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『Ambitious Eve』『くもりガラスの銀曜日』をどう訳す? -シャニマス的造語の趣き

シャニマスとの付き合いも1年を過ぎ、折に触れて振り返ってみると、たくさんの光景と共に妙に心に引っかかっている不思議な言葉たちのことが思い浮かぶ。
シャニマス的造語とも言うべき、素敵な言葉たちのことだ。
「シャイノグラフィ」、「銀曜日」、「天塵」、「絆光期」…
なんとなく意味が伝わりそうで、しかしはっきりとはわからない。
それ故に気になって仕方なく、心に引っかかっている。
今日は、そんな言葉たちのことを少しゆっくり考えてみたい。

言葉について考えるとき、あなたは何をするだろうか。
私はまず、辞書を引く。
辞書には語の成り立ちから細々とした用法まで、なんでも書いてある。
しかし当然、これらの語は辞書には載っていない。
さて、そうであればどうやってこれらの言葉に思いを馳せれば良いだろうか。
そこで私が考えたのが、「訳す」という行為だ。
辞書にもない言葉を訳そうともがいてみることで、どうにかこれらの言葉の裏側にある、見えていなかった部分を垣間見ることができないか。
とりあえず少し頭を捻ってみることにしたのである。

さて、今回はどうにか訳せそうだと思った『Ambitious Eve』と『くもりガラスの銀曜日』を取り上げる。
私は翻訳の専門家でもなければ、特段語学に長けているという訳でもない。どうか温かい目で見守ってくれると嬉しい。
『Ambitious Eve』が英語であることを鑑みて今回は英語と日本語の間を少し行き来してみよう。

『Ambitious Eve』に邦題をつける

直訳するなら「野心的な夜」あるいは「野心的前夜」「渇望の夜」などだろうか。
しかしこれでは歌のタイトルとしてはいささかナンセンスである。なんというか、硬い。歌の雰囲気にもミスマッチだ。
もう少し噛み砕いて柔らかくしながら、歌ともフィットさせて行きたい。
そこで、「Ambitious」「Eve」という2つの単語の本質的なイメージを捉えて、歌のイメージと擦り合わせていく、という作業をする。

①「Ambitious」


まず、「Ambitious」は「野心的な、大望のある、熱望する」というような意味の形容詞である。
では、そもそもなぜ、「Ambitious」という語がこのような意味を表すのだろうか。
それは、「ambi-」という語根に注目することで伺い知ることができる。
「ambi-」という語根は、「周りの、両方の、周囲、両義」といった意味を持つ。
同根の単語をいくつか見てみよう。

ambient:周囲の
ambiguous:あいまいな
ambivalent:相反する感情を併せ持つ、両義的な
amphibian:両生類

と、このように様々な単語があるが、ambitiousが「野心的な」という意味を持つのは少し不思議に思える。
ここは少しの想像力で補う必要があるが、「周囲」を見渡したい、という欲求を「Ambitious」と呼んでいるのだ。
周りを見渡せるような高い位置へ行きたい。そんな心持ちを野心と呼んだのであろう。
そしてまさに、「Ambitious Eve」はそんな、空に羽ばたきたいという気持ちを歌っていた。
「見渡してみよう 色んな景色」「飛びたい」という歌詞は、見事に「Ambitious」という言葉それ自体と同じ意味であったのだ。
これを踏まえて、訳語には、空へと向かう飛び立ちたい気持ちが読めるような言葉を選択したい。

②「Eve」


これはちょうど「Christmas Eve」というときの「Eve」で、「Evening=夜、日暮れ」の略語である。
一方で「Eve」という語単体として見たとき、アダムとイブのイブ(Eve)でもあることを頭に留めておきたい。
アダムとイブが持つ、「始まり」のイメージが「Eve」という語には付き纏っている。
それを踏まえて、この歌のイメージを思い浮かべると、単に「夜」というよりは、どこか浮き立つような気持ちと共に「前夜」的なイメージが現前する。
それは、「革命前夜」「前夜祭」というときの「前夜」で、単なる夜ではなく、これから何かが始まるような心のときめきを携えた、まだ薄明るい夕暮れのひと時を呼び起こしてはいないか。
さて、そうすると、この「前夜」的イメージを訳語に取り込みたいところである。

訳語案


①空へ向かう気持ち、飛び立ちのイメージ
②「前夜」的イメージ
以上2点を合わせて実際に邦題の案を考えてみると以下のようなものが思い浮かんだ。

a:『空に焦がれた夕暮れのこと』
b:『鼓翼前夜』

「鼓翼」とは鳥が羽ばたくこと、飛び立つことを言う。

どうであろうか。
上手いとは言い難いが、イメージくらいは伝わるだろうか。
aはこの歌のエモーショナルな雰囲気には合うように思われる。
一方でbは、「Ambitious Eve」の語感のスタイリッシュさや、衣装であるオーバーキャストモノクロームのクールな空気感に合うような印象もある。
なにぶん素人の試みなので、もっと良くする術はいくらでもあるだろう。
良い邦題を思いついたという人がいれば是非ともご教示頂きたい。

『くもりガラスの銀曜日』に英題をつける

前述した「どうにか訳せそうだと思った」というのは真っ赤な嘘で、「銀曜日」をどう訳せばいいのか全く分からない。
というわけでまずは、『くもりガラスの銀曜日』の背景を想起しつつ、本質なイメージを取り出していこう。

①「くもりガラスの」

「くもりガラス」はそのまま、「frosted glass」とするのが良いだろう。
問題は「の」の方である。
「くもりガラス」と「銀曜日」と関係を探って、「の」の役割を見出すべきなのだが、これがなんとも曖昧で、故にとても趣深い。
このシナリオイベントを読むと、「くもりガラス」と「銀曜日」はそれぞれにシナリオのテーマとなっていて、主従関係や修飾/被修飾関係にあると言い切ることは難しい。
あえて言うなら意味的には「くもりガラスの銀曜日」というより「くもりガラスと銀曜日」の方が近い気さえする。
しかしながら響きとしても、くもりガラス「の」銀曜日とした方が、どうもしっくりくる。
そうだとすれば、「の」の後に何かが省略されているような雰囲気を感じとってみるのも一つの手ではないだろうか。
このシナリオで「くもりガラス」は、その向こうが見えないものとして描かれ、同じく見えないものとして他人の心、あるいは「忘れもの」と類比されていた。
「くもりガラス」は、その向こうを見たいと思う対象として存在したのだ。
「くもりガラスの」という言葉が、その向こうにあるものを忍ばせる効果を持つなら、「くもりガラスの(向こうの)」という含意があると捉えることができよう。
とすれば、この「の」はofよりもoverという語を当てた方が良いと思われる。
そして「くもりガラス」と言ったとき、私たちは明らかに「あの店」の「あの」くもりガラスを思い浮かべるのであるから、定冠詞をつけるべきであろう。
よって、「くもりガラスの」には「over the frosted glass」という語を一旦当てておこうと思う。

②「銀曜日」

さて。この造語を訳すために、この語が持つ趣きを丁寧に解体していく必要がある。
(1)まずは、打ち間違い、誤字であること。
(2)それによって存在しない語が完成していること。
(3)しかし「ありそう」な語感であること。
(4)「銀」という言葉が持つ、寂しげな美しさ。
(5)「銀」という言葉が、灰白色のイメージを通じて、くもりガラスの向こうの梅雨の空と接続すること。

『くもりガラスの銀曜日』が梅雨のイベントであったことも考えるとおおよそこのような要素が「銀曜日」という言葉の面白さを構成していると言えそうである。

さて、このような要素を満たす英語を「造れる」だろうか。
造れるはずもない。
……

とはいえ、ここで諦めてしまっては、あまりにも情けないので、なんとかこんなものをひねり出してみたのである。

「銀曜日」→「Milky Day」
大変情けないが、言い訳がましく説明をさせてもらおう。
まずは(1)これは「Milky Way」=天の川、銀河 の打ち間違いである。キーボードの「W」と「D」は比較的近い位置にある。
そして(2)「Milky Day」などという日は存在しないが、(3)なんとなく「ありそう」である。
また、天の川「銀」河のイメージから、(4)切ない美しさの印象を引きだすことができる。
最後に、天の川の見られる季節は7月上旬という梅雨の時期で、かつ、色彩的なイメージを通じても(5)「くもりガラス」との接続性を有する。

そして「銀曜日」は、ある特定の一日というよりは偶然気持ちが揃う日として何度もあった日だと思われる。
そうだとすれば不定冠詞をつけてあげる方が馴染むような気がする。

というわけで以上まとめれば
『A Milky Day over the frosted glass』
という英題が完成する。

ほとんどこじつけみたいな訳で申し訳ない。
ただ、「訳する」という行為を通じてシャニマス的造語の趣きを楽しむという当初の目的は達成できたように思う。

この記事を読んでくれた読者の方々が、「シャニマス的造語」の趣きに少しでも興味を傾けてくれれば、何よりの幸いである。

真鯛












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