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経過報告②

皆さん、こんにちは。(それとも、おはようございますorこんばんは?)
「見たかな?観たよ!」の中の人、
ひろ-macrobiworldです。 

今回も「日本神話と日本のホロスコープ」を書く為の資料漁りをしている過程で、無視できなくなって来た「ユダヤの存在」について感じた、私の憶測と妄想の物語で、経過報告①の続きです。

妄想①-聖書は書き換えられていた?


実はむすび大学の茂木先生のコンテンツで、いわゆるロスチャイルドやロックフェラーなどのディープステート13血族を牛耳ると言われる12貴族に関してもサラッと触れていて、

国王などの強権的な支配(?)に反発した貴族が、ユダヤ人の金貸しの力を借りて国王に(戦争などの)資金を貸して、国王が借金を返せない場合は、担保にしていた国王所有の土地を押収して自分達のものにした…と言う話をされていたのですが…その動画、どうやらすぐに非公開にされてしまったようです。

探してみたけど、その動画が無くなっているような…。

ディープステートのことも、ロスチャイルドやロックフェラーくらいなら良いけど、それ以上深掘りすると不味いんですかねえ…。

まあとりあえずそのことは横に置いておいて、前回の話で判るように宗教というのはある一時期を境に多神教から一神教に姿を変えて行ったわけですが、ユダヤ教の古文書などには現代の旧約聖書には無い多神教的な記述が見られるのだそうです。

モーセの十戒の解釈自体、多神教寄りのものから厳格な唯一神への信仰を求めるものまで幅があるようです。

ところがそれらを知られては困る勢力がいるのか、そう言った事実はあまり報道されません。

日本書紀などの記紀にも言われることですが、旧約聖書も時の権力者にとって都合の悪いところは削除されたり書き換えられたりしてきた歴史があるのでしょうか。

もしあるとしたら、その最たるものが、多神教的内容から一神教的内容への書き換えだった可能性は無いのでしょうか?

茂木先生のYouTube講義観てると、個人的にはローマのパリサイ人(律法学者)が怪しいなあ…と。

なんか庶民が守るのが無理ゲーなくらい細かい規定(律法)を作っていたらしいけど、それって神様の教えを伝えているのではなくて、自分達が楽したい、人々を神の名の下に都合よく支配したかっただけなんじゃ無いの…?

なんかさ、それってまるで日本の役人とか学校の先生とかみたいだよね…って、思って。事なかれ主義で国民やら生徒やらを規則や前例で縛って、面倒なことを避ける…みたいな感じ?

画像①;自分の中にある醜い部分や、自分にとって否定したい、認めたくない部分を心理学ではシャドーと言う。
批判している相手や嫌悪している相手は、自分のシャドーの投影であることが多い。

妄想②-グローバルエリートの悪魔崇拝は、元々は異教信仰だった?


いずれにせよ時の権力者にとって、国民や領民の精神的な支柱・指針となる宗教は一神教の方が都合が良かった。

ここから先が私の勝手で具体的な憶測と妄想の物語に成りますが、

時の権力者のそうした動きに反発した貴族たちが、一神教に“成り果てた”ユダヤ教やキリスト教に代わるものとして、原初的な多神教に走ったがそれらには「生け贄」の儀式も存在した。

これが兼ねてから都市伝説の世界で噂されている、ディープステート(今はグローバルエリートと呼ぶ人も多いけれど)のセレブたちや貴族の祖先が、悪魔崇拝(サタニズム)に走るきっかけだったのでは無いでしょうか?

つまり最初から本当の悪魔崇拝をしていたわけではなく、一神教が異教の神を勝手に悪魔扱いしていたから、当初は一神教を押し付け専制君主的なやり方を嫌った貴族たちが多神教の他宗教に走ったことでサタニスト呼ばわりされていただけだった。

そしてキリスト教が力を得た欧州では、一神教のユダヤ教徒も何故かそこに加えられて、迫害された。

その後だんだん闇堕ちして、本当の悪魔崇拝になっていった。

画像②;シャドーは自分が否定したい部分なので、本人は自覚が無い場合も多い。
例えばAさんが「Bさんは〇〇○だ」と批判していたとする。これはAさんの中にも〇〇○の要素があるのだが、本人にはその自覚が無いか、認識していたとしても本人は認めたくないのでそれを否定する。

妄想③-闇堕ちの心理学的考察


何故そう感じたのか?

心理学用語に「期待誘導効果」と言うものがあります。

「期待誘導効果」がどう言うものかと言うと、

例えば、泥棒が刑期を終えて街に出てきても、前科があるだけで人は警戒してしまいますから、なかなか就職先が見つかりません。
結局その元泥棒は食うに困るようになり、 最終的に“人々が期待(表面的には警戒)した通り” に、再度 “盗みを働いてしまう” のです。

先の貴族の行動は、最初こそは戦争資金に困った国王に感謝されるかもしれないけれど、回を重ねればその行動が怪しまれるようになり、国王からは「謀反を働くのでは?」と警戒される対象になったとしてもおかしくはないですね。

さらに当時、既に流浪の民となっていたユダヤ人は、それだけで差別や軽蔑の対象になっていたでしょう。それが金融業で財力を持っていたユダヤ人なら、さらに嫉妬も加わっていたでしょう。

事実、中世には(結果的には財力のあるなしに関わらず、)ユダヤ人は欧州のあらゆる国(キリスト教圏)から追放されていますね。

そうした歴史的事実が積み重なった結果、一神教を盾に独裁しようとする支配者に、反旗を翻した貴族やユダヤ人金貸したちが闇堕ちしたのだとしても、おかしくはありません。

また各国の宮廷に出仕していたユダヤ人高官や、ユダヤ人の金貸しに出資し、国王を借金漬けにして、担保になっていた財産を奪った貴族の側にも、そういうこと(圧政・迫害・追放)をする国王や支配者は酷い奴だから「懲らしめてやろう」「やっつけてやろう」そして「あわよくば自分が、国王を引き摺り下ろして、その地位に就いてやろう」と言うネガティブな感情や意識があったかも知れません。

勿論、動機は単純に正義感だったのかも知れません。

ですが日本には「人を呪わば、穴二つ」という諺があります。
この穴は棺を納める墓穴のことなんだそうです。

つまり人を呪うと、自分が呪った相手だけでなく、相手を呪った自分の分も一緒に、二つの穴を掘るようになるよ…と戒めているわけです。

何故か?

潜在意識には自他の区別が無いんだそうです。ですから、特定の他者を呪ったり批判したりすると、潜在意識はその特定の他者だけでなく自分のことも呪ったり批判している…と判断してしまうので、ブーメラン現象が起きるわけです。(1&2枚目の画像のキャプションも参照。)

八咫の鏡(やたのかがみ)
伊勢神宮では天照大御神の御神体として祀られている。


ここ最近、日本でずっと批判の的になっている、皇室の赤坂にお住まいのあの御一家に対する国民世論からの批判も、

現状なら御一家に対する批判自体は当然のことだと思うけれど、
(神道の三種の神器のひとつは鏡で、鏡=御神体を通して自分の魂と向き合え、という意味があるそうですが、批判と言う外からの反応が無ければ、当事者が何故こうなるのかと自分と向き合い、反省に至る事も無いでしょう。)

その批判の言葉の裏に「あの御一家にも良くなって欲しい、目覚めて救われて欲しい」というような博愛的・人類愛的な意識がないと、結局は批判の矢は自分(国民の側)に返って来てしまうことになるでしょう。

つまり「ミイラ取りがミイラになる」現象が起きてしまうわけです。

「人を呪わば〜」を、逆方向から言うなら、自分の中にある自分が否定したい部分も受け容れ認めてあげる。そしてそう言う心理を抱えている自分を赦してあげることが必要なのです。

否定し続け、無視し続けることで、それを行動に移してしまっている相手を見るたび、嫉妬や批判などのネガティブな感情が生まれてくるのです。

人間は自分と同じ経験や感覚を持つ人を敵視する事は稀です。

批判や怒りの対象を諌めるには、頭ごなしの批判や相手の存在の否定ではなく、相手に対する理解と赦し(相手を理解し赦すことは、自分自身を理解し赦す事にも繋がる)も必要なのです。

つまり「あなたがそう思ってそう言う行動をしたくなる気持ちはわかるよ、でもね…」と言う前提が必要なわけです。

空海(弘法大師)も仰ってます。
「全ては因縁から生じている。その因縁(物事の起きているカラクリ)を理解すれば、半分は解決したの同じ」だと。

それが神道やユダヤ教に於ける「神(神道では御神体=八咫鏡)を通して、自分に向き合う。自分を見つめ直す」と言うことなのでは無いでしょうか?



話が少し脱線してしまいましたが、サタニストだと揶揄されるグローバルエリートと呼ばれるセレブの中には、自分達の置かれている現状が苦しくて、救われたいと思っている人も、案外多いのかも知れません。

どんなに高い地位についていようと、どんなにお金があろうとも、どんなに容姿の良いパートナーを得ていたとしても、人は幸せとは限らないですからね。


③に続く


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