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三日坊主日記 vol.136 『映画って宣伝が大切だと改めて思った話』

ある映画を見て、改めて宣伝の大切さを思った。


僕は長編映画をまだ2本しか撮ってないし、宣伝費用を十分に使った経験もないんで、あくまでも少ない経験で感じたことと推測の範囲の話しだと断った上で。


知人が出演している映画を配信で見た。敢えてタイトルは明かさないが、どうしても映画館で見たかったけど、全然時間が合わずにどうしても見れなかった作品。予告編やプロモーションを見ていて、明らかに他の映画とは違う空気を発していた。ポスターやフライヤーも目を引くし、宣伝の仕組みも新しく感じていた。


やはり普段映画館に行かない人たちをターゲットにしているんだろうし、確かにその層にも届いているような感じではある。かと言って、従来からの邦画ファンを置き去りにしている訳じゃなく、上手いなと思っていた。そういえば、テレビのバラエティー番組でも何度か取り上げてられていた。この辺りも巧みだ。


興行的にはどうだったんだろう。全国何十館かで上映していたし、海外で上映したと言う噂も聞いたので、そこそこか。損はしていないという感じだろうか。規模を考えると、どちらかと言えば成功なんじゃないだろうか。それこそ知らんけど。


映画の内容自体はどうだったのかというと、まあ、普通の映画と言えるだろう。いい意味で。確かに、ほんの少し他と違う空気を纏おうとしているが、纏いきれていない。いい意味で普通だ。出演者もストーリーもそれぞれを丁寧に描いてあって、ウェットになり過ぎず、ドライにもなり過ぎず。というか、ウェットなストーリーを上手くドライに見せている。構成も上手い。好きか嫌いかの二択なら好きな方だ。


しかし、よくあるテーマだし、いい意味で普通の映画(しつこい)。明らかに宣伝の勝利ではないかと思う。キャスティングも含めたお金の配分が上手くて効果的だし、宣伝物の表現が上手い。


ある配給会社の方に言われたことがある。極端なことを言うと、映画の内容は我々にとってはどうだっていい。映画のあがりの良さと観客動員数は関係ないと。これはひとつ極端な意見かもしれないが、ある意味的を射てるのだろう。前述の映画も、実際の内容と宣伝表現はずいぶん違っていたのである。そしてそれが功を奏している。嘘がなければそれでいいのだ。


映画の宣伝は、我々が普段仕事にしているいわゆる商品やブランドの広告宣伝とは少し違う。いや、基本的には同じなものかも知れないが、予算規模が違うし、映画を見る人は残念ながら限られているので、メディアの使い方やお金の配分が随分違う。また、映画は入場料と共に時間も頂戴することになる。いくら見たくても、その時間に見られる劇場で上映していないと見れないのだから、需要ばかり喚起しても供給されてなかったら宣伝が無駄になるのだ。


全国のシネコンで上映されるようなメジャー作品は旧態依然のやり方で十分機能するんだろう。だけど、そうじゃない作品。我々が作るような映画は、やはり宣伝、メディアの使い方、そしてもっというと座組みまで研究して、コスパを上げる方法を探さないと生き残っていけないのだ。というか、作品が作れない。逆にいうと、まだまだチャンスはあるとも言えるのである。



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