映画『泥の子と狭い家の物語』公開日記 〜舞台は大阪〜
本日も『泥の子と狭い家の物語』をご覧頂きありがとうございます。第七藝術劇場では上映後にお客さまからのご質問にお答えしました。
【お客さまからのご質問】
「出演者は大阪弁を喋っていますが、大阪の話ですか?」
はい、大阪の話です。
大阪のどこの地域と特に設定はしていませんが、大正区でロケをしています。この映画は2012年にオカモト國ヒコさんの作・演出で上映された劇団テノヒラサイズの演劇『泥の子と狭い家の物語』が原作です。僕は2018年にその再演を見て映画にしたいと思いました。演劇は狭い家(ダイニング)とその周りの細い路地のセット上で演じられる、狭くて暗くてジメジメした話なんですが、見ているうちに僕の頭の中でイメージはどんどん広がり、劇場を飛び出していったんです。その時頭に浮かんだ風景が大正区辺りだったんですね。運河があって、工場があって、引き込み線があって、高度成長期には活気があったけど今はちょっと寂れている。そんなイメージです。だから映画化が決まった時、僕はまず大正区を歩きました。一日中歩きまっわってみて、この辺りで撮りたいと改めて思ったんです。商店街の方々に大変よくしていただいて楽しいロケができました。但し、内田家の暮らす家(家の中と外観)は大正区ではなく、神戸市の長田区で空き家を借りて撮影しています。
原作も大阪弁。制作も大阪なんで、もちろん全編大阪弁で演じて貰っています。但し、田中美里さんが演じる内田康子(主人公の母親役)だけは最初から標準語を話す人(大阪で生まれ育っていない人)という設定にしました。理由はいくつかありますが、誤解を恐れずにいうと下品にしたくなかった。所謂大阪のおばちゃんにしたくなかったから。大阪弁が下品だとは全く思いませんが、康子は大阪弁を話さないほうが良いと思ったんです。ひとりだけ違う言葉を話すことで、より孤立感というか疎外感が際立つはずだと考えました。もうひとつ、大阪のどこにでもいる小さな家族のお話で、その家族の真ん中にいる母親が標準語を話していたら、なぜだろうと思いませんか?見ている人がこの母親はなぜ標準語を話すんだろうと想像するんじゃないかと考えたんです。見た人に考えてもらうことで、その人の記憶に定着するはずだという計算もありました。ご覧くださった方々がどう感じたのかはわかりませんが、僕は康子を標準語にして良かったと思っています。大阪弁に設定してたら田中美里さんとの出会いもなかったかも知れませんしね(笑)というような話をさせていただきました。
明日9日は、井之頭(先生役)の湯浅崇さんをお迎えしての舞台挨拶です。是非是非、第七藝術劇場へお越しくださいね。
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