2023年シャニマス短歌解題

今年作ったシャニマス短歌の解題をまとめておこうと思います。


シャニマス詩歌部第17回歌会


題字「氷」

流氷でひとり旅する白熊の背中のようなきみ、わたし、たち

第17回歌会

付記を「シーズ」としたので、歌の主体としてにちか・美琴のどちらで読んでも当てはまるようにしました。
歌の情景として私がイメージしていたのは、レッスンやリハーサルなどでパフォーマンスするにちか/美琴を後ろから見ている美琴/にちか、あるいは、2人で歩いている時に先を歩いているにちか/美琴を後ろから見ている美琴/にちかというような、どちらかがどちらかを後ろから見ている場面です。
そんな相方の後ろ姿を「流氷でひとり旅する白熊の背中」のようだと感じています。
「流氷」という言葉には厳しい大自然を生きるたくましさを、「ひとり旅する」には寂しさを託しました。
にちか/美琴は、相方の後ろ姿を見て、たくましさと同時に寂しさを感じた。そういう場面を歌にしています。
そして、「きみ」に対してそう思った後の瞬間には、「わたし」もそうだと気づく。
そしてそこまで気がつくと、それは「わたしたち」だと言えそうな気がしてくる。
決して初めから「わたしたち」と括ることはできないけれど、どこかで似たような気持ちを共有しているのではないかという控えめな願いの結実として「きみ、わたし、たち」という言葉になったのではないかと思います。
そしてここで言う似たような気持ちとは、相手に寄り添いたいと思いつつもうまく寄り添うことができないもどかしさなのではないでしょうか。
「白熊」という言葉から「可愛い」「触ってみたい」という印象が導かれるのと同時に、生物としての「シロクマ」は恐ろしく、簡単に触ることはできません。
こうした「白熊」が持つ両義性と、シーズの2人がお互いに感じる「触れたいが触れることができない」という気持ちをリンクさせてみました。

音韻的な面ではあまり工夫はありません。表記の面では、「白熊」は人ではないので、「ひとり」はひらがなに開いて少し柔らかくしました。
歌が出来上がっていく過程としては、題字の「氷」から「流氷」→「白熊」→「旅」と連想した感じです。
「きみ、わたし、たち」が思い浮かんだ時に、自分としては満足の行く出来になったのでこれで提出しました。

題字「木」

まなざしは知りたいという光だと木もれ日として君に触れる手

第17回歌会

めぐるの歌です。私がめぐる担当ということで、ああでもないこうでもないと色々考えてしまい、作るのが難しかったです。
今回の歌会で一番苦労しました。

具体的な情景というよりは、思考の歌です。
めぐると「光」との関係について考えた時に、めぐるがイルミネのメンバーやファン・プロデューサーに対して向ける「まなざし」が相手を照らす光であり、そして逆に真乃や灯織・ファン・プロデューサーがめぐるに向ける「まなざし」がめぐるを照らす光になっているのではないかと思いこの歌を作りました。
そしてこの「まなざし」というのは、単に視線だけではなく、相手のことを思う気持ち・あなたのことが知りたいという意志も含むものだとして「知りたいという光」という言葉を導いています。
あなたのことを究極的には理解することはできないけれど、それでもあなたのことを思って手を差し伸べたいという気持ち、そしてそれを「光だと」信じている。
これが上の句で伝えたかったことです。
これを受けて下の句では、その「光」は「木もれ日として」あなたに届くものだと歌いました。
「木もれ日」が揺れるイメージや、「木もれ日」が持つ優しい印象から、光が「当たる」というより「触れる」と表現した方がしっくりくると思い、この表現を採用しています。
そしてまた、「木もれ日」は木に遮られて一部として届く光です。
めぐるはきっと、「光」が全て届くとは思っていないけれど、たとえ遮るものがあったとしても少しでもいいから届いてほしいと願うだろうし、必ず届かせてくれると思います。
めぐるが「光だと」信じて向けたまなざしが、伸ばした手が、木もれ日として「君」に触れる瞬間を想起できる歌になればと思って作りました。

こちらも音韻的に工夫する余裕がなかったです。全体的に言葉にしすぎな感じがあるので、もう少し焦点を絞りつつ、具体的な情景と合わせられたらよかったです。
まだ精進が必要ですが、これはこれで今の精一杯です。
イベントコミュ『Star n dew by me』『くもりガラスの銀曜日』やpSR【チエルアルコは流星の】への気持ちがどうしても溢れてきてしまって冷静に作れなかった気もします。

題字「鉄」

地下鉄の遠鳴りのなか噛み締めた唇に赤、口紅ルージュではなく

第17回歌会

にちかの歌です。地下鉄のホームで立っているにちかが悔しさに唇を強く噛み、血が出ているという情景を詠みました。
「遠鳴り」はあまり地下鉄には使わない言葉ですが、遠くから地下鉄の進む音が聞こえることが伝えられそうだと思いこの表現にしています。
地下鉄が遠くで鳴っているのが聞こえる。そして、電車は一つずつ確実に「進んでいく」もの。そんななかにちかは、ホームに「立ち止まったまま」悔しさに唇を噛み締めている。
きっとにちかは日頃からたくさん悔しい思いをしていて、「自分は前に進めていない」という苦しさを感じることも多いのでしょう。
上の句ではこうした息苦しさを詠み込んでみました。「地下鉄」という言葉自体からも暗さや苦しさが想起されると思います。
下の句では、血が出ているのを直接は表現せずに「口紅ルージュではな」いと否定を使って詠んでいます。
これはにちかにとって、「口紅」が心に引っかかるアイテムであるというところからの発想です。
もちろん下敷きにはイベントコミュ『モノラル・ダイアローグス』とそのイラストがあります。
そして「口紅」はある意味で「アイドルを飾り付けるもの」として機能していて、にちかはそれをどこかで「趣味が悪い」と感じている面もあるのでしょう。
だからこそ、「人工的」な「口紅」との対比で、「生命力」を感じさせる「血」が思い浮かべられるかなと思います。
そして私は、にちかの唇を赤くしているのが口紅ではなく血であることにある種の希望を見出しました。
苦しい。しかしそれは「生きている」からこそ。
にちかが苦しさを生の実感として少しでも肯定できる日が来ることを願って歌に込めさせていただきました。

音韻的な工夫として、「なか」→「赤」と韻を踏んだ後で最後に「なく」で締めることで少し外してオチにしました。
表記として口紅にルージュのルビをふったのは、「唇」が「赤い」ことをまず強調したかったのと、一方でそれをそのまま「くちべに」と読むとかなりくどい印象になってしまうということで、「ルージュ」とルビをふってくどさを和らげるとともに七音に収めました。
「鉄」という題字から、「地下鉄」に辿り着き、にちかで「地下鉄」を詠みたいなというところからできた歌です。

題字「息」

生えたての小さな翼は見えなくてまずは走った息が弾んだ

第17回歌会

かなりシンプルに作ってみました。
アイドルを始めて、背中に生えたばかりの小さな翼は自分では見えないけれど、まずはとにかく走ってみる。いきなり「飛べる」わけではないが、息が「弾んで」走り始めた実感が得られた。そういう歌です。
「翼」はある意味で、「自分がなりたい自分」「個性」としてシャニマスの中では描かれていると思います。
アイドルとして「自分がなりたい自分」を見つけ、叶えていく旅がこれから始まる。そんな期待をこの歌に込めました。
発想の下敷きには「シャイノグラフィ」の歌があります。

1st page
鏡を覗いても 自分色なんて 自分じゃ見えない

シャイノグラフィ

君が見るこの背中に 翼が見えるように
行こう

シャイノグラフィ

自分には見えていないけれど、共に走る「君」に見えるように走る。
メンバーへの、そしてプロデューサーへの信頼が胸に滲みますね。

音韻的な工夫として、まず「は」走っ「た」息「が」弾ん「だ」とaの音を繰り返すことであえて切れ切れな印象にして、息が弾んでいる雰囲気を出せるようにしてみました。
この歌はもともと

生えたての小さな翼は見えなくてまずは走ったあなたとあなたと

草案

という形でイルミネーションスターズの歌として作っていたのですが、今回題字の「息」に合わせて少し変えてみました。

歌会総括

今回シャニマス詩歌部の歌会に初参加させていただきました。
私が短歌を作り始めたのが今年の初め頃、シャニマスにハマったのが今年の7月で、5.5thのライブ『星が見上げた空』で溢れた気持ちを短歌にしたくなったことがきっかけでシャニマス短歌を作り始めました。(後で紹介します)
そんななかで、シャニマス詩歌部さんの活動を知り、こうして歌会に参加してみるとたくさんの発見がありました。
評などを通じて自分の歌に触れてもらえる喜びと、これからもっと頑張りたい部分。(大変ありがたいことに、題字「鉄」の歌では入選をいただきました!)
それから他の参加者の皆様の素敵な歌と評・解題からの学び。
こうしてシャニマスと短歌が好きな人が集まれる場があることがとても嬉しいです。主催者・参加者の皆様本当にありがとうございました。
訓練を積んで、次回も参加できればと思います。

樋口円香さん誕生日お祝い短歌


第1首

逃げ水をつい追いかけたその足はなぜ止まらない(息を吸うからだ)

樋口円香さん誕生日お祝い短歌

「なぜ自分はアイドルをやっているのか」という疑問を抱えながらも、足は動いてしまう。そしてそれはアイドルをはじめてしまったきっかけと同じように、「逃げ水」を追いかけてしまう自分自身のせいだと帰責する歌です。(誕生日のお祝いにこんなものを出すな)

「逃げ水」を「浅倉透」として読むのが入口ではありますが、「逃げ水」という言葉自体から「形のないもの」「触ることができないもの」をイメージして、円香の内に秘めた「形のないもの」としての強い衝動のようなものを感じられればいいなと思いました。
そして、(息を吸うからだ)とパーレンを使って問いへの答えを示しているのは、それが言葉として実際に発語したものというより、円香の心の内側からある種の自白のように滲みでてきたものという印象を与えたかったからです。

そうした「形のないもの」を追いかけているばかりでは、いつか目指すべきものを見失ってしまうかもしれないけれど、円香はもう「息を吸う」ように足を動かせているからきっと大丈夫。
そんな気持ちを込めて。

追いかけてるばかりじゃ
きっと きみが見えなくなる

アスファルトを鳴らして

今回の短歌は円香のGRADを読んで、「軽やかに飛ぶ」ことと大地を「重く踏み込む」こととの繋がりを感じて作ったもので、最初は以下の形でした。

逃げ水をつい追いかけたその足で重く踏み込み軽やかに飛べ

草案

GRADからもう少し先に進んで、「なぜアイドルをやるのか」という問いに触れたかったので、完成形は違うものにしたのですが、これはこれで気に入っています。
GRADの最終場面、エレベーターから降りる円香の、力強い一歩を感じて。

あなたの一歩は、軽くない
とても重くて、力強い

樋口円香GRAD最終コミュ【願いは叶う】

円香がこの先も「陸」を、「大地」を、強く踏み締めて進んでいけるように。

未来へ アスファルト鳴らして

アスファルトを鳴らして

第2首

宙を泳ぐ銀杏を乗せる手のように伸ばせていたらと悔やんで今さら

樋口円香さん誕生日お祝い短歌

宙を舞っている銀杏の葉を手に乗せるときのような優しい手つきで、「あなた」に手を伸ばせていればどんなに楽だったことか。

結局そうはできなくて、測り損ねた距離感を悔やんでも「今さら」だな、という歌になりました。

福丸小糸さん誕生日お祝い短歌


第1首

フラスコの小さな海は青くなく小さいことの意味を知る午後

福丸小糸さん誕生日お祝い短歌

フラスコに閉じ込めた小さな海が青くなくて透明だということに気づいたとき、それは「何色になってもいい」という可能性だと思えますように。

小さいことが「可能性」であること、という自己肯定を、「午後」=陽が斜めに射し込んでフラスコが虹色に光りそうな時間、に託してみました。
「五時」のように具体的な時間を指定することもできましたが、季節に左右されない午後のイメージを起こしたかったのでこの表現を選びました。

ただ、歌自体は「可能性」の言葉を入れずにニュートラルにしたので、「透明なまま変わらないのではないか」という微かな恐怖も感じられるような読み味になっていると思います。

さよなら、透明だった僕たち

ノクチル

第2首

画用紙を塗り残したとき生まれますその手を照らすきら星として

福丸小糸さん誕生日お祝い短歌

どちらの歌も学校関連のアイテムを詠みたかったというのがあります。
一生懸命に塗った画用紙の中で、塗り残した白い部分が星のように輝いているのを見つけた。
「塗り残し」は塗り残しではなく、「きら星」として一生懸命に塗った時間を讃え、照らしてくれる。
そんな努力の時間はもちろん、「塗り残した」日々や青春に「居場所」を与えてくれる、そんなアイドルとして「わたし」は輝いていけるんだ、という歌です。

西城樹里さん誕生日お祝い短歌


あまり解題することがないくらいのシンプルな歌です。
「落ち」ていく太陽を握りしめたくなるような寂しさ・名残惜しさと坂を「登る」前向きな気持ちを対比させています。
放クラの明るさの中にある寂しさのイメージと、坂を登って行くような樹里のイメージを詠み込んでみました。

黛冬優子さん誕生日お祝い短歌


ちょっとした試みとして「冬」「優」「子」で1首ずつ詠んでみました。

第1首「冬」

まだ雪の降らない冬の入口で普通列車がふたりを乗せて

黛冬優子さん誕生日お祝い短歌

12月4日が冬優子の誕生日ということで、まずは12月4日をイメージして「まだ雪の降らない冬の入口」としました。
そして、「ふゆ」の入口から始まる「ふたり」すなわち冬優子とプロデューサーとの歩みは、一駅ずつ進んでいく「普通列車」なのでしょう。それは「特急列車」のようなあさひの歩みと対比されるものではありますが、「ふたり」の歩みは一歩一歩進んでいくものであるからこそ、確かな信頼関係が築かれていくのだと思います。
この歌は「ふ」を極端に繰り返すことで印象づけられるように工夫してみました。

第2首「優」

いつの間にすり減っていた靴底を想って眠る夜は優しく

黛冬優子さん誕生日お祝い短歌

読みどころとしては、「すり減っていた靴底」を努力の証として読む、というところでしょうか。
そして、気づかないうちにすり減っていたり、傷ついていたりするかもしれない自分自身を労ってあげられるような優しさを冬優子は持っているのだということ。
自分自身に対する「優しさ」というのは大変難しいもので、自分自身に「甘く」なることとは違うんですよね。
その点、冬優子はストイックさと優しさを併有していてすごくバランスがいいように感じます。

覚悟を決めて、傷付いても構わないから
頑張るっていうのと
自分を傷付けていいってことは
イコールじゃない

【starring F】より『昨日のように遠くて』

とは冬優子の談ですが、これに気がつくのは決して容易なことではないと思います。
そしてこれを峻別することによって、彼女自身が強くいられる。
この、「自分と向き合う能力」の高さが、冬優子の強みだと信じてこの歌を送りました。
「すり減る」「夜」という一見マイナスな印象を与えそうな言葉も、「優しく」の一語で一気に力強く温かいものに感じられてきませんか。
少しでも伝わっていれば嬉しいです。

第3首「子」

よく聴いて子音を強く読むときの言葉は怒りではなく光

黛冬優子さん誕生日お祝い短歌

これはほとんど言葉遊びです。
言葉をしっかり伝えるには、子音を強く読むこと。これは人前でパフォーマンスをするアイドルならある意味当然のこととして身についているものでありましょう。
そして冬優子が語気を強めて発音するとき、それは一見、「いかり」のように聞こえるけれども、実際は、伝えたいという強い気持ち=「ひかり」なのだ。
「光」の「ひ」をしっかり発音しないと、「怒り」に聞こえてしまうので気をつけないといけませんね。

連作『星が見上げた空』

こちらは、2023年10月21日・22日に行われた THE IDOLM@STER SHINY COLORS 5.5th Anniversary LIVE 『星が見上げた空』を見た直後に作った連作短歌になります。
ライブの特定のシーンを詠んだものなので、解題はつけずに、どの曲について作ったものなのか紹介したいと思います。

シャイノグラフィ

シャイノグラフィを歌う浅倉透。(Day1より)
上と上、下と下を組み合わせて読んでください。

いつだって僕らは


センターステージへ走るノクチル。(Day1より)

いつか Shiny Days


ステージに立つストレイライト。(Day1より)

ダブル・イフェクト


トロッコに乗って手を振るアルストロメリア。(Day2より)

最後に

ここまで読んでくださってありがとうございました。
短歌も解題も拙いところばかり、という感じですが、どこか楽しんでいただける部分があれば幸いです。
それではまた。


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