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ブルーモンスター②

エレベーターは遅々として降りてこなかった。
その間にT氏とM氏とブルーモンスターは合計で10杯近くのマーティニを飲みつくしていた。
M氏が店員にエレベーターの位置を聞くと、まだ50台に差し掛かったばかりであった。
「もういい、ここで寝る」とM氏は言い、店員も慣れた様子でバーの奥の部屋に簡易的なベッドを用意した。
M氏は寝てしまい、T氏はブルーモンスターと二人きりになった。
時計を見ると8時を過ぎていた。
「君はまだ眠くないかい?この調子だとエレベーターが着くのは10時を過ぎるんじゃないだろうか」
ブルーモンスターはマーティニの影響で少し紫色になっていた。
「眠くなんかないですよ。それよりも師匠も寝たし、ちょっと僕の話を聞いてもらえる?」
ブルーモンスターは哀しいような表情でそう言った。
「もちろん構わないさ。時間はたっぷりあるもの」

「そうだ。話す前に確認しておきたいんだけど、お化けとかモンスターとかそういう非科学的なもの信じる?」
ブルーモンスターは伺うようにそう言った。
ブルーモンスターの立場を慮ればこそ、「信じるとも」とT氏は答えるしかなかった。

「よかった。それは何より。僕はさ、微生物なんだよ。水をきれいに浄化する種類の微生物。あの師匠が僕をつくったのさ。なんて言うかフランケンシュタインみたいなことなんだけど」
ブルーモンスターはそう言ってマーティニを飲み干し、付け合わせのオリーブを食べ、その種を吐き出した。
「もう酔っぱらっちゃったからできるか分からないけど」
そう言ってブルーモンスターは目をつぶって集中した。するとレモングラスのような毛が逆立って200cmほどのブルーモンスターは250cmほどに膨れ上がった。それはなかなかの迫力であった。耳を澄ませると澄み切った水の産まれるせせらぎの音が聞こえた。紫色であったブルーモンスターはさめざめとした青色を取り戻していった。
ブルーモンスターが目を開けると、バシャンと大量の水が床に落ちた。
「大丈夫ですか?」と店員がやってくると、ブルーモンスターはその水の上をモップのように動き回り、大量の水を吸い取った。水で膨れ上がったブルーモンスターは店員の持ってきたバケツに水を絞り出すと、100cmほどに縮んでしまった。
「今やったことが僕が出来ること。飲んだものをきれいな水にしたり、吸い取ったものをきれいな水にしたり。僕の身体を通すと水はきれいな水に戻ることができる。この水、とてもきれいだよ」
ブルーモンスターはバケツの水を指してそう言った。
店員はそのバケツを持って行った。

「微生物ってさ、目に見えないほど小さな生き物なんだって思ってた」
T氏はそう言ってちらっとブルーモンスターを見た。
「あなたが合ってますよ。微生物は目に見えないほど小さい生き物なんだから、僕はモンスターなんだ」
ブルーモンスターはそう言った。
「でも、まあ、君は喋れるし、意思もあるし、お酒も飲めるし、それはそれで他の微生物よりも楽しみもあるだろう?」
T氏がそう言うと、ブルーモンスターは青いふさふさの毛を揺らして否定した。
「いや、ごめんですよ。こんな生活は。あの師匠ときたら一日中不機嫌だし、僕が世界中を飛び回って水をきれいにして大金を稼いできたってほめてもくれない。水源がない国なんかでは僕は重宝されるんですよ。水源は戦争の火種にもなるくらいですからね。僕が行って海水を水に変えてあげるだけで驚くほどの金がもらえる。
それなのに師匠はその仕事の後、塩まみれになった僕にドライヤーをかけてくれようともしない。どこかの製菓会社に連れていかれてポテトチップスの上でその塩を振り払われる。SDGs的ポテトチップスの一丁上がり。尻の毛までむしりとられるってやつさ。やになるよ、本当に。
君も見ただろう?さっきホテルの入り口で僕がクランベリーチョコレートを買ってもらっていたところを。何億ドルも稼いでいる僕の報酬があの自動販売機のクランベリーチョコレートなんだぜ?
ちょっとはさ、労りの声をかけてくれるとか、休みをくれるとか、心通わせられる友達や癒してくれるガールフレンドを作ってくれるとか、そういうのがあってもいいと思わないかい?
はっきり言ってね、僕はもうクランベリーチョコレートなんかうんざりなんだよ」
T氏はブルーモンスターのふさふさの毛をなでた。
「そして、君には名前もまだない」
ブルーモンスターは泣いていた。何だかそれはとても青い涙だった。
「君は師匠にやさしくしてもらいたいんだね」
T氏はやさしくそう言った。
「ああ、師匠じゃなくても誰でも、僕をひとりの生き物として尊重してもらいたいのさ。僕は水生成器でもなければ、味付けマシーンでもないんだ」

店員がやってきてもうすぐエレベーターが到着すると告げた。
T氏は立ち上がり会計を済ませようとした。それをブルーモンスターは制止し、
「36500000室のMにつけておいてくれ」と言った。
その姿はとてもクールだった。
「いいのかい?ごちそうになってしまって」
とT氏は言った。
「いいんだよ。話を聞いてもらっただけで少し心が軽くなった」
ブルーモンスターはポタポタときれいな汗を滴らせていた。
「どうしたんだい?」とT氏が聞くと、ブルーモンスターは、「今何時だい?」と言った。
時計を見ると11時になりそうだった。「もうすぐ11時になるね」
「一生の頼みがある。君を一生面倒なことに巻き込んでしまうかもしれないけど、助けてほしいんだ。名前もないモンスターを助けると思って、協力してくれないだろうか」
ブルーモンスターは泣いたり、汗をかいたりしてどんどん小さくなっていった。
店員がブルーモンスターの所へやってきて、
「お連れ様を起こしましょうか?」と言った。
「いや、どうしようか、困ったな。あの人途中で起こすと機嫌を損なうんだよな。36500000室はVIPルームでしょう?あなたたちの方でお部屋まで連れて行ってくれないかな?僕は別の階の部屋だからね。いちいちこんなにエレベーターで待たされちゃかなわない」
ブルーモンスターが饒舌にそう言うと、
「もちろんです。ホテルフロントに申しつけておきます」
と言って去っていった。
「手持ちは一文もないけど、僕を連れ去ってくれるだろうか?」
とブルーモンスターは言った。

ソーダクリームアイスが食べたくても食べられない可哀そうなブルーモンスター。
尻の毛までむしり取られた哀れなブルーモンスター。
名前もまだない、孤独で心優しいブルーモンスター。

T氏はすっかり小さくなったブルーモンスターを胸ポケットに入れて、エレベーターとは別の方向へ歩いて行った。
街は静まり返っていて、潮風が我が物顔で通りを吹き抜けていった。

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