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くじら

私はくじらの尾に宿っている。
宿っている、と書くと実態がないように思われるかもしれない。
魂のようなものの言い方に聞こえるだろうか。
そうか、では、私のことは魂のようなものであると思っていただいても差支えはない。

でも、私はたまたまくじらの尾に宿っているのだけであって、あなたのどこかにも私のようなものは宿っているのである。
あなたには尾がないと言うかもしれない。
でもあなたにもあるのだ。
尾のようなものはすべてのものに備えられていて、私のようなものが宿っているのだ。
それに例外はない。

私はくじらに宿っているので、申し訳ないが、この世の最高位と言われている。
私がくじらに宿っているから最高位なのか、
くじらが私に宿られているから最高位なのか、
あるいは、私とくじらの組み合わせだから最高位なのか。
何はともあれ、私はくじらとともに最高位なのだ。

私はくじらなくしては、存在が無に帰してしまい、
くじらは私なくしては、無に帰してしまう。
この世は我々がいなければ、すべてが無に帰してしまう。

あなたも泣くこともできなければ、笑うこともできない。
我々がいなければ、この世から宿りは消え失せてしまう。
宿りが消え失せてしまえば、この世は空っぽだ。

私はくじらの尾に宿り、海をゆく。
鰊は空を駆け抜けていく。
トビウオは風を飛び越えていく。
鰊の尾にも、トビウオの尾にもそれは宿っている。
それは歌のようであり、詩のようである。

もう分かったであろう。
私の正体が。
私の正体は、うたかたである。

くじらの尾から沸き出す泡。
鰊の尾から発散する泡。
トビウオの尾から脱落する泡。

鍋の底から怒ったように沸き上がる泡。
粘着性の沼から顔を出す泡。
地中深くで眠る泡。

歌声で消える泡。
風で運ばれる泡。
カニのはさみで割られる泡。

あなたの尾から生まれる泡。
あなたには身に覚えがあるだろう。
無いというならば、風呂に入ってみるといい。
風呂で膝を抱えて、産毛を観察するといい。
産毛に宿っているのがあなたに宿ったそれなのだ。

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