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三日坊主日記 vol.58 『長いコピーを書いた』

今日は長いコピーを二本書いた。

演出家がコピーを書くのか。はい、書きます。コピーライターでもないのに書くんです。もちろん、新聞や雑誌に掲載されるキャッチコピーやボディコピーといわれるものではなく、今回だとナレーションにあたる文章のこと。

そもそも、コピーライターは上手な文章が書ける人のことではなく、モノの見方とか考え方を発見する人のことなので、考え方を提示するべきタイミングでできる人が書けば良いのだ。

とはいうものの、本当はちゃんと優秀なコピーライターがいて、斬新な切り口で効き目抜群のコピーを書いてくれたら、僕ら演出家は楽なんだけどね。そうじゃない人が書いたらどうせ何度もダメ出しして、結局は自分で書くことになったりする。優秀な人にお願いするお金がないから仕方がないのだ。

しかし、このコピーライティングというのが結構難しい。というか、かなり高度で大変。

昨日、毎日の日記が大変だという話を書いたけどレベチ。レベルが違う。日記も確かに大変だけど、どこまで行っても自分がすき好んで書いてる道楽であって、下手でも間違っていても誰にも迷惑をかけない。

一方で、映画のシナリオなどはどうだろう。これはこれでちょっと事情が違うんだけど、やっぱり映画も日記と同じで自分との戦いというか、自分が面白いか面白くないか。納得できるかどうかにかかっていると思う。つまり、どこまで自分の考えているモノに近づけるか。そして自分が考えている作品を越えていけるか。自分と戦いながら創作していくのだ。そういう意味では日記もエッセイも、小説も同じなのかも知れない。

だけど、広告コピーは少し違う。自分が面白いと思うモノを作るというのは同じなんだけれど、届けたい人にちゃんと届く表現なのかというフィルターを通さないといけない。そして、それとはまた別にクライアントが面白いと思うか。または必要だと思うか。そしてお金を出そうと思うのか。という基準も入ってくる。

もちろん、他所様の考えていることや好き嫌いなんて分からないし、迎合するつもりもないんだけれど、そういう社会性というかフラットな視点が必要だということ。

だから、制作者の好みや趣味を押し付けてないけないのだ。だからと言って、クライアントが自分たちの好みや趣味で作るのを許してもダメ。ましてや自画自賛や自慢話を語りたいといい出したら、全力で止めないといけないのである。広告作りは難しい。

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