経過報告③
皆さん、こんにちは。(それとも、おはようございますorこんばんは?)
「見たかな?観たよ!」の中の人、
ひろ-macrobiworldです。
今回も「日本神話と日本のホロスコープ」を書く為の資料漁りをしている過程で、無視できなくなって来た「ユダヤの存在」について私が感じた憶測と妄想の物語を、心理学的な考察も加味しながら経過報告②の続きを綴って行きたいと思います。
妄想④-実は闇堕ちしているセレブも救われたいと思ってる?
前々回の話で出た「日ユ同祖論」がユダヤ人学者によって出るようになった後、イスラエルにある古代ユダヤ教の神殿そっくりの石積みの遺構がある神社(▶︎ヘッダー画像)
の近く徳島県美馬市にある剣山(ここに失われたアークがあると言う伝説があるそうです。)を、ロスチャイルド家の人たちが大勢きて山ごと買い取りたいと言ってきたことがあったようです。
でも、そんなもの買おうが奪おうが何しようが、仮に“希望通り手に入れたところで彼らは救われない”でしょうね。
救われたいのなら、(もしも噂されるように、グローバルエリートと呼ばれる人たちが実質的には棄教していて、悪魔崇拝に走っていると言うなら)、失われたアーク伝説のある土地を、御守り代わりに買い取ることを考えるより、何故先祖代々サタニズムに走るハメになったのか?まずはそこに向き合う必要があるのでは。
つまり前回出てきた「神を通して自分と向き合う」ですね。
人には誰にでも承認欲求があります。
誰もが他者から受け入れられ、認められ、愛されたい。そして評価されたいと思っています。
けれどもこれまでの私の勝手な憶測と妄想の物語で話しているように、彼らグローバルエリートと呼ばれるディープステートの人たちはそれが満たされるどころか、彼らは妬まれ恐れられ批難され続けてきたのでは無かったでしょうか?
そしてひょっとしたら、立場的にそのことを嘆き悲しむことさえ出来ずに(或いは許されずに)来たのかも知れませんね。
人は満たされないと別の手段でその穴を埋めようとします。それが病的な域に行ってしまっているのが「依存症」です。
倫理観を喪失するほどの
「買い物依存」
「性依存」
「アルコール依存」
「薬物依存」
「悪魔崇拝(淫祠邪教の信仰)」
「手段を選ばない金儲け」など
突き詰めて行けば、彼らにとってそれらは全て自らが求める承認欲求を叶えられなかったが故の「穴埋め行為」で、そこに「依存」してしまっていて抜け出せない状態なのでは無いでしょうか?
例えば、倫理的に問題のある様々な依存症的な行為を正当化する為に、「儀式として必要なこと」と淫祠邪教を隠れ蓑に使い、潜在意識から来る警告を無視し誤魔化しているとか。
④-ⅰ 現実逃避の考察
セレブに限らず、苦しいことに独力で正面から向き合える人は、実は意外と少ないのです。
だって一般的に見ても、お酒に頼らずに試練や困難に向き合って乗り越えられてる人、世の中にどれほどいますか?
(イスラム教の場合はお酒は禁忌ですが、それはつまり“お酒では無く神に頼れ”という事なのでしょうが、現実には別のものに逃げて耽溺するケースも多いのかもしれませんね。)
ただお酒を口実に、知り合いに愚痴をこぼして吐き出してたり、1人で抱えていたとしても泣くことが出来るうちは、依存症状もそれほど酷くは無いのでしょう。
人間、本当に辛い時は涙も出ないものですが、だからこそ辛いことや悲しいことがあったのに泣けない時には、精神的ケアが必要なのですが、なかなかそうは行かないことが多いですね。
辛いことが重なって涙も枯れ果ててしまった時、人間の辿る道は大きく分けてふたつあると思います。
悟りから解脱への道が開かれれば良いのですが、そうでなければ堕ちていく一方でしょう。
先の依存症のように、心の平安を保つ為に特定の状況に依存して、表面的には普通を装うようになるか、
或いは本格的に心身共に病んで障害を負ってしまうか。
どちらにしても、最悪の場合は自らの手で人生の幕を閉じる方向に進んでしまう危険性があることには変わりありません。
ましてユダヤ教やキリスト教では自殺は罪とされるので、両教徒の場合は非常に苦しいだろうと思います。(禁止されるとかえって意識してしまうのは人間の性でしょう。)
そういう意味では倫理観を喪失するほどの依存行為に、我を忘れて耽溺し易い条件が揃っているとも言えますね。
スピリチュアル界ではその人の信ずる所に従って、彼らのことを悪魔に取り憑かれたとか、レプタリアンに取り憑かれたとか言う表現を使っているようですが…。
例え正義感から出たものであっても、他者に対するネガティブな思いから出た行動は、やがて自分に返って来る〜因果応報と言う真理に気付かないと、彼らの本当の意味での癒しは訪れないのでしょうね。
何故なら前回も述べて来ましたが、心理学的に見れば「他者の姿=自分自身のある部分を投影した姿」でもあるわけです。
なので、一神教特有の他宗教を敵視する価値観に代々縛られて生きて来たことも、彼らがその真理に気づき難くさせている原因となっているのかも知れません。
人間は生きる為に、苦しい環境に拘束された時は、必ず逃げ道を作り出そうとします。つまり「現実逃避」です。
正面から立ち向かって状況を変えようと努力できる人は稀です。大抵は愚痴ばかり言って何もせず、現実逃避の依存行為に溺れて、時間の経過と共に環境が変わり、自然解消されるのを待つだけ…と言う人が多いのです。
場合によっては、解決の為に行動を起こせば自分の属するコミュニティや社会から抹殺される危険性のある社会だった歴史の方が長いわけですから、無意識にそういう刷り込み(長いものには巻かれろ的な)がされているのかもしれませんが。
ただしこの場合、同じ状況が訪れれば同じ問題や苦しみを繰り返す事になり、物事の本質的な問題の解決はされないまま終わる事になります。
④-ⅱ 現実逃避がガス抜きとして公認されているケースの考察
例えば欧州の王侯貴族は、男女共に結婚後に愛人を持つのはごく普通のことのようです。
歴史的に見て、家や国家を背負った政略結婚がデフォルトだった王侯貴族にとって、相手がたまたま尊敬できて愛情を感じられる人であったなら、それは奇跡的に幸運な出来事だったでしょう。
むしろ相手方が敵側の人間なら、心情的に受け入れられないケースも多かったはずです。
そうで無かったとしても、相性と言うものが存在しますから、親や周囲の決定に従い結婚したものの、生理的にムリと言うケースもあったでしょう。
(昔イザベル・アジャーニが映画で演じたこともある王妃マルゴ(カトリック=旧教徒)とアンリ4世(ユグノー=新教徒)の政略結婚なんてまさにそれだったんだろうなあ…この2人夫婦共にそれぞれ愛人を抱えていて子は無く、結果的に離婚してアンリ4世の方はマリー・ド・メディシスと再婚してますからね。むしろ離婚後の方が関係は良かったらしい。それも家族ぐるみで。友人としては良くても、異性としては見れないパターンだった?▶︎『王妃マルゴ』を巡る物語 ~果てしなき宗教戦争がこじ開けた近世の扉 )
ですが、どんなに生理的に嫌な相手との結婚だったとしても、家柄に拘束され、政治的目的で決められた縁談からは逃げることが許されない以上、政略結婚では跡取りを作るという命題さえクリア出来れば後は自由に恋愛して良いよ…と言う、暗黙の了解・逃げ道があったわけです。
そうでなければ、欧州の王侯貴族は宗教的な縛りで通常は離婚出来ず、死に逃げる事も出来ないわけですから、結婚後の人生は地獄の苦しみになってしまうでしょう。
どんな行動にも原因や理由があります。
ただしそれを当事者が自覚しているかどうかは別の話ですが。
だから同胞であるはずの一般庶民のユダヤ人ですら巻き添えを食って苦しめられるような世界情勢を作り出されるのは、人類にとっては迷惑でしか無いですが、現状のままで良いと思っているグローバルエリートたちに対しては、残念ながらなす術はありません。
その一方で、理由はどうあれ苦しいから救われたいと、今の自分や世界の現状に危機感を抱きつつも、気付きを得られないグローバルエリートがいるとしたら、それは何故なのか?
その問いの先には、一条の希望の光が差しているのかも知れません。
④に続く
【※;参考・資料】
・徳島県の剣山に、ユダヤとつながる「三種の神器」が眠っている?! またまた新たなミステリーの登場!|神社めぐりをしていたらエルサレムに立っていた|鶴田真由 - 幻冬舎plus
・イスラエル大使も注目! 徳島・剣山に「ソロモンの秘宝」が眠っているって本当? | at home VOX(アットホームボックス)
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