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女は科学者から説明を受けていた。
「あなたの妊孕性は30歳を境に急激に低下していきます」
女は持たされたメモ用紙に、「ニンヨウセイ」と書き、
「ニンヨウセイ?」
と科学者に質問をした。

「妊孕性とは、あなたのコピーを作る能力です。あなたは異性と協力することであなたのコピーを作ることが出来ます。残念ながらあなたの完璧なコピーではありません。あなたと協力者である異性との良いところが合わさったハイブリッドのようなものです。あなたのコピーはあなたの劣性を排除し、協力者である異性の優性を獲得することが出来ます。まさにいいとこどりです」
科学者はそう言ってボードに「妊孕性」と漢字を書いた。

「あなたがお母さんのお腹にいたとき、あなたの卵巣に700万個の卵子が生まれました。それがあなたがこの世に生れ落ちたときには200万個に減少しました。さらにあなたが初潮を迎えたときには40万個に減少しています。今でも毎月1個ずつの卵子が生理で排出され、消えていっています」
科学者はボードに急降下するグラフを書いた。急降下しているグラフの縦軸は女が孕んでいる卵子の数量である。

科学者はペンのふたを閉めながら、
「あなたは今、29歳ですね」
と質問すると、女は素直にうなずいた。彼女は29歳になったばかりであった。
「初潮はいつだったの?」
女は初潮のことを思い出そうとした。初潮のことを思い出そうとすると小学生のダンス練習の様子が頭を過ぎり、なかなか正確に思い出せなかった。
「13歳頃じゃない?」
女は平均的な初潮の年齢を適当に回答した。

「そうすると君は16年間、毎月1個ずつ卵を失ってきたことになる」
博士はそう言って、ホワイトボードに1個×12ヶ月×16個と書いた。
女は1×12×16の計算をする。
「192個」
女は失った卵子のことを考えてみた。192個。
そうとも限らないと女は思った。
最初は700万個もあったのだ。それが生まれた時には200万個に減少し、初潮の時には40万個に減り、さらに毎月失われ続けている。

女はホワイトボードに、700万個-40万個、と書いた。
「29年の間に660万個も失われている」
660万個÷700万個=0.94285714…
「29歳で私の卵子は94%も失われてしまった」

「そればっかりじゃないんだ」
と科学者は言った。
「毎月300個ほどの卵子から選び抜かれた1個が排卵され、その他の299個は自然消滅する。だから、女性たちは毎月300個ずつ卵子を失っている。計算は1個×12ヶ月×16年ではない。300個×12ヶ月×16年」

女は16年×300個×12ヶ月の計算をした。
博士は、
「57,600個」
と回答した。
女はそれを聞いて、57,600個とホワイトボードに書き、
「もう来年にでも私の卵子はすっかりなくなってしまうんだ」
と嘆いた。

「あなたが80歳まで生きたとしても、それでも40万個の卵子は使い切れません。いくらかはあなたの体内に残ります」
科学者はおまけの慰めのようにそう話した。

「それじゃあ、30歳を境に卵子の大量消滅が起こるってわけじゃないのね?」
女は博士が描いた急降下するグラフのしっぽを水平に伸ばした。
「こんな感じであとは少しずつ減っていくってこと?」
博士は女からマジックを受け取り、
「今後はコンスタントに1ヶ月あたり300個ずつ減っていきます」
少し右下がりに修正をした。
「それじゃあ、卵子がなくなっていくことと、30歳から妊孕性が低下する話は別のことなのね?」
女は自分とともに死んでいく卵子のことを思った。

「そうです。卵子の消滅と30歳からの妊孕性の低下の話は別の話です。なぜ30歳から妊孕性が急激に低下していくのかは詳しくはわかっていません。ただデータとしてそういう結果があるだけ、ということになります」
科学者は客観的な口調で他人事のように事実を話した。

「ただあなたは卵子の消滅と30歳からの妊孕性の低下の話を、29歳の私にする必要があった」
女はそう言った。
「ええ、その通り」
科学者はそう言って、席を立った。
「他の29歳の女性もこの話を聞くの?」
女はそう聞いた。
「ええ、すべての29歳の女性はこの話を聞くのです」
意味深に科学者は微笑んでその場を去っていった。

女のもとには「卵子の消滅と30歳からの妊孕性の低下」の事実だけが残った。

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