるやん。シラコ、読んでみてや」

姉「えーっと、ナニナニ。。尚、本年度の鍋奉行検定昇格試験科目は、当初「すき焼きの部」を実施する予定でしたが、都合により「水炊きの部」に変更します」やて。。。

 わあわあ云うております。鍋奉行の一席でございます。

(おわり)


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